小説
捨てられたもの、得られたもの
 リーファはベッドの縁に移していたサークレットを、姉さんに差し出した。

「…これ、は?」
「この間の呪いを解いた時に出てきた、”道の数”を増やすサークレットなんです。
 元々はカールさんが作ったものなんですが、後から師匠が手を加えています。
 恐らくですが、姉さんの為の補助具かと。どうぞ、もらってやって下さい」

 目をキラキラさせて、姉さんはサークレットを手に取った。うっとりと、その意匠を眺めている。

「素敵………でも、ターフェ様が…何故…?」
「これは私の推測なんですけどね。
 師匠は、姉さんが魔術に頼らない魔力の使い道を見つけてくれるのを、期待したんじゃないかなって思うんです。
 でも、姉さんがこんな形になってしまったと知って………負い目もあって、私にこの補助具を持たせたんじゃないかなって」

 ほう、と溜息を零す姉さんの面持ちに、憂いが帯びる。瞳の奥に煌めきが揺らめいている。

「”道の数”は、肉体から外へと魔力を通す道なんですから。魔力の残りやすい物………例えば、髪の毛や血を使った術具を作る手もあったと思うんです。
 素質に合わない魔術よりも、もっと自由な発想を持って欲しかった………と、私が師匠だったら、そう思います」
「た、確かに…ターフェ様も、そんな事を言っていた時はあったけれど…」

 思っていた通り、ターフェアイトからはちゃんとアドバイスは貰えていたようだ。
 しかしそこは、彼女が目指すものとは違ったのだろう。

「薬草にばかり目を向けていた私に、花雑貨を提案してくれたのは姉さんですよ?
 契約に頼ってしまったのは仕方が無いにしても、自力で魔力を扱う手段を考えても良かったと思います」

 人に向けて言ったアドバイスが自分に返ってきて、姉さんはようやく気が付いたようだ───自分を客観的に見る力に欠けていた事を。
 サークレットに目を落とし、彼女は静かに溜息を吐いた。

「本当…本当に………わたしったら口ばかりね…。この補助具は、さしずめ残念賞…と言ったところかしら…?
 …結局わたしは、ターフェ様の期待に応えられなかった…」

 肩を震わせ、姉さんが落胆と共に俯く。頬にまた涙が零れ落ちて行き、彼女は握りしめたハンカチで口元を押さえた。
 ───その時。

「「いい加減にしろこのスカタンがっ!!!」」
「!!??」

 部屋に───正確にはリーファと姉さんの側でいきなり湧いて出た声に、姉さんは勿論リーファもびっくりした。

 横殴りの暴風のような。雲もないのに発生した雹のような。避けようもない災害のような女性の声音だ。

「「どぅしてあぁんたは昔からそぅ───」」

 ヒステリック且つ傲岸不遜な声の主は、更に何事かをまくしたてようとした───が、そこまで言って急に声が小さくなっていってしまう。
 やがて、部屋は完全に沈黙した。もう外の雨音の方が賑やかな位に、部屋からは何も聞こえなくなる。

「………え?え?な、何?今の」

 唐突な声の乱入で、むせび泣いていた姉さんもさすがに涙が引っ込んだようだ。ハンカチで目元を拭い、しん、と静まり返ってしまった部屋を見回すが、当然リーファ以外に誰の姿もない。

 リーファは額を押さえ、溜息を吐いた。それなりに全力で声を張り上げたようだが、途中で力尽きてしまったらしい。

「…ちょっと失礼」

 リーファはそう言って、姉さんからサークレットを取り上げた。

 急に手元から離れて行ったサークレットを、姉さんの目が戸惑った様子で追いかける。しかしリーファの振る舞いから何かを察したようで、声を発する事はない。

「何か言いたい事、ある?」

 サークレットを手の中で弄び、リーファは目を細めて”それ”に問いかける。ほんの少し怒気を孕ませて、ほんの少し笑いを堪えて。
 銀製の装飾品は、何の変化もなく、何も発さない。それが普通なのだ───が。

「…話したいなら話したいって、最初から言えばいいのに…全く」

 魔術師としてではない。グリムリーパーとして、リーファはサークレットに向けて”それ”に具現化を促した。
 リーファの両手に光が帯び、持っていたサークレットにそれが伝わる。

 やがて、ふ、と親指の先程度の白い綿のようなものがサークレットから剥離して、リーファの手の内に収まった。緩やかに細長く形を変え、手のひらサイズの人の形を成していく。
 濃鼠色の豊かな髪、赤紫色のワンピースを着た蠱惑的な女性のような”それ”は、バツが悪そうにリーファの手の上で頭を掻いていた。

