小説
古き世代を看取って
「───あ───ァ───あ───」

 骨や肉や内臓による抵抗はなく、刺した場所から血も臓物も出てこない。しかし、そのナイフはユークレースの肉体と魂を容易く切り離す。

「………な…ぜ………」
「おやすみ、ユークレース」

 ターフェアイトの微笑は、幼子を寝かしつける母親のように優しい。ユークレースが伸ばした手は、抵抗とも非難とも取れたが、いずれにしろターフェアイトには届かない。
 さして時間はかからずユークレースの意識は落ちていき、その手は魔術陣の光の上に落ちていった。

 ───そして。

「「な、ぜ」」

 それは、予想されていた事だった。

 ユークレースの魂が肉体から切り離され、その頭上に現れたのだ。
 それと同時に、周囲で沈黙していた魂達が一斉に覚醒した。

 ターフェアイトが狂ったとでも思ったのだろう。ユークレースを含む全ての魂達が、ターフェアイトを取り囲み口々に非難し始める。

「「どう、して…な、ぜ、だ」」
「「おろ、かな………き、でも、ふれ、たか」」
「「われ、らの…ゆめ、が」」
「「ばか、な………くず、れる、こわ、れる」」
「「くるっ、たか…たー、ふぇ」」
「「あ、あ。たーふぇ…」」
「「たーふぇ、あいと。せつ、めい、を───」」

 ターフェアイトはその場で膝をついたまま動かない。物言わぬユークレースの肉体を見下ろし、微笑を浮かべているだけだ。

 拙い言葉で罵り続ける魂達はリーファを見ていない。
 感情を押しつぶし、リーファは一言自らの師に訊ねた。

「…いいのね?」
「ああ」

 ターフェアイトの短い返事に一つ頷いて、リーファは手の中に長大なサイスを具現化させる。

 ───シャンッ!!

 一閃と共に、サイスの刃が煌めく。魂達とシステムを繋ぐ境目を刈り取る音が響く。

「「ぎゃああああっ!」」
「「いやあああっ!」」
「「ひいいいいいいいっ」」

 それまで片言の言葉しか発していなかった魂達の、悲鳴が、慟哭が、金切り声が、そこかしこで上がる。痛みを感じているのか、彼らはのたうち回るように洞窟中に飛び回り、足掻いている。

 逃げ出す事はないだろうが、この光景をぼんやりと眺めていたいとも思わなかった。リーファは淡々と、魂回収の呪文を唱え始めた。

「”臨みなさい。全ての苦しみを解放する為に。自身の心に問いなさい”───」
「「や、めて…やめて、やめて、やめて───」」
「「いや、だ。いやだ…いやだぁ…!」」
「「たすけ、て…だれ、か。だれかぁ───」」
「「かろ、さまっ………かろさまぁっ………!」」

 彼らをあるべき場所へ送る文言は、本来ならば安らかなものであるはずだ。しかしシステムの一部として望んでいた魂達は、執着によって拒み、半狂乱になって暴れている。

 ◇◇◇

 ターフェアイトの『先に地下の魔術師達の魂を除去したい』という要望を、リーファは快諾した。
 グリムリーパーの務めとして、システムに消費されてしまう前に魂を回収したいと、考えていたからだ。

 そして、彼らは革命前の人間だ。革命を知らず、今も魔術師の王が生き続けていると思い込んでいる。
 ならばシステムの手直しを行う際、アラン達や有識者を見て、外の世界が変わってしまっている事を察してしまうのではないかと思ったのだ。

 魂の彼らは害がなくとも、システムに何か問題が発生しないとも限らない。
 今のシステムを仕切る立場として、混乱を招かないようターフェアイトは提案したのだと、勝手に思い込んでいた。

 でも、違うのだ。
 ターフェアイトは、こうなると分かっていたのだろう。

 魔術師の王が斃れ、新たな国が興り繁栄していく様を防げなかった責任を取る為に。
 置き去りにしてしまった彼らが望んでいなくとも、『裏切者』と罵られようとも、魂の救済と言う形で詫びる為に。

 彼女は、かつてのシステムに幕を下ろす立場として、魔術師達の”死”を望んだのだ。

 ◇◇◇

「”臨みなさい。彼の先へ。往きて往きて、その先に立ちなさい。
 其処にあるものが全て。悟りそのものである。───成就せよ”」

 既に声は消え失せ、魂達は光の渦となって洞窟内を煌々とかき乱す。
 リーファが手を頭上にかざすと、手甲の宝珠へと光の渦が吸い込まれていく。

 ───そして、その場に静寂が訪れた。

 システムを示す魔術陣は光り輝いたまま、亡骸があった場所にいた魂達は失われ、唯一の生存者の意識はもうない。

 魂がないだけで、ユークレースの生命活動は続いている。システムに少しずつ蝕まれているが、一日程度であれば動力として生きていられるはずだ。

「…先に戻ってる」

 やるべき事を終えれば、リーファ自身はここに用はない。ターフェアイトに声をかけ、一足先に昇降台へと戻って行った。

 ターフェアイトも立ち上がり、魔術陣から外へ出る。かつん、かつん、とヒールで音を立てて、洞窟の地肌を歩く。

 昇降台と魔術陣の中間あたりで、彼女は一度振り返った。そこからなら、魔術陣全体の姿が良く見える。

 友をまとめて看取るのであれば、ここが一番良い。

「アウイン、パイロープ、ラリマー、デマントイド、サフィリン、ルチル、ジェット…ユークレース………………おやすみ。
 ………ごめんね………」

 ターフェアイトの表情に生気はなく、今にも消え入りそうだった。