小説
捨てられたもの、得られたもの
「…おーい」

 どこからともなく聞こえてきた声に、リーファは顔を上げた。
 鬱蒼と茂る森をぐるりと見回すと、岩壁にほど近い草藪の中に赤毛色の毛並みが見えている。

 持っていた本を置き、リーファはその藪へと駆け寄った。

「ディエゴさん、来てくれていたんですね。後でご挨拶に伺おうかと」
「エセルバートの娘か。名前は………………うむ」
「また忘れたんですか?リーファです」
「………忘れてなどおらぬ。ちょっと出てこなかっただけだ」

 人の行き来を気にしているのだろう。グリムリーパー・ディエゴは藪から出てこようとせず、尻尾だけがふさっと揺れた。
 洞窟から一人の兵士が木箱を抱えて出てきて、馬車の方へと歩いていく。

「片付けか。ご苦労な事よ」
「放っておく訳には行きませんから。
 今日中は多分難しいですが、明日いっぱいまでには片付けてしまおうかと。
 それまで、賑やかにさせてもらいます」
「ラザーはどうする?」
「主から許可は頂いてますので、一度ラッフレナンド城へ連れて行きます。
 城で暮らすか、里親を探すかは…また向こうについてから考えようかと」
「そうか。………………そうか」

 含みをこめたぼやきと共に、尻尾が元気無く草藪に潜っていく。

 あまりにも分かりやすい反応に、リーファは思わず訊ねた。

「…寂しい、ですか?」
「…そんな事はない。しかし」

 もそ、とディエゴは草藪から顔を出した。狼の顔立ちから表情は読み取れないが、彼がとても悲しんでいるように見える。

「あいつは心配性だ…。
 水汲み草取り飯作り…ターフェアイトが不調な時は、出来そうな事はなんでもやっていた。
 ターフェアイトが臥せる機会が増えてからは、部屋と外を行ったり来たりしたものよ。
 出来もせんのに調合なんぞやって、爆発しては葉を焦がすなど日常茶飯事だ。
 ターフェアイトを埋葬した後は、しばし墓から動こうともしなかった。
 あまりに動かぬものだから、枯れてしまわぬか心配で心配で…」

 ディエゴは、常に観察していたかのようにラザーの事を語る。先に聞いた『そんな事はない』とは何の事なのやら。

「…やっぱり寂しいんじゃないですか?」
「そんな事はない」

 きりっと睨みつけて、ディエゴはきっぱりと否定した。

「我はそう頻繁にここに来られぬ。来る理由が無くなってしまった。
 誰も来ないこの土地に、ラザーをただひとり残しておくのは些か後ろめたいだけよ」

(そ、それってめちゃくちゃ気にしてるって事じゃないかなー…)

 そう言ってしまっても良かったのだが、恐らく『そんな事はない』と凛々しく言われてしまうから黙っておく事にする。

 使い魔の言動は、あくまで疑似人格と言われている。意思を持って言っているのではなく、周囲の者達から行動パターンを学んで会話を合わせているというのだ。
 ラザーを見ているとそうとは思えない所もあるが、今ここでラザーの使い魔としての役目を終わらせたとしても、枯れたアサガオが残るだけで魂が現れる訳ではない。

(使い魔も感情を持っていて、最終的に魂という感情の器に盛れないだけ、って説もあるらしいけど…)

 リーファとしては、出来れば疑似人格の線を推していきたい所だ。いざとなれば使い捨てなければならない使い魔に対して、過度な愛着を持つ行いは良いとは言えない。

「ま、まあ気を遣って下さってありがとうございま───」
「あー!でぃえご!」

 どうやら思いの外話し込んでいたようだ。振り返ればラザーが兵士と一緒に洞窟を出ており、こちらに向かって走ってきていた。
 そして顔だけ出しているディエゴの前に立つと、アサガオの蔓と葉の体をわさわさ動かして陽気な声を上げた。

「きのう、たましいの、おはなし、たのし、かった!きょう、なに、はなす?」
「えっ?」

 ラザーの言葉に、リーファは呆気にとられた。

「ら、ラザー、もしかしてディエゴさん毎日来てるの?」
「うんっ!おはなし、たのしい、よ!
 いっしょに、おひるね、みずあそび、するし、ほしも、みるの!
 らざー、でぃえご、だいすき!」

 目も耳も鼻もついていない人の形を模しただけのラザーだが、この晴れやかな雰囲気は表情などなくとも明らかだ。
 思った以上に仲良しなのだと思い知らされてしまい、戸惑っていると。

 ぶわ、とディエゴの琥珀色の瞳に大粒の涙が溢れた。狼の手だから人のように顔を覆う事も出来ず、涙と鼻水を滂沱として垂れ流している。

「ううぅぅうぅうぅぅぅぅうぅうぅぅおぉおおぉぉ〜〜〜っ!」

 言葉にもならない嗚咽を上げるディエゴ。彼は草藪から飛び出して、ラザーにすり寄った。

 膝を折り、ディエゴを抱き寄せるラザーが困惑しながらリーファを仰いだ。

「え???でぃえご、なぜ?なぜ、なくの?
 り、りーふぁ、どうしよう?どうしよう??」
「う…うーん…」

 助けを求められ、リーファは額を押さえ悩まし気に呻く。

 ターフェアイトが亡くなった事で心配になったのは、ラザーの暴走だった。
 植物系の使い魔は地面から栄養を得て大きくなっていくから、いつかは森を侵食して動物や人に迷惑をかける可能性があった。
 その為、ラッフレナンド城へ行っても馴染めなかったり、里親が見つからなかった場合は、使い魔としての生を終わらせる事も視野に入れていた。
 しかし、ディエゴとここまで親密になっていたのなら、たとえ疑似人格だとしても無理矢理引き剥がすのは躊躇われる。

(っていうか、これ処分したら恨まれそうで怖いわね…)

 リーファは跪き、ディエゴに恐る恐る提案してみた。

「…あ、あの、ディエゴさん。その…ラザー、残していきましょうか?
 ラザーもなついているみたいだし、私も時々墓参りくらいは来ますから。
 こんな、引き離すみたいな事は、ちょっと」
「ぞんな───ぞんな、ごとは、ない、がら…っ。
 近況、どが、教えで、ぐれる、だげで、いいがらぁ…っ!」

 鼻声になりながら首をぶんぶん左右に振るディエゴだが、ラザーと離れるのは惜しいようだ。何となく捨て猫を拾ってきた子供のようなものを彷彿とさせる。

(ディエゴさんもひとりにさせるのは反対みたいだし…。
 これはちゃんとした身の振りを考えてあげないと駄目ね…)

「…リーファさんのお知り合いって、色んな方がいるんですね…」

 既にラザーを見ているから違和感はないのかもしれない。わんわん泣きわめくディエゴ、おろおろしているラザーを見て、兵士ノアが感心した様子でぽつりと呟いた。