小説
捨てられたもの、得られたもの
 次の日、リーファは昼よりも少し前に姉さんの家を発ち、ラッフレナンドへ戻って来ていた。
 姉さんの家周辺の空はやや雲が多かったが、ラッフレナンド城下周辺は雲一つなく、日の光がじりじりと大地を照らしていた。

 汗ばみながら城下側の鉄柵扉まで到着すると、顔見知りの衛兵がこちらに気付いた。入城チェックを受けている人達の横を抜け、石橋へと通してもらえる。

 日の傾きを見るに午後に差し掛かった頃のようだが、人の行き来は変わらず多い。朝一番の来城者は今くらいの時間が退城時刻になるから、この賑やかさは納得だ。

 城壁門でも入城チェックは行われているが、こちらもリーファには関係がない。
 衛兵たちに挨拶をして門を通過すると、品のあるメイドの姿を捉える事が出来た。シェリーだった。

「只今戻りました。シェリーさん」
「お帰りなさいませ、リーファ様。
 …まあ、どうされたのです?こんなに木の葉をつけて」

 シェリーは呆れながら、リーファの頭の上の葉っぱを払い落としてくれる。
 子供のように身だしなみを正されてしまい、リーファは恥ずかしくなってしまった。

「こ、ここへ戻ってくる間に、ヤブに突っ込みまして…。
 頑張って払ったんですが、全部は払いきれなかったみたいですね…」

 苦笑いと共に、リーファは数十分前の出来事を思い出す。

 ”橋渡しの腕輪”の力でラッフレナンドへ戻ってきたのだが、着地地点となっていた南の山の中腹は草木が大繁殖していて、身の丈以上もある植物に埋もれての帰還となってしまったのだ。
 着地地点を示す円盤は人の目につかない場所に設置しているので仕方がないのだが、さすがに獣道は作っておきたい。
 魔術で草木を刈り取りながら何とか山を下りる道を作ったのだが、その際に服や頭に葉っぱや枝をくっつけてきてしまったようだ。

 シェリーは、頭や背中の木の葉を払いながら悩ましげに唸っていた。

「お荷物は、執務室で陛下にお預かり頂いておりますの。
 身だしなみを整えてからと思いましたが…」
「すぐに出掛けますから、最低限葉っぱだけ払ってお邪魔しようかと。
 出来るだけ早く戻って来たいですから」
「…そうですね。そちらの方が、陛下もお喜びになるでしょう。
 では、ご案内致します」
「はい、よろしくお願いします」

 シェリーに頭を下げ、一緒に執務室へと向かっていく。

 ◇◇◇

 シェリーの先導で執務室に入ると、いつもの顔ぶれがリーファを出迎えてくれた。

「失礼致します。リーファ、只今戻りました」
「やあお帰り。リーファ」

 愛想の良いヘルムートは、執務机の隣に立っていた。亜麻色の髪によく似合う、灰色のハンチング帽を被っている。

「こんにちわ、ヘルムート様。素敵なお帽子ですね」
「ん、ん、ん。そ、そう?
 ミアに見繕ってもらってね。僕も気に入ってるんだ」

 照れ恥ずかしそうに喉を鳴らし、ヘルムートはリーファから視線を逸らした。

(…そういえば、ハゲが出来てるとか言っていたっけ…)

 ハゲ隠しを理由に被っているのならば、話題に出すのは野暮だったかもしれない。しかし目につくのに何も言わないのも考えものだ。

「りーふぁ、おかえりー」

 ラザーは、執務机の側の茶色いトロリーバッグの上に座っていた。
 象牙色のフード付きマントで体を覆った蔓の使い魔は、ぴょん、と跳ねて床に下り、リーファの胸に飛び込んできた。

 ラザーを抱きとめて、リーファは問いかけた。

「ただいまラザー。良い子にしてた?」
「うんっ。みずまき、くさむしり、おそうじ、かんぺき!」
「うんうん。えらいね」
「へへへ」

 蔓や葉をわさわさ動かして笑うラザーを、フード越しに撫でる。

 扉を閉めたシェリーが、リーファの側へ寄ってきて教えてくれる。

「ラザーには、里親の下へ行く事はお伝えしてありますわ。
 挨拶回りも済んでおりますので、いつでも発てます」
「ありがとうございます、シェリーさん。助かりました」

 シェリーに感謝しつつ、リーファは執務机の方をちらりと見やる。

「それで…」
「ええ…」
「うん…」

 シェリーとヘルムートも、同じ方向を眺めた。

 アランは、椅子に座っていた。
 背もたれに身を預け、ひじ掛けに腕を垂らし、美しい藍色の双眸は開かれる事なく、口を薄っすらと開けて規則正しい呼吸を繰り返している。

 ベッドでは良く見る姿だが、椅子にもたれて、という光景はリーファも見るのは初めてだ。
 うたた寝、という生易しいものではない。これだけ会話をしていてもピクリともしないあたり、すっかり夢の世界へ旅立ってしまったらしい。

 ヘルムートは手で顔を覆って、大きく溜息をついた。

「午前中はギリギリ起きていられたんだけどねえ…」
「これは…起こした方がいいんでしょうか…?」
「起こさないと怖いような気がするけど…」
「叩き起こされると機嫌が悪くなりますものね…」
「リーファ、君昨晩何してたの?」

 責めるように問われ、「う」とリーファは言葉を詰まらせる。

 システム改修の際、側女の部屋の防音を見直した結果、アランとリーファの会話は殆ど外に漏れなくなっていた。
 普通の人間以上に多くの音を拾うヘルムートの”山彦の耳”も例外ではなく、天蓋のカーテンを閉じている時は、何か会話はしているけど内容は聞き取れない程度に抑えられているらしい。

「あ、姉弟子さんの服を、アラン様に見せながら抱いて頂いて…。
 一通り見せ終わっても、『もう一度最初から』と言われてなかなか帰してくれなくて…。
 結局朝方、ようやく解放してもらったんです…」
「あー…なるほど…」
「『ネグリジェを作らせろ』とごにょごにょ言っていたのはそういう…」

 どうやら面倒な事を言われたらしく、シェリーも呆れ顔で溜息を零している。

 何にしても、今のリーファはラザーと荷物を取りに来ただけだ。
 帰ってくるつもりで自分の荷物は全部持って来てあるし、多少遅くても今日中にアランと顔を合わせる事は出来る。

 部屋の柱時計を見ると、おやつの時間に近い時刻を示していた。姉さんの家を出た時は昼前だったし、ここまで何時間も歩いた覚えはないから、何だか奇妙な感覚だ。

 リュックサックを下ろして開けて、箱詰めした菓子を取り出しそれをシェリーに手渡した。

「出来るだけ早く戻りますので、アラン様が起きたらそうお伝えください。
 これ、お土産のポルボロンです。おやつにでも」
「…しょうがないね」
「ありがとうございます。お預かりしますわ」

 箱を預け、リーファはもう一度アランを眺めた。
 自分の主は、まだまだ目覚めそうにない。