小説
叱って煽って、宥めて褒めて
(失敗した…)

 居た堪れない気持ちでしゅんとしていると、そんなリーファを見てアランが失笑した。
 多少は気が紛れたのか、揶揄っていただけだったか、肩を揺らして愉しそうに笑っている。

「ふっははははっ。
 …ヘルムートにはケチをつけられたが、外に夢を見る時だってあるさ。
 退位すれば、今目の前に広がっている厄介事が全て解消する。
 国の問題に頭を悩ます必要も、積みあがる書類に辟易する事も、黒いもやを撒く女達の相手をする必要もないのだ」

 アランは仕事を一人で抱え込もうとする性分がある。
 書類は一枚ずつしっかり読んでからサインをするし、不備があれば再提出を命じるし、時には役人を呼んで追加説明を要求する事もある。
 結果どうしても時間はかかってしまい、いつも執務室の机は書類を積みがちだ。

 ヘルムートがある程度手伝ってはいるが、あの仕事量ならもう二、三人は人手が欲しいだろう。
 責任を負う気概は確かなのだが、誰かの手を借りる事が苦手なものだから、上に立つよりも補佐の方が向いているのかもしれない。

「何にでも、向き不向きがありますからね…。
 …私は、アラン様が頑張ってお仕事している姿を見るの、結構好きなんですけど…。
 でも、嫌々だとやる気も削げてしまいますよね…」
「我ながら、よくもまあ足掛け三年やってきたと思っている所だ。
 当時は安心して任せられる者がいなかったが、そろそろアロイスに話を持ちかけるのも───
 ん?」

 アランの中で何かが引っかかったのか、おかしな所で話が止まってしまった。

「…ん?」

 タルトタタンを半分まで食べてアランの方を見やると、彼はリーファを見つめていた。驚いた様子で目を見開き、口をぽかんと開けている。

「…今、何と?」
「え?え?」
「ほら、もう一度」

 せっつかれて、リーファは戸惑いながら記憶を掘り起こす。ただ相槌を打っただけだった、そんな気がするのだが。

「お、お仕事って、相性がありますし…。
 嫌な仕事はやる気無くなっちゃいますよね…?」
「そこだが、そこじゃない」

 おかしな否定のされ方をしてしまい、リーファは困惑を深めた。しかし、代わりに何の事かは思い出した。

「え、ええっと…。
 あ、アラン様がお仕事してる所見るの、好きで。格好、いいなって、思ってて…」
「…具体的には?」

 詳細まで求められ、リーファの顔が渋くなる。何だか一気に気恥ずかしくなってしまい、身を小さくしてぽつりぽつりと言っていった。

「そ、そうですねえ…。
 引見してる時のきりっとした佇まいとか、書類を読んでる時の真剣な眼差しとか、見てるだけでドキドキするというか…。
 ああでも、兵士さんに労いの言葉をかけてる時の優しそうな顔とか、休憩する時のはにかんでいる顔や笑っている時とかも、何ていうか役得を感じるんですよね…。
 あ、いや、もちろん見た目だけじゃなくて…。
 下から回ってきた書類も、ただ判を押すんじゃなくて、ちゃんと目を通してる所とか。
 国の為に真面目に取り組んで下さるアラン様が王様で、本当に良かったなって思ってましたし…。
 …って、そろそろいいですか?なんか、ちょっと、あの」

 喋っている内に冬の寒さなど吹っ飛ぶくらいに顔が茹って行く。羞恥に耐えられず、リーファは顔を上げた。

 テーブルの先にいたアランは、黙り込んだまま俯いていた。顔を手で覆い、全身が震えているように見える。

 話を聞いていないのかと思ったが、

「………もう、一声」

 と更に要求が飛んできてしまい、リーファはぎょっとした。

「も、もう一声っ?もう一声って?!」

 要求の詳細を問いかけたが、アランは顔を覆ったままうんうんと頷くばかりだった。多分だが、先に言った話に似た内容を求めているのだろう。
 しかし容姿の話は言い尽くしてしまったような気がするし、ずっと城にいるから城外でのアランの活躍を見る機会は多くない。

 リーファは頭を抱え、人づてに聞いた事をぽつりぽつりと話し出した。

「えー…あー…うー…。
 か、カーリンが言ってたんですけど、『最近夜も城下の治安が良いから歩きやすくて助かる』と…。
 それに、マゼスト村のニークさんがこの間、『鉱山の”死の石”の回収をしてくれるようになってありがたいって鉱夫が言ってた』と言ってました…っ。
 あとは…あとはー…!あ、そうだ!
 城下の禊場の改築!あれ決めて下さってありがとうございます。
 女性ばかりが出入りする場所ですから、下見するのも大変だったでしょう?
 昔から汚い臭いと言われてた場所でしたから、建て直して綺麗になるのはとてもありがた───」

 ───ばんっ!

 アランの手のひらがテーブルを激しく叩いた。組み立て式のテーブルが壊れる事はなかったが、その上のカップや皿が激しく跳ねた。

 要求にそぐわない話に怒っているのかと思いきや、

「良し!!!」
「はいっ!?」

 まさかの全肯定に、リーファは逆にびっくりした。

 アランは徐に椅子から立ち上がる。顔を逸らすものだから、リーファからはどんな表情をしているのか分からない。
 そして抑揚のない口調で、アランは恐々としているリーファの名を呼んだ。

「…リーファ」
「は、はい…」
「側女たる者、体を差し出すだけが務めではない。
 私をよく観察し、心に記録し、言葉を常に用意しておくべきだ。
 私が求めている時を見定め、その心の内をさらけ出す───それが、お前に今求められている務めだ」
「あ、は、はい」
「休憩は終わりだ。…行ってくる」
「は、はい。いってらっしゃいませ…」

 側女の在り方を説いたアランは、こちらを見ようともせずに結界の外へと出て行ってしまった。

 取り残されたリーファは、小島の開けた場所へ歩いて行くアランの背中を只々見送る。

(褒められたかった、のかな…?)

『おだてても何も出ない』と言っていたような気がしたが、会話の中でアランにとって心境の変化になるようなものがあったらしい。

(色々言ってしまった…)

 テーブルの上を片付けながら自分が言った事を思い出し、リーファは改めて顔を赤らめた。城での日々を惜しんだつもりが、思った以上に口が滑ってしまった。

 アランの見た目、仕事ぶり、周りの反応と、共通項はあまりないような気がした。ざっくりと、アランが関わっている、というだけだ。

(そういえば、今まであんまりアラン様を褒めたりは…しなかった…かな…?)

 そもそも褒めるという行為自体、目上の人から為されるものという印象はある。王であるアランを褒めそやすのは、少しばかり勇気が要る行動だ。
 しかし、魔力剣や魔術の習熟具合を褒めても反応が芳しくなかったし、他にも条件があるように見えたが。

(あ、違う。
 褒められたかった、っていうよりも、これは…)

 余ったタルトタタンをバスケットに戻し、濡らした布巾で皿を拭っていたら。

 じり───

 突如、全身がひりつくような感じがした。

「…は?」

 この感覚は、編み込まれた魔力のそれだ。アランが歩いて行った先から、風と大地を介してリーファの体を撫でてきた。
 幾度となく触れたものだが、今までのそれよりも遥かに純度が高く、きめ細やかで、色鮮やかに奏でられていた。

 初めての感覚に鳥肌が立つ。そして。

 ───ドンッ!!!

 訳も分からず振り返るとほぼ同時に、リーファの視界いっぱいに魔力の輝きが広がった。