小説
叱って煽って、宥めて褒めて
「…しかし、一体何が?」

 今夜最大の喜びから戻って来たカールに訊ねられ、リーファは少しばかり困った表情を浮かべた。

「それが…ちょっとどう言っていいか分からないんですが…。
 ”陛下を認めた”…が一番しっくりくるかなって」
「みと…めた?」

 カールが怪訝な顔をするのは分かり切っていた。リーファですら、この表現が正しいのかどうか、よく分かっていないのだから。

 腕を組んで唸り声を上げつつ、リーファはぽつりぽつりと語り出した。

「ううん…そう、ですねえ…。
 お仕事って、普通”出来て当たり前”って周りから思われるじゃないですか。
 ”出来て当たり前”だから、感謝されたり褒められたりする機会ってあまりないというか…。
 でも陛下は公務に苦手意識があったようで、その”出来て当たり前”な仕事を大変だと感じていたみたいなんですね。
 だから私は、『真面目に取り組んでいるアラン様が王様で良かった』と言ったんです。
 陛下が苦手なお仕事を頑張ってくれたからこそ、良かった事がちゃんとあると」

 カールは納得いかない様子だった。眉間にしわを寄せて、唸っている。

「………王の苦労に共感し、日々の仕事を労った、と?それだけ………?」

 さすがに言葉足らずだったかもしれないと思い、リーファは苦笑した。閨の睦言を持ち出すのは気が引けたが、この数日の内に引き出したアランの小言も言い添える。

「陛下は『自信がなかった』、と言ってましたよ。
 定例会議だけでは民の感謝も不満も伝わって来ないらしくて、『自分の舵取りが正しいか分からなかった』と。
 だから先日、城下の友人達の所に会いに行って、陛下の治世について聞き込みをしてきたんです。
 …ヘルムート様は呆れてましたけど、陛下はとても喜んでいましたよ」
「………そう、か。大変、だったな…」

 労いの言葉をかけるカールだが、あまり理解は出来なかったようだ。不可解な面持ちで首を傾げている。

 名を出したからか、哨戒路にいたヘルムートの影がこちらに振り向いた。それを気に留めたアランもまた、中庭に顔を向けている。
 頭の上で大きく手を振ってみせると、アランは口元に手を当てて笑っていた。応えるように、アランも手を振り返してくれる。

 子供のようなやり取りを見て、ターフェアイトはニヤニヤしながら足を組みなおした。

「…心血を注いだ公務が、実は民に届いてないんじゃないか、って疑ってたんだろうねえ。
 まさにあの魔術の在り方そのものだ。投げたものが目標地点に届かず、発動もしないで霧散する。
 だからあんたは、王サマの務めがちゃんと民に届いてるんだって示した。
 …なるほど。
 王サマは労って欲しかったんじゃなくて、王サマで居続ける動機が欲しかったってワケか」

 ターフェアイトの分析を、リーファは静かに頷いて肯定した。

 ◇◇◇

 アランは兵役時代、最前線で魔物との戦いに明け暮れており、魔物を打ち倒したら打ち倒しただけ褒美と称賛が得られたという。
 その分かりやすい報酬を経験したからこそ、王子の立場となり公務でただ机に向かい続ける仕事にやりがいのなさを感じてしまった。

 同僚達と勝利を分かち合う事もなく、通りすがりの町人から感謝の言葉もかけられない。
 側に在るヘルムートは元より役人として仕事をしていたから、理解者とは言い難い。

 自分の仕事は誰にも届いてないのではないか───そう思うのに、時間はかからなかった。

 不安はすぐに行動に顕れ、暇があれば城の中を歩き回る癖がついてしまった。
 せめて自分の手の届く範囲までは、思うが儘であって欲しい。その一心だったという。

 城の外へも様子を見に行きたかったようだが、さすがに面が割れている城下まで巡る訳にはいかず、地方へ行くとなると根回し下準備でお忍びとはいかなくなる。

 王となり更に身動きが取れなくなって、この立場と自身の相性が悪すぎると痛感してからは、早く務めを終えたい、王位に未練などない、とまで思い詰めていたのだ。

 ◇◇◇

「…呆れた話だ。向いてないならば、さっさと退位すればいいものを」

 カールは辛辣にアランを非難する。国を引っ張っていかなければならない王の消極的な姿勢は、仕える者として喜ばしくないのだろう。

「…そうですね。私も陛下にあまり無理して欲しいとは思いませんし…。
 そう考えると、陛下を悪い方向に焚きつけてしまいましたよね…」
「べ、別に側女殿が悪いとは言ってない。勘違いしないでほしい」

 リーファを責めてしまったと思ったのか、カールは慌てて弁解してくる。

 取り乱しているカールの有様が楽しかったのか、肩の上でターフェアイトは、くっくっ、と嗤った。

「…だがまあ、あんたが太鼓判押すくらいの出来には落ち着いたんだろ?
 王サマの心境は良い方向に変化したって思っていいんじゃないかい?」
「うん…。
 聞き込みの内容は良かった事も悪かった事もあったんだけど、陛下はどっちも聞きたがって。
 悪かった事を話したら、『見直していかねばな』ってちょっと嬉しそうだったのよね…。
 そこから魔術の精度は上がって行ったから、私は失敗の心配はしてないの」

 カールの眉間のしわがより一層深くなり、堪らず唸り声を上げた。

「う、む、う…治世の不満を、嬉しそう…とは…」
「今まで判断がつかなくて思い詰めてたんだ。ある程度目標が定まった方がいいに決まってるさ。
 下手したら傀儡になりかねない性分だが…。
 まあ、リーファの意見しか聞きゃあしないだろうからねえ。心配はいらないさ」
「………駄目だ。よく分からない。
 国民など、王の統治下で勝手に動いていくものだろうに、そんなものに気をかけるなど…」
「ここの王サマはお優しいんだよ。それで納得しな」
「ぬぅ…」

 ターフェアイトに頬をぺちぺち叩かれ説き伏せられてしまったカールの気持ちは、リーファにも理解出来た。

 又聞き程度の知識ではあるが、土地を取りまとめる王や領主は、民衆を物のように扱う事が多いらしい。
 利益の為に重税をかけ民を苦しめる王、少年少女を慰み者にする貴族、女性達を殺し美容の材料にした女領主の話は、全て事実だと聞く。
 女性に酷い仕打ちをしたラッフレナンド王の話もあるのだから、むしろありふれた話なのだろう。

 ならば、アランの優しさは貴重というよりは変わり者の部類と言えるのかもしれない。