小説
叱って煽って、宥めて褒めて
 余程酷い顔をしていたのだろう。リーファの顔を見て、アランは親に叱られる直前の子供の様に身を竦めている。
 その姿を見ていたら、頭に血が上った。リーファはいきり立ち、アランに詰め寄る勢いで声を張り上げた。

「なんて───なんて事を約束したんですか!!」
「仕方がないだろう!
 お前が骨身を惜しまず国の為に働いているというのに、あの因業じじい『側女本来の務めが果たせぬのであれば城から追い出すべきでしょう』とこうだぞ!?
 お前の働きだと、目に見える形でゲルルフの鼻を明かさなければ、気が済まんではないか!」
「わ、私の、所為…!?」

 アランがまくし立てた言い訳に、リーファは表情を険しくした。

 どういう会話からその話に発展していったのかは想像するしかないが、恐らくアランにとって腹に据えかねる言い方をされてしまったのだろう。
 リーファは、アランと一緒に魔王と顔を合わせた時の事を思い出した。あんな感じで自棄を起こしたとしても何らおかしくはない。

((ふふん。年寄りのやっすい挑発に乗っちゃったか。図体ばっかでかくても、頭ん中は子供だねえ))
(…まあ…歳行ってる分、あちらの方が口は達者だろうからね…)

 リーファがこめかみを押さえて唸り声を上げていると、視界の端で何かが震えている事に気が付いた。
 見やるとカールが俯いて肩を震わせ、何事かブツブツと呟いている。

「王が…王が、玉座から退く………!?
 悲願が…ラーゲルクヴィスト家の、悲願が、こんな…形で…?
 いや、だが、同じく魔術師を、志す者として、無下にする訳には…!
 しかしそれにしても、余りに短慮………オレだって、腸が煮えくり返るが…!」

 言っている事は半分も分からなかったし、アランに向けられた悪口が気になるが、多分怒っているのだろう。

 静かになっていった魔術研究室で、アランは溜息をひとつ零した。

「お前の所為だと言うつもりはない。全ては私の至らなさが原因だ。
 だが、もし可能であるのならば、スケジュールの再調整をしてほしい。
 こちらも出来る限り都合を───」
「全くとんでもない事をしてくれたね…!」

 腹立たしげな言の葉は、廊下の先から唐突に聞こえた。
 それが誰かと気付く前に、がちゃん、と扉が開けられ、一人の青年が魔術研究室に入ってくる。

「ヘルムート様…!」

 アランの従者であるヘルムートは、普段の穏やかな雰囲気を取り払い、嫌悪と怒気を孕んだ形相でアランを見下ろしていた。やや息を切らしているから、恐らく走ってきたのだろう。

 確か彼は数日前から出掛けていたはずだ。ヘルムートの嫁ミア=アルトマイアーが懐妊したらしく、実家がある東の町アーシーに帰っていたのだ。
 積もる話もあるだろうし、城へ戻ってくるのはもうしばらく先だと思っていたが。

「へ、ヘルムート。随分戻りが早かったな。
 嫁の調子はどうだった?もう少し時間がかかるものかと思ったが」

 アランが遠慮がちに声をかけると、歯ぎしりと共にヘルムートのこめかみに青筋が入ったような気がした。

「ああ、元気にしてたよ。
 つわりが辛そうでね。出来たら一週間くらいは側にいてあげたかったんだ。
 …でも部下から『陛下に不穏な動きあり』って一報が入ったら、帰らない訳にいかないじゃないか」
「………ち。余計な事を」

 アランが心底嫌そうに舌打ちする。その反応を見るに、もしかしたらヘルムートがいない時期を見計らったのかもしれない。

((お目付け役を通さないで、自分で何とかしようと思ったのかねえ?思春期かい))
(ヘルムート様を通していれば、こんな厄介な事にはならなかったでしょうに…!)

 ヘルムートの癇癪は治まらない。子供を叱る親の様に、高圧的にアランを叱り飛ばしている。

「そもそも、デルプフェルトに口で君が敵うはずないだろう?全く昔っから考えなしなんだから!
 大体ね、君退位した後どうするって言うんだ!?
 どこの土地とも懇意にしてないのに、転がり込む隠居先があると思ってる!?」
「その時はその時だ。リーファの家に転がり込むさ」

 アランのその一言で、今度こそ部屋の中の音という音が全く聞こえなくなってしまったような気がした。
 ヘルムートは表情を歪ませ呆然としているし、頭を抱えてブツブツ言っていたカールも目を見開き顔を上げた。リーファも言葉を失してアランを見つめてしまう。

 そして、ヘルムートとカールがほぼ同時に声を上げた。

「「はあ?!」」

 困惑しているふたりとは対照的に、リーファは色々察してしまい、幾度目かの溜息と共に肩を落とした。

(───ああ、そういう…)

 アランは背もたれに寄りかかり、どこか勝ち誇った表情でヘルムートを見上げた。

「おかしな事ではないだろう?
 私が退位すればリーファの務めも終わり、実家へ帰る事となる。
 だが、王から与えられた務めを果たせなかった罰として、リーファには私の世話をする栄誉をくれてやろう」
「なっ…なんっ…!」

 何か言いたいようだが、ヘルムートは口をぱくぱく動かして何も言えずにいる。

 とりあえず黙らせたヘルムートから視界を外し、アランはリーファにも顔を向けた。自分の地位が脅かされているというのに、アランはどこか楽しそうだ。

「お前にとっても悪い話ではないはずだぞ、リーファ。
 この際だ。先日お前が言っていた”ただの妄想”に付き合ってやらんでもない。
 確かにどこの貴族とも懇意にはしていないが…弱み位なら、幾つか握っている。
 …少しばかりだが、手助けはしてやれるぞ?」
「…そう、です、ね…」

 アランの突飛な提案に、リーファは反論する気力も失せ相槌を打つだけに留めた。

 話がこちらに来た事で、ヘルムートもカールもこちらを見てくる。

「………リーファ………?」

 自分の所為ではないと思いたいが、ヘルムートが怖くて彼の顔を見る事が出来ない。震える手を握りしめ、目線を逸らしつつリーファは正直に白状した。

「………務めを終えたら、魔術関連の、雑貨屋を、やってみたいと、ちょっと話しまして…。本当に、ただの、妄想だったんですが…」
「………………」

 ヘルムートは黙ったまま、大きく溜息を吐いた。やるせない感情だけが伝わってくる。

 ───アランとしては、”飛び切りの魔術”とやらが成功しようが失敗しようがどちらでも良いのだ。
 成功すれば城からゲルルフを追い出す事が出来るし、失敗してもリーファの家へ転がり込めばいい。

 むしろ、しがらみだらけの国王という地位よりも、『魔術の雑貨屋をやってみたい』というリーファの夢に付き合う方がずっと気楽───そんな風に考えているのかもしれない。

 いずれにしても、そんな自身の意図が全員に伝わって、アランはとてもご満悦だった。

「まあ、同じ屋根の下で男女が暮らして行くのだ。
 周りの目が気になる、内縁関係は嫌だというのであれば、夫婦の契りを交わしてやらんでも───」
「───やりましょう」

 アランの言葉を遮り、はっきりと意思を籠めて言ったのはヘルムートでもリーファでもなかった。
 黙り込んでいたカールが、アランを見据えて言い切ったのだ。その美しい紫色の瞳には、何故か決意のようなものが秘められていた。