小説
叱って煽って、宥めて褒めて
「本番は全力でやって下さいね。
 私はお手伝い出来ませんから、中庭で見させてもらいますけど、ちゃんとそういう所も見ますから。
 最後…なんて言いたくはないですけど、どうせだから思いっ切りやってしまいましょう。ね?」

 再びタルトタタンを乗せた小皿をアランの側に戻すが、アランは小皿を見下ろすだけで手を付けようとしない。負け戦に挑むような心境では、食欲もわかないのかもしれない。

 コーヒーをちびりとだけ飲んだアランは、ぼそっとリーファに訊ねてきた。

「…思いっ切りやったら特典はつかないか?」
「…特典?」
「努力賞、というべきか」

 どうやら頑張ったら頑張っただけのご褒美が欲しいようだ。
 急な提案に、リーファは頬に手を当て唸ってしまった。

「努力賞………努力賞、ですか。
 うーん………私個人で渡せるものがあまりないんですよね…。
 何か要望はあります?」
「売春だけはやめてくれ」

 その提案は元々考えていたものだったのだろう。
 間髪入れずに返答してきたものだから、リーファは呆気に取られアランを見つめ返してしまった。

「どんな仕事でもする。荷物運びでも、農夫でも、鉱夫でもやろう。
 何ヶ月顔を合わせなくてもいい。どこにだって頭を下げよう」

 今まで見てきたどの時よりも、アランの眼差しは誠実に満ちていた。
 軽い口約束などではなく、騎士の誓いのそれに似た、価値のある願いだった。

「他の男に、お前を触らせたくない…」

 それを”独占欲”と名付ける事は容易いだろう。
 だがテーブルの上で両手を重ね目を伏せたアランは、まるでリーファという神に祈りを捧げているようにも見えた。

「………………」

 結界の外で、強い寒風が木々を揺らす。黙り込んだリーファの肌が、より一層冷えていく気がした。

 売春宿行きの話はお金に困ったらの話であって、発言を撤回する事は可能だ。
 カールが兵士達に吹聴した結果、役人にまで話が及んでしまっているから、もはや周知の事実みたいな所はあるが、一市民に戻ったリーファを詮索する者などそうはいないだろう。

 ただその話を撤回してしまうと、リーファが代わりに受けようと思っていた”罰”が無くなってしまう。

「…そのお願いを聞き入れる代わりに、私からも一つ、お願いを聞いてもらえますか?」

 アランは顔を上げ、冷めた面持ちで見つめ返すリーファと目を合わす。

「…なん、だ?」
「ゲルルフ=デルプフェルト様に、『王の務めを軽んじる事を言ってごめんなさい』と謝って下さい」

 リーファからの”お願い”に、アランは目を見開き怪訝な表情を浮かべた。

「なんだ、それは」

 自分の菓子を食べるのを忘れていたと思い出し、リーファもタルトタタンに手を付け始めた。フォークで切り分けながら、話を続ける。

「売春の話は、アラン様が嫌がるだろうと思って言ったんです。
 それを理由にアラン様が頑張ってくれればいいなって。
 …もちろん、嘘を言った訳じゃないんですよ?
 アラン様が私を理由に王座から退く発言をしたのなら、私も私なりに贖わないと、と思いましたし」
「そんな事、お前が気にする必要は───」
「ええ、デルプフェルト様もそう仰ってくれました。『王の失言の責めを側女殿が負う事などない』と。
 でもそれって、アラン様の失言はアラン様が責任を取らないといけないって事ですよね?」

 タルトタタンを口の中に入れると、キャラメリゼのほろ苦さとリンゴのしっとりとした甘さ、そしてタルト生地のサクサク感が広がっていく。さすがにこの菓子で温もりを得る事は出来ないが、コーヒーが代わりに体を温めてくれる。

「デルプフェルト様は、アラン様からの言葉を待ってるんですよ。
 誰に庇われる訳でもなく、陛下の口から謝罪して欲しいんです。
 …どんな会話があったのかは知りませんが…。
 私も、アラン様がちゃんと謝ってくれればいいなって思います」

 かなり気が進まないのだろう。不満そうに顔をしかめ、アランは切り返す。

「…ゲルルフは、聞く耳を持たんと思うが」
「それでも、大切な事なんですよ。
 アラン様はさっき、私の為に『どこにでも頭を下げる』って言ってくれたじゃないですか。
 相手が違うだけ、早いか遅いかの違いです」

 自分で言った事なのに、アランは心底嫌そうに渋面を作った。

 アランの発言は、別に嘘という訳ではないのだろう。
 退位し庶民として過ごせば、周囲を取り巻く環境は様変わりする。知らない顔ばかりになれば、今まで築き上げてきた王としての価値観や人間関係を気にしなくて済む。
 既にプライドは捨てているのだから、誰に頭を下げるのも難しくはない。そう思っていたのかもしれない。

(でも私は、アラン様に王様としてちゃんと退いてもらいたい…)

 逃げるように城を発つのではなく、ちゃんと次の王を選んで引継ぎを済ませて。
 それは、アランが退いても続いていく国にとって、大切な事なのだから。

「………………。
 これでもう、王としての務めをしなくていいと思えば…。
 あの小癪な老人の顔を見なくてもいいと思えば…。
 一考する余地は、あるのかもしれん」

 時間をかけた割には返答を保留にするものだから、リーファはつい小首を傾げてしまった。

(そんなにひどい事言われたのかな…?)

 追及してみたい衝動にちょっとだけ駆られたが、アランの性格を考えれば答えてくれるはずはない。なら、別の話を振った方が、互いの為かもしれない。

「…王様のお仕事、そんなに嫌でした?」

 何の気なしに訊ねてみた話題だったが。
 ギロ、と睨み、嫌な形で口の端を歪め、厭味たっぷりにアランはまくしたてた。

「ああ嫌だとも。
 朝は会議で膨大な情報を押し付けられ、引見で貴族やら勇者やらとどうでもいい話をさせられ、午後になれば積みあがっている承認待ちの書類にサインを書かされ、行事があれば陣頭指揮を執らねばならんし、合間を縫って見合い女達の相手をさせられ息つく暇もない。
 きっかけを作った側女で憂さを晴らすしかないではないか、なあリーファ?」
「あ…はい。なんか、ごめんなさい…」

 ゲルルフの事から話を逸らしたかっただけなのだが、こちらの方がリーファにとってはよろしくない話題だったようだ。