小説
捨てられたもの、得られたもの
 ───どれほど経ったか。ある日、小屋を開ける者がいた。
 何度か見た細身の初老の男と、初めて見る小太りの髭の中年男だった。

「ほお、半人半馬とは珍しい」

 中年男は、鼻の下の髭を撫でながら自分をジロジロと見てきた。

「バイコーンと人間の合いの子だ。
 売り方は任せる。殺すなりばらすなりして、さっさと持って行ってくれ。
 もう見ているのもうんざりなんだ」

 細身の初老の男にそこまで見られた憶えはなかったが、言葉を交わすのも馬鹿馬鹿しい、くらいの感想は抱いたかもしれない。

「はっはっは、殺すだなんてとんでもない。
 こういうきれいな繋がり方をしたヤツは、好事家が欲しがるものなんですよ。
 まあ、買われた先で五体満足でいられるヤツなんていないんですがね。ひっひ」
「何でも構わんさ。
 …まったく、ゾエも馬鹿な女だ。あんな約束など無視して死なせておけばよかったろうに」

 初老の男がそう吐き捨てるのは、彼女が連れていかれてからも、定期的に食事が届けられていたからだろう。あのトレイの血文字には、何か頼み事が書いてあったらしい。

「じゃあ、こちらの契約書にサインをお願いしますね。
 そうそう、一応あれの名前も聞いておきましょうか───」

 用はないと言わんばかりに扉は閉められ、再び自分の周りは暗がりで支配された。

 ───そして幾ばくか時間が過ぎ、自分は小屋から連れ出される事となった。

 ◇◇◇

 奴隷商人の中年男は、むしゃくしゃすると殴ってくるやつだったが、食事は一日二食与えてくれた。
 体をすすいでくれて、身なりを整えてくれて、歯の磨き方を教えてくれて、食事のマナーを教えてくれて、文字も多少は教えてくれた。

「そこそこの商品はそこそこの状態で。良い商品は良い状態で、が俺のポリシーでねぇ。お前さんも文字や言葉を覚えていた方が、ちょおっとは長生きするかもしれんだろう?
 俺はより大金が欲しい。お前さんはちょっとでも長く生きたい。互いに好都合って話さ」

 そんな性格だったからか、奴隷市場はあちこち回った。
 花咲き誇る山間の町。
 海沿いの白い壁だらけの町。
 紅葉が美しい楽器の都。
 気が向くまま、目まぐるしく行先は変わった。

 そして市場に公開され、金を持っていそうな者が現れると、欲が出て高値を吹っ掛けてしまい断られる。そんな事が繰り返された。
 奴隷商人に向いてないんじゃないのか?と思ったけど、そこは黙っておくことにした。

 背がちょっとだけ伸び、意思の疎通が出来るようになった頃には、奴隷商人の手伝いをするようになった。

 奴隷たちの飯作り、荷物運び、買い出し、帳簿付け───
 奴隷商人から逃げよう、なんて気持ちは微塵も思わなかったからか、助手のような仕事はどんどん増えて行った。

 ◇◇◇

 そして。
 シュネルという町の奴隷市場で、休憩部屋と化した鉄の檻越しに彼女と目が合ったのだ。

 艶やかな黒い髪の、柔らかそうな体の女。
 奴隷市場に似つかわしくないほんわかした雰囲気の女だったが、品のある紅紫の双眸は母親を思い出し、とても惹かれるものがあった。

「随分身なりの良い子ねぇ………あのぉ、この子も奴隷なのですか?」
「やあやあ素敵なお嬢さん、こんにちわ。こいつが気になるんですかい?───」

 上機嫌で交渉を始めた奴隷商人は、なんと今まで提示してきた金額の半分の値で自分を売りさばいた。
 今回もダメかな。これ以上大きくなると売値下げるしかないよな。と町に入る前はそう思っていた奴隷商人との旅路は、何ともあっさり終わってしまった。

 笑顔の奴隷商人に見送られ、彼女に手を引かれながらも考えてしまった。
 もしかしてあの奴隷商人は、”高値で買ってくれる人”ではなく、”長く側に寄り添ってくれる人”を選んでいたのかもしれない、と。