小説
捨てられたもの、得られたもの
(このくらいかな…)

 知りたい記憶を粗方読み終えて、リーファは現実に意識を呼び戻した。
 外を見ればほんのり景色が明るくなっている。もう少ししたら朝の支度をした方がいいかもしれない。

(若い子だと、記憶は鮮明ね…)

 胸の中に眠っているバンデをソファに寝かせ、グリムリーパーの体を人間の体へと戻す。

 以前、老齢だった先王オスヴァルトの記憶を見た時は、見えるものも聞こえる音も濁っていて、とても読み解ける状態になかった。
 記憶の明瞭さは、年齢と関係があるのかもしれない。

(…エニルは、私の胎の中で、どれだけの思い出を抱えて逝ったのかな…)

 不意に、かつて胎の中で逝ってしまった我が子の事を思い出してしまう。

 バンデの記憶は、胎の中から始まっていた。
 どの位の頃から記憶を残していけるのかは分からないが、母親の喜びや動揺は、胎の子にもちゃんと伝わっていたようだ。

 あの時は見送る事で精一杯で、エニルの記憶を探るなど考えもしなかったが。

(バンデの記憶は、私の主観も入っていたと思うし…。
 エニルも胎の中では幸せだったって、そう想像するしか出来ないわね…)

「う…」

 呻き声と共に、バンデは目を覚ました。

 肉体とグリムリーパーの体を重ねる事で記憶を読み取る技術は、正しく教わったやり方ではない。
 出来るかも、と思ってやった方法だし、それによって何が起こるかも考慮していない。不調は多少なりともあるのだろう。

 体を起こし疲れた様子で左右を見回しているバンデに、リーファは声をかけた。

「大丈夫?」
「あたま…いてぇ」

 そう言って、バンデは後頭部を押さえて唸っている。

「…記憶を探られて疲れたのよ。少し休んだ方がいいと思うわ。
 話はその後でも───」
「いや、いい。………思い出した」
「…思い出した?」

 眉根を寄せ、怪訝な顔でバンデを見つめる。
 徐々に記憶がはっきりしてきたのだろう。バンデは体を震わし、自分が体験した事を思い出した。

「生まれる前のこと………生まれた後のこと………おっさんに引き取られた時のこと、………全部………思い出した。
 なんで、なんで、今まで忘れてたんだ………?なんで………」

 顔を押さえて考え込んでいるバンデを見て、リーファは先の光景を思い出した。

(自分だけが見ているものと思い込んでいたけど………一緒に追体験していたのね…)

 よく考えれば、魂の記憶を読み取った者に感想を聞いた事などなかった。
 だが、記憶の隅に封じ込めていたものをほじくり返されたのならば、本人が思い出してもおかしくはない。
 かなり長い記憶を読み取っていたから全て伝えきれるか不安ではあったが、バンデ自身が思い出したのならば説明は不要だろう。

「…どうだった?自分の記憶を掘り起こされた感想は?」

 リーファに問われ、バンデは少しの間考え込んだ。
 生まれる前の記憶も含めてだ。整理に時間がかかるのだろう。

 やがて少年はぼそりと、恐らく一番気にしていただろう話を口にする。

「………おれ、親に捨てられたんだと思ってたけど…ちがったんだな…」
「…そうね。
 お父さんは、あなたが生まれるのをとても喜んでいたし。
 お母さんは、最後まであなたを守ってくれた素敵な女性だと思うわ」
「なのに…!」

 歯ぎしりの音が聞こえてくる。バンデが悔しそうに、歯を食いしばっている。

「なんで………なんで、あいつらは、あんなひどいことできるんだ…!
 何も、殺さなくったっていいじゃねーか…!
 閉じ込めなくてもいいじゃねーか…!!」
「…そうね。
 魔物を嫌う土地だったとしても、あんな風に死なせる事は無かったと思うわ」
「あんなの…どうしたら良かったんだよ………あんなの!!」

 俯いて顔を覆い、泣きそうになっているバンデを見つめ、リーファもまた先の記憶を思い出す。

 バンデの母親は、良い所のお嬢さんだったのかもしれない。
 家族は、蝶よ花よと育てた娘が一頭のバイコーンに誑かされてしまった、と感じただろう。
 バイコーンを殺せば、子供が死んでしまえば、何事もなかったかのように元の娘に戻る。家族は、そう甘く見ていたのかもしれない。

 しかし、彼女はそうならなかった。
 愛した人がいなくなっても、生まれた子を死ぬまで守り続けた。
 バンデに言えるはずもないが、母親の強固な信念は、彼女が死ぬまで許さなかった家族と繋がるものを感じた。

 駆け落ちが成功していれば、家族が理解を示していれば、と思わずにはいられないが。
 全ては終わった話だ。

「殺してやる…!」

 ぼそりと呟かれた言葉は、少年が放ったとは思えない程毒々しい殺意だった。
 見ればバンデの顔には涙と憤怒で彩られ、向かうべき道を求めて彷徨っていた目には明確な目標が宿っていた。

「あいつら全員皆殺しにしてやる!
 父さんと母さんを殺したやつらなんて!
 みんな、みんな、みんな───!」
「殺して、そのあとはどうするの?」
「!」

 淡々と抑揚のない口調でリーファが問いかけると、バンデは怒りの中に僅かな戸惑いを覗かせた。

 リーファは真っすぐにバンデを見つめた。
 怒るでもなく、笑うでもなく。真剣な眼差しで、決意を定めた少年を正視した。

「ここへ戻ってくるの?」
「そ、そりゃあ…」

 そこまでバンデは声を上げるが、そこからは何も言えず、黙り込んで俯いてしまう。

「私は、バンデに過去を見せた責任がある。だから、忠告はしておくわ。
 ───もし敵討ちをする為に出るっていうなら、ここへは戻ってこないでほしいの」

 提案というべきか忠告というべきか。
 リーファの言葉に、バンデは顔を上げて不満そうにしている。

「…何でだよ」
「だって、姉さんになんて話をするの?部屋替えだってロクに提案できないのに、『産みの親を殺した奴らを皆殺しにしてくる』って言える?
 それとも、姉さんに黙って出ていく?
 そんな事したら姉さんがどう思うか、バンデならよく分かってるんじゃないの?」
「………………」

 畳み掛けるような質問に、バンデの気持ちがどんどん消沈していくのが見て取れる。
 でもバンデが成したい事があるなら、最初の壁はどう考えても姉さんの存在だ。