小説
捨てられたもの、得られたもの
 姉さんは『飯が不味い』と最初に言ってはいたが、バンデの様子を見るに優先順位は低いようだ。
 また、『匂い』と『距離を置く』のは、どちらも同じ原因のような気がする。

「匂いか…私はそこまで気にならなかったけど、バイコーンっていう種族の問題もあるのかな…。
 …姉さんを避けるようになったのはそのせい?」
「それもあるんだけど…。
 最近さ、色々考えるんだ。昔のこととか、産みの親のこととか。
 おれ、こんなんだからさ。町行っても大人に煙たがられること多いんだ。
 エーリクのじーさんとか、石投げてくるんだぜ?」

 聞いた名前が出てきて、リーファはふと顔を上げる。

「エーリクさんって、昼間姉さんに会いに来てた…」
「じーさんも、息子のコーバスもロクなもんじゃねえよ。
 あいつらウシチチの体しか見てねえんだから…」

 スロウワーへ行った時に声をかけてきた老人の事を思い出す。
 小柄で白髪交じりな好々爺、という印象だったが、この話が本当なら、バンデの先行きが不安になってしまう。姉さんが縁談に乗り気でなかったのが、せめてもの救いか。

「姉さんと町に行った時は、町の人達と上手くやってるんだなって思ってたけど…やっぱりみんな、裏表はあるのね…」
「ウシチチの仕事にも、おれついて行ってやるんだ。こぶ付きなら、手ぇ出しにくいだろ?」
「…あなた、結構しっかりしてるのね…」

 どこか偉そうに胸を張るバンデを見て、つい感心の吐息が零れた。

 ただ、

(でも、体目当てなのはバンデも一緒よねえ…?)

 とも考えてしまう。

 もっとも知識が中途半端で、自身の性衝動と他人が言い寄る行為が同じだと思えないのかもしれないが。

「まあ町はいいんだ。どうでも。
 でも、さ。町の連中から色々言われるとさ、何でおれに角生えてるんだろ、腰から下ってこんななんだろ、って思うんだよな」

 そう言われ、リーファはバンデの下半身を見やる。

 四つん這いになる馬と二足歩行の人間との違いは、人間で言う所の足指から脛の間にある中足骨が馬は長いという点だ。大腿骨、脛の骨と同じ位かそれ以上の長さはあるらしい。

 今はパジャマに隠れて見えにくいが、バンデの足もバイコーンの特徴が色濃く出ているようだ。腰の尾は感情に合わせて揺れるし、歩けば蹄の音が良く響くし、どうしても目についてしまう。
 頭の角もさりげなく髪に隠してはいるようだが、成長すればどんどん伸びて行くだろう。

「バイコーンと人間のハーフ、だっけ?
 ウシチチも奴隷商人から何も聞いてなかったらしいし、考えるだけムダなんだろうけど…。
 でも、なんか気になるんだよ………すっげえ、すっげえ、イライラすんだ…。
 …どうしていいか、おれも分かんないんだよ…!」

 バンデは頭を抱え込み、髪をぐしゃぐしゃと乱し小さくなって唸っている。
 どこにもぶつけられない感情を、どこかにぶつけたくてもがいている。

 ◇◇◇

 ───小さい頃から、魂や亡霊のようなものは見えていた。
 墓地でなくても夜でなくても、人混みに交じって半透明の人影は常に目が追いかけていた。

 母に訊ねても怪訝な顔をするばかりで、友達に言っても変な顔をされた。
『リーファは変な子だ』と言われるようになると、友達と呼べる子は幼馴染のカーリンくらいしかいなくなっていた。

 成長するに従って、リーファの目には魂や亡霊以外のものも見えるようになっていた。
 見えたものが未来に起こり得る現実だとすぐに気付いたが、この事を話せばきっとまた『変な子』だと言われてしまうから、泣きながら黙っているしかなかった。

 これら一連の事象の正体を知る事となったのは、リーファが十五歳の頃だった。
 父エセルバートは、自身がグリムリーパーという種族である事と、リーファが人間とのハーフである事を教えてくれたのだ。

