小説
捨てられたもの、得られたもの
 具現化に余計な力を加えた訳ではないのが、ターフェアイトの衣装は材質も再現されているようだ。スリットの入ったワンピースをふわっとはためかせ、ピンヒールをこつんと鳴らし、師は手の中から石板の上へ降り立った。

「まあそんな事よりさ。こいつは壊していいんじゃないかい?
 サークレットがあるんだし、うっかり真名呼ばれるのは厄介だろう」
「…そう、ですね…。
 ゲラーシー様のお側にいた日々は、そう悪いものではなかったけれど…。
 思い出としてこれを取っておくのは…」

 ターフェアイトの提案に、姉さんは渋々と言った感じだ。初めて見る物であっても、ゲラーシーという人物に連なるこの石板の破壊は、少々名残惜しいらしい。

 リーファには理解出来ない部分だったが、ターフェアイトも同じ気持ちだったようだ。呆れ果てて長い長い溜息を吐いている。

「ったく、まーだそんな事言ってんのかい。意識飛んでる間に何されたか分かったもんじゃないってのに」
「だ、だってあの日以前は、本当に良くして頂いたのですよ?
 住む場所を紹介して頂いたり、食事に誘って頂いたり、素敵な服を贈って頂いたり…」
「愛人街道一直線じゃないかい」
「もうっ。そういうのとは違うのですっ。ゲラーシー様は、『娘のように想ってる』って言ってくれたのですからっ」
「娘みたいに想ってる女を、愛人にするわきゃないだろ?大体、この体で男が寄ってきたら十割体目当てだろうに」
「む〜〜〜っ」

 ターフェアイトは石板の上から、姉さんの胴体をペタペタと叩いている。恐らく胸を触りたいのだろうが、ターフェアイトの身の丈では少しばかり手が届かない。

(どっちもどっちね…)

 不当な契約を結ばされた上に愛人になる事を強要され、それでいて尚ゲラーシーを弁護している姉さん。
 見た事もないゲラーシーを、偏見も込みで批評しているターフェアイト。

 どう考えても不毛な議論を無視して、リーファは溜息と共に石板を取り上げた。「きゃぺんっ!?」と悲鳴を上げて、石板に立っていたターフェアイトがベッドに転がり落ちて行く。

 リーファの師匠に対する扱いの雑さに、姉さんは目を丸くしていた。シーツの上で目を回しているターフェアイトから、驚いた表情をリーファに向けてくる。

「…姉さん。この契約は私のグリムリーパーの力で解約出来ます。物もちゃんと残りますよ。任せてもらっていいですか?」
「あ、う、うん。よろしくね。あ、そういえば…」

 ふと、姉さんは手首に巻いてあるブレスレットを外しながら、話を続けてくる。

「ゲラーシー様から頂いたこのブレスレットは、嘘だったって事よね?
 わたしこれで強化していると思って、持っていたのだけど。これは残しておいてもいいのかしら…?」

 リーファは渡されたブレスレットを手に取って、注意深く観察した。
 濁りのある黄色い宝石の種類は分からないが、僅かな魔力が込められているように見える。そして、緑色と黄緑色の組紐には、かなり小さくだが文字のようなものが刻まれているようで───

「───これも、こちらで処理します」
「え、う、うん」

 リーファの顔に不穏な表情でも出ていたのだろうか。姉さんが少し驚いて、恐る恐る頷いた。

「ちょっと外で処分してきますね」

 リーファはそう告げてカイヤナイトのネックレスを外し、肉体からグリムリーパーを現した。抜け殻になった体は倒れないように、背もたれに傾ける。

「…おおぅ…」

 姉さんが、グリムリーパーのリーファを見て感嘆の吐息を漏らした。
 そういえば、姉さんはグリムリーパーの姿は初見だったかもしれない。驚いている彼女に愛想笑いして、石板とブレスレットを持って窓から広場へと出て行った。

 外に出れば、雨はしとしとと絶え間なく降り注いでいる。地面には其処此処に水たまりが出来ていて、大分ぬかるんでいた。
 実体化をしている今は、肌に伝う雨と地面のぬかるみがひたすら気持ち悪いが、こればかりは我慢するしかない。

 南の断崖からはスロウワーの町が一望できた。雲がかかり暗くなってきたからか、町の至る所に松明が灯されていく。

 リーファは、改めてブレスレットを見下ろした。

(このブレスレット、呪い付きだわ………おまけに石板と繋がってる…。
 多分、姉さんが見ていた悪夢はこっちね…)

 ブレスレットから漂うこの嫌な気配は、彼女に会った当初から感じていたものだった。最近呪術に触れる機会が増えた為、知覚出来るようになったものだ。
 呪いの効果は弱いものだが、残しておいて良いものでもない。一緒に片付けてしまった方がいいだろう。

 リーファは地面に石板とブレスレットを重ねて置く。契約の解約とブレスレットの解呪。サイスを振り下ろせば一度で片付く。

 手の内にサイスを実体化させる。一度だけ深呼吸をしてから大きく振りかぶり、リーファは目標に向けてサイスを叩きつけた。

 ───ギャンッ!!

 接触すると同時に真っ白な衝撃が辺りに広がり、金属が変にかち合ったような不協和音が響いた。

 一瞬で完了した解約処理により、妖しく光っていた石板の宝石が輝きを無くして黒く染まる。ブレスレットも、見た目は変わらないが呪いは解けたようだ。

 そして。

「「………ああ………くちおしい………」」

 呪いのエネルギー───残留思念が、ブレスレットの側に現れた。