小説
捨てられたもの、得られたもの
「んっっまっ!!!」

 リーファが持参したツナ入りサンドイッチを大きな口で頬張り、バンデは満面の笑みを零している。尻尾を大きく振り回し、とても嬉しそうだ。

 年輪の波が美しい木のテーブルに、サンドイッチを置いた皿と麦茶を入れたコップが人数分置かれている。

 魔女は頬を染め恥じらいながらも、フルーツのサンドイッチを食べている。食べ切れるか少々不安だった量だが、ふたりによってどんどんサンドイッチは消費されていく。

「ごめんね。食べ物までたかっちゃって…」
「気にしないで下さい。
 時差がある事に気が付かなくて、こんな早くに来てしまったお詫びとさせて下さい」

 朝食を済ませていたリーファは持ってきたコップに麦茶を注ぎ、一口飲んだ。

 リーファがラッフレナンドを発ったのは、日が昇り始めてそこそこ時間が経ってからだった。
 しかし西にあるエルヴァイテルトでは、日の光が届くのに数時間誤差があるようだ。柱にかかっていた鳩時計は、まだ朝と言ってもいい時刻を指し示していた。

「あ、そうそう。チョコレートファッジを作ってみたんです。
 お口に合うかは分かりませんけど、よろしければ───」

 リュックサックから手のひら大の紙袋を取り出し見せようとしたら、横から伸びてきたバンデの手があっという間にかっさらっていった。
 ナッツやドライフルーツを入れたその菓子を、一口に含むと。

「あっっま!」

 相当甘かったのだろう。大袈裟に額を叩いて幸せそうに咀嚼している。

「…お茶請けとして食べて頂ければと」
「ありがとう。バンデが虫歯にならないよう、上の戸棚へ置かないとね」
「ふふ。そうですね」

 魔女とリーファはそう言って笑いあう。しかしバンデはその紙袋を離しそうもなく、無事戸棚にしまう事が出来るかは疑問だ。

 麦茶を飲みながらリーファは家の中を見回した。

 今いるのは、南側にある正面玄関に直接繋がっているリビングルームだ。
 キッチンと一体型のようで、リビングルームの北東側に対面キッチンが備わっている。リビングルームの北と北西側は個室になっているようだ。
 リビングルームの東側と西側にも部屋があるようで、寝室などになっているのかもしれない。

 建物の東側には小規模ながら菜園も設けているようで、大ぶりのトマトが沢山生っていた。そろそろ収穫間近か、といった所だ。

「ところで、勉強を教えるお仕事をされてるんですか?」

 リーファはそう訊ねて、リビングルームの南西側を見やる。

 西側の壁には黒板が設置されており、その手前に教卓が一台、長机が三台、椅子が九脚置かれている。長机と椅子は小振りに出来ていて、小さい子向けのようだ。
 木目調の床、白地の漆喰壁、木材の天井により、建物全体が学校を彷彿とさせる。

 魔女もリーファが見つめる方を仰ぎ、首を横に振って見せた。

「ううん。ここは昔学校だったらしいの。小さい子たちに字の書き方などを教えていたそうよ。でも町中に新校舎が出来たものだから、ここは空き家になってね。
 少し広いのだけど、老朽化が進んでいたから『補修してくれるなら格安で売ってあげるよ』って」
「家具はそのままにしてるんですか?」
「何だか片付けてしまうのがもったいなくて。
 眺めていると、子供達が走り回って、遊んで、笑い合っている光景が見えるような気がするのよね」

 ふふ、と笑って授業スペースを眺める魔女を、リーファはつい盗み見てしまう。

(ちょっと不思議な感覚の人ね…)

 リーファは、自分が使える場所は好きなように使う主義だ。

 側女の部屋はアランの個人的な部屋でもあるからそのままにしているが、実家のレイアウトは一人暮らしを始めた頃から好き放題いじり倒している。母が亡くなって程なく、母のベッド、衣服、小物など、リーファが使えそうにないものは殆ど処分してしまった。

 物品に関して楽しい思い出もあるかもしれないが、むしろ悲しい思い出が少しでもあるものをいつまでも残しておきたくない、そんな気持ちが働くのかもしれない。

 だから、昔を懐かしんでいつまでもその家具を置き続けているというのは、ちょっとリーファにはない感覚だ。
 彼女の場合、自分とは接点のなかった子供の光景も思い描いている。想像というか、妄想に近い。

 バンデも呆れているようで、頬杖をついてファッジをもぐもぐ食べながらぼやく。

「…おいウシチチ、ボケんのはまだ早いんじゃねーの?」
「ば、バンデ!その言い方はやめなさいって何度言えば分かるの!?」

 彼女はテーブルを叩き、顔を真っ赤にして立ち上がった。バンデに掴みかかろうとするが、それよりも早く椅子を下りて逃げ出した。

(うしちち…)

 テーブルの周りをカッツカッツと蹄で軽快な音を立てて逃げるバンデと、ばたばたと追いかける彼女を眺め、的確なあだ名についつい感心してしまう。目まぐるしく揺れる彼女の胸は、大地の恵みを感じさせる。何か世界を救いそうなものを感じなくもない。

「あっ…はっ………も…待っ…!」

 しばらく追いかけっこは続いたが、音を上げたのは魔女の方だった。目を回し、テーブルに手をついてしゃがみこんでしまった。

 無事勝利を収めたバンデは、軽やかな動きで手足を動かし、リーファに声をかけてきた。

「おうペチャパイねーちゃん、サンドイッチごっそさんな!
 おれちょっくら町行ってくるから、そこのウシチチなだめといてくれよ」

(ぺ、ぺちゃぱい…)

 個人に対する正確な表現は、時に心を傷つけるものだ。昔に比べたら大分膨らんできたような気がしていたリーファだが、少年の及第点には遠く及ばないらしい。

 胸の大きさを指摘されショックを受けている間にも、バンデは横を駆け抜け外へ出かけて行ってしまった。蹄の足なら靴は必要ないようだ。

 魔女はまだ追いかける事が出来ずフラフラしている。何とか窓に顔を出せた彼女は、少年に聞こえるように大声を張り上げた。

「お、お客様に対してその言い方はなんですか…っ!
 か、帰ってきたらおしり百叩きですからねー!?」

 バンデには聞こえなかったのか聞く気はなかったのか、返事が来る事はない。
 ふと気になってリーファがテーブルを見やると、チョコレートファッジを入れた紙袋が無くなっている。あの量は食べ切れるとは思えないので、恐らくバンデが持って行ったのだろう。