小説
捨てられたもの、得られたもの
 三人でコーヒーを飲み、昨日買ってきたポルボロンを食べて一旦休憩をすると、姉さんはちょっとずつ落ち着きを取り戻していった。
 姉さんは、冬場向けのストールで肌を隠すように覆っている。リーファに指摘されてさすがに堪えたようで、暑そうだがそのままで過ごすのは気が気でないようだ。

「そ、それでさっき言っていた皆殺しというのは…?」
「あ、はい。
 バンデがここに来る前までの事を気にしていたようだったので、私のグリムリーパーの力を使って、バンデの幼い頃の記憶を探ってみたんです」
「あ………」

 事情を知らずとも察したのだろう。姉さんの表情が翳り、菓子に伸ばす手が止まる。
 自分の机に置いたポルボロンを平らげ、バンデは立ち上がり姉さんに詰め寄った。

「おれの父さんと母さんは、母さんの家族が殺したんだ。
 おれはかたきうちがしたい」

 真っ直ぐに彼女を見据えたバンデに、迷いというものはない。

 少年の真剣な姿に、姉さんは口を開けて驚いているように見えた。目を伏せ、何かを考えている。
 やがて彼女は目を開けて、毅然とした態度で答えた。

「…駄目よ」

 突き放すように告げられた彼女の言葉に、少年の目が大きく見開かれた。

「そういう理由なら、魔術は教えない」

 姉さんの冷淡な態度に、バンデは食って掛かった。

「な───なんでだよ?!さっきまで乗り気だったじゃねーか!」
「魔術は…人を守る為のものよ。人を、害するものではないわ」

 一見至極真っ当な理由を突きつけられ、何も反論できずにバンデは黙り込んでしまう。

 けんもほろろな姉さんに、リーファは横から口を挟んだ。

「姉さんは、人を守る為に師匠に弟子入りしたんですか?」

 リーファの方を向く姉さんの表情は暗い。怒りすら籠る声音で、リーファに説いてくれる。

「ええそうよ。
 このエルヴァイテルトでは、”外海の覇王”と呼ばれる海の魔物を抑え込む為に、国内外問わず魔術師をかき集めてる。
 わたしはこの国の魔術学校に入れなかったから、自力でターフェ様を探して弟子入りしたの」

 リーファは、ラッフレナンドにおける魔王軍のようなものを想像する。
 単体の魔物か、あるいは種族なのかは分からないが、海に面しているエルヴァイテルトにとっての脅威なのだろう。

「国防の為に師匠の弟子になったのに、何故ここで何でも屋を?」

 素朴な疑問を投げかけると、姉さんは露骨に嫌な顔をした。どうやらあまり触れて欲しくない事情だったらしい。

「…い、色々ダメだったのよ。わたしの事はどうでもいいでしょう?
 とにかく、人を傷つける為に魔術を習いたいなら、この話はおしまい!」

 腹立たしげに彼女は席を立ち、リーファからもバンデからもそっぽを向いてその場を離れようとする。

 キッチンの方へと歩いて行こうとする彼女に、バンデは不貞腐れた顔で呟いた。

「ふーん…じゃあいいよ。リーファに頼んで教えてもらうよ」
「えっ」
(え)

 姉さんは声を上げ、リーファは出かかった声を頑張って抑えた。

 姉さんが背を向けて固まっている中、バンデはリーファに詰め寄ってきた。

「なあリーファ、いいだろ?
 リーファは殺したいくらい憎いヤツいるって言ってたし、さくっと殺せる魔術知ってるよな?」

 バンデは右手で姉さんの背中を指差し、左手を口元に持って行って開いたり閉じたりしてみせる。どうやら話を合わせて欲しいようだ。

「…そ、そうねえ…。私が使える、人を殺せる力はグリムリーパー由来のものだから教えるのは難しいけど…。
 お城に戻れば、師匠が持っていた魔術書も、魔術を吹き込んでる術具もあるし、基礎を教える事くらいは出来るかな…」
「ちょ、ちょっと、ねえ?」

 リーファが前向きな話をしだすと、艶やかな黒髪を揺らして姉さんが慌てて近づいてきた。

「お、まじか?やったぜ!お城入っていいか?」

 おろおろしている姉さんを無視して、バンデはわざとらしく陽気にジャンプしてみせる。

「え、え、え?」
「そこは相談してみないと分からないけど…。
 部屋はいっぱいあるから、陛下にお願いすれば住まわせてもらえるかも?
 駄目なら駄目で、城下の私の実家に───」
「ダ………ダメーーーッ!!!」

 耳をつんざくような大声量をあげて、彼女はリーファに掴みかかった。

 ───ダンッ!

「!?」

 襟を掴まれた拍子に、背中から黒板に叩きつけられる。頭こそ打ちつけなかったが、粉受けに腰が、板面に背中が当たり、眉を顰める程には痛い。

 押さえ込まれてはいるが、彼女を振りほどけなくはない。それほどに、胸倉を掴んでくる姉さんの手はか細く震えていた。
 俯いて顔は見えないが、どうやら泣いているようだ。

「お願い…お願いだから、バンデを連れて行かないで…!
 ひとりは…ひとりは嫌………ひとりにしないでぇ………っ!!」

 彼女が泣きじゃくる様を見下ろし、リーファはようやく、姉さんが孤独を極端に恐れている事に気が付いた。
 そして、バンデがそれを見越して三文芝居をしてみせた事も。

(じ、女性を泣かす才能のある子ね…!)

 リーファは、姉さんの肩の向こうにいるバンデにジト目を投げかけた。
『女性を泣かすのよくない』と口パクと表情で訴えると、少年は両手を重ねて申し訳なさそうに頭を下げた。

 リーファは溜息を吐き、スカートのポケットからレースのハンカチを取り出す。

「お願いをする人を間違えてますよ、姉さん。
 あなたが話をしないといけないのはバンデでしょう?
 彼の言い分を、ちゃんと聞いてあげて下さい」

 ぐずぐずと泣いて震えている姉さんにハンカチを差し出すと、彼女はそれを取って頬に伝った涙を拭う。
 リーファは彼女の背中を撫で、バンデと向かい合わせた。