小説
捨てられたもの、得られたもの
「見て分かったでしょう…?
 わたしは、生まれつき”道の数”がすごく少なくて。
 ”総量”も”集中力”も十分すぎる程あるのに、”道の数”だけが殆どないから、全く魔術が使えなかったの。
 …ターフェ様は、いつも呆れていたわ。何度『魔術の道は諦めろ』って言われたか…。
 ターフェ様のもとを離れて、国家魔術師の試験を受けたのだけど…。
 補助具の使用を認めていない実技だけはどうにもならなくて、落ちてしまったのよ…」

 悲壮感の籠った姉さんの述懐に、リーファは眉根を寄せた。

(…師匠が、そんな事を…?)

 ターフェアイトは、よく『魔術を扱えない人間なんていない』と言っていた。
 それは、『人間を構成する全ての要素は、魔術を使用するのに向いている。多少の不足は、工夫次第でいくらでも補える』という持論からだった。
 それを、彼女に対しては『魔術の道は諦めろ』と言い捨てたというのは、ちょっと考えにくい。

「そんな時に声をかけて下さったのが、国家特級魔術師のゲラーシー様だった…。
 あの方は、『付き人に資格は必要ないから、自分について経験を積むといい』と誘って下さったの。
 …ゲラーシー様は、わたしの欠点を理解して下さったわ。
 血と、髪の一房を引き換えに、”道の数”を一気に増やすブレスレットを授けて下さって…。
 ゲラーシー様のお側にいないと効果が現れないと言われていたから、わたしはゲラーシー様の付き人として、色んな場所へ行って手伝いをしたわ…」

 リーファは、石板のソースコードの下方へと目を向けた。
 この契約は石板の宝石を外す事で、恩恵の有効と無効を切り替える事が出来るようだ。

(多分、血と髪を使って、委任という形で契約にこぎ着けたのね…。
 そしてブレスレットに信憑性を持たせる為に、姉さんが離れた時に恩恵を無効化していた…)

 どこまでも周到だ。手馴れているとまで思え、怒りを通り越して感心すらしてしまう。
 それだけ、姉さんに執着していたとも言えるのかもしれないが。

「でも………あの日、ゲラーシー様のお屋敷で…わたし…!」

 涙を瞳に溜め言葉を詰まらせる姉さんに、リーファは声をかけた。

「…姉さん、無理して話さなくてもいいんですよ…?」
「お願い、話をさせて………吐き出させて…!」
「…姉さんが、そう望むなら」

 リーファ自身、正直聞いていたいとは思わなかったが、今の彼女には心の内に沈んだ澱を捨てる場所が必要なのだろう。

 リーファがポケットからハンカチを取り出して差し出すと、姉さんはそれを手に取って、頬に伝う涙を拭った。

「…あの日はお屋敷で、本の片付けを終えたら帰るつもりだったの。
 でもわたし…気が付いたら、服を着てなくて………ゲラーシー様の、寝室に。ベッドに、いたわ。
 ゲラーシー様は、わたしに愛人になるよう、迫ってきたの…」

 大方、リーファが予想した通りの流れだ。口の中で唇を噛み、静かに頷く。

 姉さんは瞳の中に涙を溜め、それでも薄く笑みを浮かべた。

「わたしね、ちょっとだけ、それもいいかなって、思ったわ。
 ゲラーシー様から離れたら、わたし、無能だから…何も出来ないから…って。
 でも…でも、ね。いざとなったら、体が、震えて。すごく、怖くなって…。
 …とっさに、側にあった花瓶で、ゲラーシー様を、なぐってしまったの…」

 はあ、と彼女の吐息が零れた。両手で顔を覆い、肩を震わしている。

「動かなくなったゲラーシー様を見て、過ちに気が付いたわ…。
 治療をするべきだったのに、謝るべきだったのに、気が動転してしまった。
 怖くて、すごく怖くなって、わたし、その場から逃げ出したの…!」

 リーファはベッドの縁に座り直し、嗚咽を繰り返す彼女の背を優しく撫でた。

「遠くへ、逃げたわ………中央から、西に、東に。
 その途中で、ゲラーシー様が亡くなったと、風の噂を聞いて。
 殺してしまったんだ、もう戻れないんだって思ったから、思い切って北に飛んで、ここを住処に決めた。
 しばらくは独りで過ごしていたんだけど………ある日を境に、夢を見るようになって…」
「…夢?」
「うん………ゲラーシー様に追いかけられる、夢。
 どこまでも追いかけて、押し倒して、何度もわたしを罵るの。『恩知らずが』って…『目をかけてやったのに』って…」

 三日間見てきてバラバラだった彼女という存在の特徴が、少しずつまとまっていくような気がした。
『ひとりでいると気持ちが不安定になる』原因は、ここに端を発していたのだと。

「…それでバンデを…」
「バンデが側にいてくれると、すごくホッとするのよ…。
 あの子が守ってくれているんだって、わたし思ったわ」

 何となく扉の先を見てしまう。もう陽気な歌は聞こえてこない。
 そこまで壁が厚い訳ではないようだから、大人しくしているのか、別の部屋に行ってしまったか。
 あるいは、聞き耳を立てているのかもしれないが。

 姉さんに顔を向ければ、彼女は幾分か平静さを取り戻していた。目は少し腫れているが、潤んだ瞳からは涙は零れず、代わりに鼻をすすっている。

「バンデには幻滅されてしまうわね…。
 あんな大層な事を言っていたわたしが、人を殺していたのだから…」
「…それはどうでしょうね。
 バンデだって言ってたじゃないですか。『自分を守りたいから魔術を教わって、敵討ちに行きたい』って。
 姉さんだって、姉さん自身の心を守りたいから花瓶を取ったんですよ」

 ぎし、と壁の向こうで音が鳴った気がした。どうやらバンデは壁に張り付いているらしい。

「…でも、今ここにバンデがいないのは、あの子の意思なんです。
『まだ自分は昔の事を話せてないから』って。
 だから、気持ちの整理がついたら、ちゃんと話してあげて下さい。
 …大丈夫、懐の深い良い男ですよ。バンデは」
「そう、ね…」

 姉さんもバンデが張り付いているのは気づいたようだ。やや悲しげに、苦笑いを浮かべた。