「…お、おう」
「た…た、た………ターフェ、様…!?」

 姿形は子供がおままごとに使う人形サイズだが、その姿は生前のターフェアイトその人だった。

「り、り、リーファ!こ、これ───!?」

 姉さんはぷるぷる震える指で小さいターフェアイトを差し、顔を真っ青にしてリーファを見つめてきた。

 取り乱している彼女を宥め、リーファは苦笑交じりに説明をする。

「呪いは、魂の一部…残留思念が、エネルギーになっているんですよ。
 例の呪いを解いた時に、取り付いていた残留思念がサークレットについてきていたんです」

 そしてリーファは、手の中でふんぞり返っている我が師を呆れながら見下ろした。

「…普通はこんな風に会話できるものじゃないんですけど、まあ師匠ですからねー…」
「もうちっと褒めなさいよアホ弟子ー!」

 手の中でぴょんぴょん跳ねている師匠の気性は、記憶にある生前よりもやや荒い。小さい上、人としての力は皆無と言ってもいい。気張らないとやっていられないのだろう。

 ふと、不意に視界に何かが遮ったと思ったら、姉さんが感激した様子で具現化したターフェアイトをむんずと捕まえていた。
 顔を真っ赤にして涙をぼろぼろ零し、ターフェアイトを頬ずりをし始める。

「ああ、ああ!ターフェ様!ターフェ様ぁ!」
「あんたもだ!ベタベタくっつくな!!」
「はあ、はあ、懐かしい…ターフェ様のにおい…」
「においなんてあるか!っつーか気持ち悪い!!」

 姉さんは再会をしきりに喜んでいるが、ターフェアイトは姉さんの頬と手のひらに挟まれて圧死しそうだ。まあただの残留思念なのだから、既に死んでいるのだが。

(やっぱり、師匠がサークレットを導いていたのね…)

 生温かい目でふたりを眺め、リーファはターフェアイトの技量をしみじみと痛感した。

 ───ラッフレナンドに向かう前に、ターフェアイトは姉さんが良からぬ状況に晒されていると気が付いたのだろう。

 素質不足の兵士を口実に、リーファとカールに素質強化の補助具を作らせ、出来が良かった方を加工して。
 呪いをかけた胸像にサークレットを潜ませ、手紙をカールに見つけさせた。

 残留思念に意識を残せる自信はあったのだろう。普通ならあり得ない話だが、ターフェアイトは別格だ。

 そしてサークレット内のターフェアイトの残留思念は、リーファが一旦ラッフレナンドへ戻ってくると知り、荷物を預かるアランに命じたのだ。

『サークレットを荷物に隠せ』、と。

 ラッフレナンドへ戻った際にアランが寝入っていたのは、この残留思念の所為もあったのだろう。
 一時的とは言え、残留思念に体を乗っ取られたのだ。寝不足のアランには相当堪えたはずだ───

「ったく馬鹿弟子がっ!
 あんたはなんで昔っから都合のいい───いや悪いトコばっか自己解釈するんだい!
『魔術の道は諦めろ』?そんな事アタシは言ってないよ!?」

 キスでもしようとしていたのか。姉さんの唇を両手で押し返しながら、ターフェアイトは反論している。

「え?え?え?で、でもぉ」
「アタシは、『型にはまった魔術の行使には向いていないから、志望している道は諦めろ』っつったんだ!!
 国家魔術師みたいな堅っ苦しいトコは、無駄に形式ばってあんたの型にゃ合わないんだよ!」

 それはリーファも感じていた事だった。
 姉さんの魔術は一度しか見ていないが、何となくお手本のような丁寧さを感じた。
 言い方を変えると『尖ったところがない』とも思え、堅実な魔術の使い方を好んでいると感じた。

 だが、彼女の本来の素質はそれとは真逆だ。
 一般的な魔術を使えない以上、それ以外の方法で魔力を活用するしかない。

「国守りたいんなら、髪の毛爆弾でも生爪散弾銃でも鼻水鉄砲でも、方法なんていくらでもあるだろうが!」

 師匠から突飛な意見が出て、思わずリーファは突っ込んだ。

「いや、鼻水鉄砲はちょっと」
「おだまりリーファ!鼻水鉄砲なら”外海の覇王”だって封じられるんだよ!」

 腕を組んで得意げに微笑むターフェアイトを見下ろし、姉さんが素っ頓狂な声を上げた。

「そ、そんな方法で封じたのですか?!」
「当然だよ。ラッフレナンドのお披露目会の時に、ここの連中に道具の所在を教えておいたから、今度の戦いはあれで何とかするはずさぁ」

 そういえばと、リーファは件のお披露目会の事を思い出す。

 エルヴァイテルトの来賓達だけはターフェアイトと熱心に話し込んでいたし、ターフェアイトが城を離れた後は分かりやすく落ち込んでいた。
 現在”外海の覇王”とやらに悩まされているのならば、単身で封印した大英雄ターフェアイト本人の話はさぞや興味深かっただろうが。

「大惨事になりそうな予感…」
「使わされる人可哀想…」

 リーファはおろか姉さんすらも、とんでもない情報を与えられた彼らに同情してしまった。