小説
捨てられたもの、得られたもの
「女性の一人暮らしはとても心細いの。
 困った時に誰にも頼れないし、楽しかった事を誰にも話せない。
 姉さん、バンデがいなくなったら、寂しくて、悲しくて。
 …もしかしたら、体目当ての悪い男に、言い寄られちゃうかもよ?」
「そ、それは!」

 冗談半分で言ってみたが、バンデはハッとして顔を上げた。
 そして再び俯き、苦々しく悔しそうに歯噛みする。

「それは、いやだ…!」

 素直な気持ちを吐き出すバンデの姿を眺め、リーファは姉さんに対するバンデの気持ちを考える。

(これは…町に彼女はいなさそうね…)

 バンデが姉さんを”母親”として見ているのなら、姉さんと距離を取るのは自然な流れと言えた。昼間の言動は、まさに母親から離れようとする子供の姿だった。
 だが今の会話を聞いていると、他の男に取られたくないという意思も働いているように見える。

 考え方がごちゃまぜになっているのは、複雑な年頃の子にはよくある事かもしれないが。
 しかしここまでの執着を持って、異性として見ている他の女性の存在はちょっと感じにくかった。

『───これはマーキングだ。お前が私のものであると、お前にも、周りにも示す証だ』

 アランが時折囁く言葉だ。
 彼はそう言って、自分の匂いをこすりつけるように肌に触れてきたり、あちらこちらにキスマークをつけるのだ。

 バンデも、姉さんの側にいる事で、自分のものであると主張しているのかもしれない。

「まあ、それは置いておくとしても…。
 敵討ちに行くなとは言わないから、先に色んな準備をして欲しいと思うの。
 そもそもお母さんの家族がどこに住んでいたのか、バンデは分かった?」
「………………」

 肩を落としたまま、バンデは静かに首を横に振る。幼かっただろうから、あの光景がどこのものかは分からなかったようだ。

 リーファは立ち上がり、バンデのソファの隣に腰掛けた。勢いをつけて座ったものだから、座っていたバンデがソファの上で軽く跳ねる。

「うん。私も、ちょっと心当たりはなかったわ。
 だから、どうしたいにしてもまずは情報収集よ。
 敵討ちをするなら、相手を殺す手段も考えないといけないし。
 万全に、準備はしないとね」

 上機嫌に話を進めていくリーファを見て、バンデが怪訝な顔をしている。
 もしかしたら彼は、リーファが止めてくれるのを期待していたのかもしれない。

「…リーファ」
「うん」
「リーファがもしウシチチだったとしてさ。
 …もしおれが、かたきうちに行きたいって言ったら、どうする?」
「私だったら、手伝うわ」

 考える事もなく、迷う事もなく、言い淀む事もなく。
 あっさりと即答するものだから、バンデが変なものを見るような目でリーファを覗き込んでくる。

「私だって、殺してやりたい奴の一人や二人いるし。
 居場所が分かってるなら、今からでも行って殺したいと思うもの。
 それなのに、バンデには『ダメ』って言えないじゃない」
「…リーファのは、場所わかんねえんだ?」
「ある日いきなり、家族まとめていなくなっちゃったからね。当時は、対抗手段なんて持ってなかったし。
 でも、もしふらっと目の前に現れたら…そうね。
 まずは魂刈って殺して、体は灰になるまで燃やして川に流してやるわ。
 魂も刻んでそこら辺にばらまいて、救済なんてしてやらないんだから」

 微笑すら浮かべてやる気満々で言ってみせるものだから、バンデがたまらず噴き出した。

「…ぷっ。はっはっはっはっはっはっ」

 割と本気に言ってみたのだが、冗談に聞こえたのだろうか。ソファに寝そべってひとしきりバンデは笑うと、目尻に涙を浮かべた顔を上げてきた。

「…リーファも結構、うらみたまってんのなー。
 殺したら、帰んない方がいいんじゃねーの?」
「そうね。そこは、お仕えしてる方にちゃんと報告しないとね。
 それでも側に置いてもらえるならそれでいいし、出てけと言われたら出ていくわよ」

 そう言ってみせながら、アランの反応を思い浮かべる。
 笑って側に置くか、失望して放逐するか。

(アラン様なら…何となく、笑って側に置いて下さりそうなのよね…)

 その方が容易に想像できるからなのだが、一方で後者であって欲しい、とも思ってしまう。
 生まれて来る子の事を考えて、産みの親の心はまっさらであって欲しい。
 憎い相手の魂を刈りたくてうずうずしているような、性根の腐った胎は避けて欲しい。
 そう思ってしまうのだ。

(私に失望してくれたら、正妃様選びも捗るのかな…)

 いっそ打ち明けてみるのもありかもしれない、と思っていると、妙に物静かだと気が付いてバンデを見やる。

 少年は黙り込んでテーブルを見下ろしていた。笑ってもおらず、眠くなった訳でもないようだ。
 ただ、先の事を思い返しているように見えた。

「バンデ?」

 呼びかけると、バンデはびくりと体を震わせた。
 しかし心を落ち着けるように深く息を吐くと、俯いたままバンデは口を開いた。

「………かたきうちは、したい」
「…うん」
「でもウシチチには話しておきたい。
 …できれば、帰ってきたい」
「うん」
「だから、もっと強くなりたい」

 何とも欲張りな目標ではあった。
 でも迷路で足掻き迷っていた少年は、ようやく行きたい道を見つける事が出来たように思う。

「…うん、いいんじゃない?姉さんは魔術師として優秀だし、きっと頼りになるよ」
「…リーファの殺したいやつ、見つかるといいな」
「バンデが殺したいやつらも、ね」

 目標を定めた少年は、顔つきが男らしくなり、ほんの少しだけ背が伸びたような気がした。

 握り拳を作ってこちらに向けてくるものだから、リーファも同じように拳を作ってバンデの前に掲げてみせた。
 友達との挨拶のようなものなのだろう。似たような目標を掲げたふたりの拳は、ごつ、と音を立ててかち合った。

「奴隷商人のおっさん、いいやつだったな…」
「そうだね。何か、姉さんと引き合わせてくれたみたいだったね…」

 バンデとの思い出話は、もうちょっとだけ花が咲く。
 窓から見える景色は、少しずつ日の明るさを増やしていく。