小説
後日談・間が悪かった者達───”厄介者は災厄と共に・5”
 橋渡しの腕輪を使って西へ西へと飛んで行き、到着したのは広大な森の一角。
 木の枝のアーチ門にぶら下がった看板には、”リヤンとバンデの家”と書かれてあった。一部削られた跡があり、最近修正が加えられたようだ。

 そこそこ傾斜のきつい坂道を登り切ると、広場が見えてきた。広場の先の方に家屋があるようだ。

「き、来ちゃったけど、こんな不躾に来ていいのかなぁ?」

 リャナを背に乗せ、ラウルが狼狽える。

 先方が人間だという理由から、リャナも人間の姿になっていた。聞くところによると、インキュバスと人間のハーフらしく、子供の頃は人間として暮らしていたらしい。

 騎乗して上機嫌なリャナとは対照的に、ラウルの気持ちは優れない。勢いがあるうちは良かったが、現実に徐々に近づいている実感が湧いてきて不安が増してくる。

「アポなんて取りようがないじゃん。
 いなかったらいなかったで、また出直せばいいんだし」
「…その時また一緒に来てくれる?」

 いい歳したバイコーンとは思えない情けない言葉に、頭の上のリャナが露骨に嫌そうな顔をした。

「ひとりで行けよー………って言いたいけどぉ。アンモライトは借りものだしなぁ。
 まあ、時間が空いてたらね」

 そんな会話をしていると、家屋から何者かが出てきたようだ。
 遠目で見づらいが、それの体全体が緑色に見える。人の形をしているようだが、それはジョウロを細い触手のようなもので絡めとって、側にあった井戸から水を移している。

「えんげい、えんげい、たっのしっいなっ。
 みずな、だいこん、りーふれたすっ。
 かーぶ、きゃべつ、ぶろっこりー。
 すっくすっく、そだって、おおきく、なって。
 もっしゃもっしゃ、たべたら、なっくなっちゃーうっ」

 言葉足らずだが陽気に歌うそれは、踊りながら手前にあった菜園に水を撒いていた。

 様子を眺めていたラウルは、目の前の光景に震えた。恐る恐る、リャナに問いかけた。

「………あれが、ボクの子、かなぁ………?」
「いや違うでしょ。どう見ても草でしょ。多分使い魔的なアレでしょ」
「じゃああれが、引き取ったっていう?」
「ないからないから。使い魔なら普通は主がいるから」

 我に返り、思っていた以上に平静さを欠いていた事に気が付く。良く見なくても、あの生き物は手紙に書いてある内容と一致していない。
 ラウルは恥ずかしくなって頭を下げた。

「そ、そ、そ、そうだよね。
 もしあの子がボクの子だったら、どう挨拶しようかと考えちゃったよ。
 ………。………………。………………………。
 ───あの、出直していい?恥ずかしい。今すぐ帰りたい」
「ダメに決まってんでしょーが。いいからさっさと───」
「ラザー」

 不意に聞こえてきた声変わりの済んだ男性の声に、リャナもラウルも顔を上げた。
 再び菜園の方を見れば、一人の男性が緑色の使い魔に声をかけていた。

「はーい?」
「あとでリヤンが買い物に付き合えってさ。野菜の目利きしてもらいたいって」
「うん、わかったー。これ、おわったらねー」

 その男性の姿を観察する。

 髪の色は藍錆色で、ラウルの毛並みとよく似ていた。その頭に二本の反り返った角が生えているように見える。窮屈そうな白いシャツと、カーキ色のズボンを着ているが、ズボンからはみ出た足は髪の色と同じだ。

「あ、ああ───」

 ラウルが感激に震えた。興奮して泣いてしまいそうな声音で、男性の姿を目に焼き付ける。

「あの子だ。あの子だよ、ボクの、ボク達の子供…!
 あ、あんなに大きくなって…!」
「藍錆色の毛並みの下半身…確かに。でも、何か聞いてたよりも大きいような?」

 男性の身の丈は、緑色の使い魔よりも頭一つ分は大きい。近くで見たら小柄かもしれないが、それにしても幼さというものを感じなかった。
 本来の年齢を考えれば、可笑しな事ではないが。

「バイコーンは精神的な成長に肉体が引っ張られやすいから………。
 もしかしたら………もしかしたのかも………」

 ちょっと言うのは躊躇われて、ラウルは言葉を濁した。

 リャナは不思議そうに首を傾げていたが───だがそこはサキュバスというべきか。すぐに、はっ、と気付き、リャナはラウルに答えた。

「交尾したのか!!」
「いや言い方!!」

 リャナに張り合うようにラウルも大声を上げてしまう。
 ───と。

「ほっ?」

 緑色の使い魔がこちらの存在に気が付いてしまったようだ。どこに目があるのか分からないが、何となくこちらの方を向いた使い魔がしばし固まってしまい。

「みゃあああああっ!?おうまさん!ばんでー!おうまさんだよぉおお!」

 馬に酷い目に合わされた過去でもあるのだろうか。半狂乱になった使い魔が、ラウルの子に飛びついた。

「馬…なのか?でも、あの角…!?」

 ラウルの子もこちらを見ていた。しがみついている使い魔を宥めてはいるが、どこか戸惑っているようにも見える。

「ばれちゃった」
「当然だよぉ」

 舌を出しておどけてみせるリャナに対し、ラウルは半ば呆れた。まるでこうなる事が分かっていたかのようだ。

 そして更に、家屋の中から誰かが顔を出した。

「バンデ?ラザー?どうしたの?」

 出てきたのは二十歳代位の女性だ。艶やかな黒髪を結わえた、紅紫の双眸が品のある美女だった。

(綺麗な目だな…)

 遠くからでもよく見える女性の瞳に、ラウルはリゼットを思い出した。少し赤みがあるが、どこまでも覗き込みたくなるような目の色は、リゼットのそれに似ていた。

「…バイコーン…!?」

 彼女もまた、こちらを眺めて困惑を深くした。彼女はどうやらラウルの種族を知っているようだ。

 リャナはラウルから飛び降りて地面に着地した。ラウルの肩をぽんぽんと叩き、広場へ行くように促す。

「そら、役者揃ったみたいよ。ここで行かなきゃいつ行くのさ?」
「………………」

 リャナの思惑通りに事が進んでいて、ラウルはちょっとだけ不満だ。
 しかし、『行く』と言ったのは他でもないラウルだ。ここで尻尾を巻いて逃げるのは、子供を前に恥を掻くも同じだ。

 意を決して彼らに向けて歩き出すと、リャナも歩幅を合わせてくれる。
 一見人間の金髪の少女は、目一杯可愛さをアピールしながら家人達に声をかけた。

「こんにちわー、初めましてー。
 あたし、リーファさんの紹介で来ました、リャナって言いますー。
 で、こっちが───」
「あ…あの…ええっと…。
 ………ラウル、です………はじめまして………」

 巨体に似合わない、恥ずかしそうな頼りなさそうな声音を上げたバイコーンを、家人達は只々見上げるしかなかったようだ。