 その時はかなり腹を立てた憶えがある。『何でもっと早くに教えてくれなかったの!?』と、父に掴みかかったものだ。

 だが、母が亡くなり、学業を断念し、誰からも一定の距離を置いたあの時期が、一番適切だったのだろう。
 十五年もの歳月でずたずたになった人間関係は、これからグリムリーパーとしての責務を背負い生き続けるリーファにとっては、何ら関係がなかっただろうから───

 ◇◇◇

 自分のかつてを思い出し、リーファはバンデを見据えた。

(私は諦めた)

 恐らくどれほどもかかっていないのだろう。少年は今ももがいている。
 誰も通った事のない迷路に放り込まれて、出口があるのか不安になりながらも彷徨い続けている。

(でも…バンデは、まだ間に合うかもしれない)

 はあ、と溜息を零し、リーファはバンデに問いかけた。

「昔の事が分かればいい?」
「………あ?」

 声がかかると思わなかったのか、バンデが顔を上げてリーファを見つめて来る。

「私もね、ハーフなの。グリムリーパーっていうのと、人間のね。
 グリムリーパーの力は色々あるんだけど…。
 魂を刈り取って取り込んで、その人の記憶を読み取る事も出来るのよ」

 言っている事の半分も分かったかどうか。少年は眉根を寄せている。

「き、おく………?じゃあ、おれの昔のことも?」
「どこからどこまで読めるか、分からないけどね。───でも」
「…でも?」

 オウム返しで訊ねるバンデを見つめ、リーファは表情を潰して話を続ける。

「リスクはあるわ。
 さっきおしおきで、私はあなたの魂を刈り取ってしまった。
 刈ったって事は、あなたの記憶が欠損している可能性がある。
 そこを更に刈ろうとしたら…」
「…おれの思い出が、どんどんなくなるかも…?」
「大切な思い出はなくならないと思うけどね。でも、可能性はあるという事よ。
 ───どう、やってみたいと思う?」

 試すように問いかけると、バンデが俯いて考えている。

 少年を見下ろし、リーファはグリムリーパーの在り方に疑念を抱く。

(本当に、何でこんな力があるのか…)

 魂を刈りあるべき場所へ送るだけであれば、魂の記憶を読み取り改竄する力など必要はないはずだ。
 作業を円滑に進める為、集団に溶け込む為に便利ではあるが、グリムリーパーの生態を考えれば、無くても別に困らない技術とも言える。

 同胞ハドリーは魂の改竄を『自分達が飽きない為』と言っていたが、人間としての感性が強いリーファにとっては理解しづらい部分だ。

(私が混じりっ気なしのグリムリーパーだったら、こんな事考えないのかな───)

「………いいぜ」

 バンデの返事で、思考が現実に引き戻される。
 顔を上げれば、決意を定めた少年の瞳がまっすぐリーファを見つめていた。

「おれは、おれが何なのか知りたい。その為なら、何だって犠牲にしてやる!」

 その強い眼差しを見つめ返し、リーファは口元を緩めた。
 思えば、悪魔の契約のような意地悪な問いかけをしてしまったものだ。彼の心はとうに定まっていただろうに。

「いい返事ね。まあでも試しに、接触だけで読み取れるかやってみましょう。
 …こっちのソファに座って。
 ダメだったら刈るけど、痛みはないはずだから安心して」

 リーファは入り口側のソファに座り、人間の体からグリムリーパーを現した。人間の体はソファに横たわり、物を言わぬ抜け殻に成り下がる。
 バンデはのそのそと窓側のソファに移動していたが、いきなり現れた空色の甲冑の死神に見下ろされ、ぎょっとしていた。

「それ、が…グリム、リーパー?」

 リーファはテーブルを飛び越えてバンデの側に降り立つと、ソファに腰掛けて怯える少年を手招いた。

「そう。私のもう一つの姿、というやつね。
 ───さあ、来て。
 目を閉じて。体の力を抜いて。気持ちを楽にして」
「………………」

 緊張しつつもバンデはリーファの隣に座り、その身を預けてきた。寄りかかり、鎧の胸部に顔を埋め、震えを治めようとする。
 しばらく寄りかかっていたバンデだが、不意にリーファを見上げてぼそりと呟いた。

「ウシチチほどじゃねえけど、乳結構でけえんだな。…やべぇ、ムラムラしてきた」
「黙って寝ろ」
「いてっ」

 半眼で見下ろし空いていた手でデコピンを食らわせて、リーファもまた目を閉じて精神を集中させた。