小説
叱って煽って、宥めて褒めて
「”空よ喝采せよ、地よ豊祝ぐがいい”」

 支度が整ったのだろう。寒風に乗ってアランの詠唱が聞こえてきた。

「”これより行うは祝賀の宴、万象の繁栄を願う祈りの儀式”」

 肌に魔術の波が触れてくる。ひりつくような魔力のそよ風。緻密に編み込まれた魔術の土台。

「”中天を彩るは真実の華、風に舞うは祝砲の囁き”」

 詠唱に応じて五つの発動体に魔力が注ぎ込まれ、より強い光を放ち始める。

「”富貴の愛は大地を照らし、祝福は降り注がん”」

 カールは顔を上げ、その煌びやかな光景に固唾を呑んだ。

「あ、ああ、オレでも分かる…。魔力量、構成、集中力がまるで違う…!
 こうまで、変わるのか…?!」
「あぁ、いい。よくここまで仕上げたもんだ」

 ターフェアイトもまた、城壁の上で形作られていく魔術に感嘆の吐息を零した。

(ああ………頑張りましたね。アラン様)

 ふたりの賛美を聞いて、リーファの胸が熱くなる。感動に体が震え、瑪瑙色の双眸から涙が溢れてくる。

 その時を待つリーファを背に、アランは声高らかに魔術を発動させた。

「”さあ咲くがいい幻視の星見草よ、今こそ我が前にその輝きを描け!
 ───パンタシア・クリューサンテムム”!」

 ───ドッ!

 短い音を立てて、魔力の塊は五つ一斉に上空へ放たれた。
 五つの光の帯は、本城の最上階よりもずっと上まで登って行き、そして。

 ───ドン!ドン、ドンッ!!

 弾けるような音を立てて、黄、白、紫、青、橙の色鮮やかな光の花が、夜空に咲き誇った。

 ◇◇◇

 ラッフレナンド史において、観賞用の花火は珍しいものだ。
 火薬や他の素材は戦争に使われる機会が多く、余興に用いられる事は殆どない。城下にいれば祝砲を聴くかもしれない、その程度だ。

 それは魔術師王国時代にも同じ事が言えたらしく、コツさえ掴めば一人で発動出来るという手軽さも相まって、幻術で再現する文化が発展して行ったという。

 あくまで幻術だから火事の危険性がなく、花火に似せた破裂音は幻術を見た者にしか聴こえない、と本来の花火とは異なる部分はある。
 しかし空一杯に広がる光の芸術に、見惚れない者はそういないだろう。

 ◇◇◇

 頭上で散って行く光の幻術に魅せられたのか、城下の歓声が城壁を易々と飛び越して中庭まで届く。
 一年で最も賑やかと言われているシルウェステルの夜を、より一層華やかに騒ぎ立てる。

「”その者は高貴なる風格を纏う、恥じらう姿は数多の者を傅かせる。百花の王───”」

 次の幻術の詠唱が始まる。詠唱の内容によって異なる種類の花火を形作るから、先の幻術が被らないよう、先の幻術と間が開かないよう、タイミングを見定める事が重要だ。

「何と、言うか…。
 容易くやっているように見えて、今までの失敗が茶番かと勘繰ってしまうが…」

 カールは複雑な胸中を吐露する。意気揚々と呪文を唱え順調に魔術を発動させるアランの姿は、今までの失敗が無かったかのようにすら見える。

「魔術に限らず、やる気が起きるきっかけってのはみんな違うからねえ。
 リーファなんか、父親に無理矢理連れてこられたから、やる気出させるのに苦労したもんだよ」
「…え、私?………あ」

 ───パンッ!パン!パパンッ!!

 急に話を振ってくるものだから、ついターフェアイトに顔を向けてしまう。視界の端でアランの幻術が発動してしまい、その全景を見そびれてしまった。

 唇と尖らせターフェアイトを睨むと、彼女は顎に手を当ててどこか満ち足りた表情をしてみせた。

「ああそうだよ。叱って煽って、宥めて褒めて…。
 魔術のコツを掴むのは早かったが、あんたが一番めんどくさかったんだよ、リーファ」

 ◇◇◇

 ───不本意な形で連れて来られたのは確かだ。
 父がいきなり帰ってきて、行先も滞在期間も目的も殆ど聞かされず、着の身着のままターフェアイトの住処へ連れて行かれたのだから。

 慣れない環境。やった事もない狩猟や採集。下手な家事。見た事もない言葉の勉強。そして魔術の習得。

 父の横暴に怒り、環境の酷さに嘆き、何もかもが上手く行かなくて落ち込み、住処の隅っこでべそをかく度に、ターフェアイトはあの手この手で発破をかけてきた。

『だらしないねえ、あんたの母さんは何も教えてくれなかったのかい?』

『こっちは毒草、そっちは毒キノコ、これは食用に向かない…食えるもん摘んで来いっつったのに、何であんたは食えないもんだけ持ってくんのかねえ?器用か』

『あーもー泣くんじゃないよ。ほらほら、アタシのクッキー分けてあげるから元気だしな』

『焦んなくていいんだよ。昨日は出来ても今日は出来ない。アタシだって、そんな日はある』

 家に帰る手段がないとは言え、ターフェアイトに何だかんだ絆されて、次の朝を迎えたものだった。

 しかしターフェアイトにとっては、喚いて愚図って泣いてばかりの小娘の指導は、大層面倒臭かったに違いない。

 ◇◇◇

 花火の音が聞こえない。鑑賞を忘れてしまう程の衝撃だったのだと自覚する。

 リーファは、自分がターフェアイトにとって取るに足らない弟子だと思い込んでいた。
 リヤンやカールのように心配してもらえるような弟子でもなく、他の弟子達のようにターフェアイトに心酔するような弟子でもなかったのだから。

 平凡で、可もなく不可もない。そんな印象に残らない弟子だと思っていたのに。

「そう…だったんだ。
 ………そっ、か。私、めんどくさかったんだね…」

 何だかおかしくて、口元が歪に吊り上がった。胸の内からこみ上げてくる感情が何なのか分からず、鎮めようと深く息を吐く。そうしたら、何故だか視界が歪んだ。

 そんなリーファの姿を見て、ターフェアイトは小馬鹿にした態度で噴き出した。

「ぷっ、何喜んでんだい。気持ち悪い」

 意味不明な感情は意味不明なまま、一気に湧きあがった怒りに塗り替えられた。
 瞳の中で揺らめいていたものがするっと引っ込んで、リーファは鼻息を荒くしてターフェアイトに詰め寄った。

「は、はあ!?喜んでないよ!むしろすっごい傷付いたんだけど!?」
「ひっひっひ、悪い悪い。そゆ事にしといてやるよ、ひっひっひ」

 天上を幻術が明るく照らし続ける中、おかしな誤解をしているターフェアイトが満足そうに含み笑いを零す。

「た、ターフェアイト師?!オレは?オレはどうなんだ?!」

 師弟間の心温まる交流だと勘違いしたのか。カールはターフェアイトを両手に乗せ直し、必死な表情で迫り出した。

「あんたは何言っても喜ぶだろーが。
 カールは逆だ。一番手がかからなかったよ。えらいえらい」

 カールの鼻の先を撫で、ターフェアイトなりには褒めたつもりだったかもしれない。
 しかしカールは天を仰ぎ地を見下ろし、やがて唸り声を上げて煩悶した。

「なんか…!なんか、こう…!
 嬉しい、ような、悔しい、ような…!?」

 何やら複雑な気持ちを抱え込んでしまったカールを見やり、ターフェアイトはげんなりと肩を落とした。

「………あんたも結構めんどくさいヤツだねえ………」
「ああ、ターフェアイト師………もっと、もっと罵ってくれ…!」
「あーはいはい。ザァーコ、ザァーコ」
「…そんな年端も行かない生意気な幼女みたいな煽り方嫌だ…!」
「え、そうなの?昔はマッチョ野郎が言ってたもんだが…時代は変わったねぇ…」

 カールは食べかねない勢いでターフェアイトに頬ずりし、ターフェアイトは慣れた手つきでカールを宥めている。

(アラン様も、カールさんも…私も。皆、誰かから気に掛けてもらいたい…。
 そういうものなんだろうな…)

 師匠と弟弟子の、これっぽっちも羨ましいとは思えない光景から目を逸らし、リーファは独り、煌々と空を照らし続ける我が王の雄姿を見届けた。