小説
叱って煽って、宥めて褒めて
 幻術の披露が大成功という形で幕を閉じ、夜が更けたラッフレナンド本城1階。

(幼い頃はとてもお優しい方であられたというのに、陛下は年寄りを慮る心を無くしてしまわれたのか)

 廊下を進みつつ、ゲルルフ=デルプフェルトは心中で悪態をつく。

 1階はほんの少しだけ慌ただしい。メイドや召使達が、幻術に使った小道具の後片付けに追われているのだ。一方で役所のフロアはもう稼働していないから、1階の大部分は燭台に火が灯されておらず、闇の色が濃い。

 普段こんな時間まで城に滞在する事はないから不思議な感覚だ。
 いつもは清潔で華やかで厳かな白亜の城なのに、今は汚らしく良くないものが纏わりついているように思える。

 南北のフロアを隔てる廊下の中央まで歩いて行くと、衛兵二人が北側にある大扉の前に立っていた。
 時間外労働に嫌な顔一つせず、衛兵達は恭しく首を垂れる。

「ゲルルフ=デルプフェルト様、お待ちしておりました。お通り下さい」
「む」

 短く返事をすると衛兵達は大扉をふたりがかりで開き、ゲルルフを招き入れた。

 扉の先は謁見前の受付場になっており、東側は待合室、西側は受付カウンター、カウンターの先は兵士の待機所となっている。今は待合室もカウンターも灯りはついておらず、兵士の待機所だけ灯りがついているようだ。

 そして北側には大扉があり、そちらに一人の近衛兵が立っていた。

「ゲルルフ=デルプフェルト様、どうぞこちらへ」

 軽く頷くと、近衛兵は謁見の間に続く扉を開けゲルルフを案内する。

 謁見の間は、廊下以上に闇が広がっていた。
 シャンデリアの火は中央の列だけつけたようで、東西の壁は闇に隠れてよく見えない。柱の影に誰かが隠れていても、恐らく気付く事は出来ないだろう。

 しかし、これだけ広くても寒さは全く感じない。むしろほのかな温もりに寝入ってしまいそうだ。これも”ラフ・フォ・エノトス”という魔術システムによるものなのだろう。

 正面にある階段の左右に近衛兵が控えており、階段を上がった先の玉座にラッフレナンド王アランが座して待っていた。

 足を開き、だらしなく玉座にもたれ見下ろしてくる王の表情には陰りのようなものが見える。魔晶石を用いていたとは言え、あれ程の規模の幻術を行使したのだから、疲れが顔に出てもおかしくはないか。

(…ふむ、従者を置かぬとは珍しい)

 目だけ動かし周囲を観察するも、従者ヘルムートの姿はどこにもない。後片付けの指揮を執っているのか、少なくともこの場にはいないようだ。

 訝しんでいるゲルルフを余所に、案内の近衛兵がレッドカーペットを歩いて行く。遅れないよう背中を追い、階段の少し手前まで歩は進んだ。

 背筋を正し挙手の敬礼をした近衛兵が、はつらつと声を上げる。

「陛下。ゲルルフ=デルプフェルト様がいらっしゃいました」
「ご苦労。
 ───近衛兵全員、下がれ」
「「「はっ」」」

 既にそう打ち合わせていたのだろうか。案内していた者と階段に控えていたふたりは、王に敬礼をして謁見の間を出て行ってしまった。

(近衛兵の人払いは当然だが…)

 謁見の間の扉を閉める近衛兵達を見送りつつ、ゲルルフは眉間のしわを深くした。

 王と従者の仲の良さは、日々の風景を見ていても明らかだ。従者は腹違いの王を年長者らしく窘め、王がその過保護振りを呆れながらいなす光景は、城に勤める者ならば誰もが知っている。

 考えが甘く感情的になりがちながらも下々を従える貫禄は備えている王と、威風に欠けているが情報収集と分析力に長けた従者は、互いが揃ってようやく王として一人前と呼べた。

 その片割れがいないというのは、不思議と言うよりは奇妙と言った方がしっくりきた。

「この時間に呼び立ててすまないな、ゲルルフ=デルプフェルト。
 今の時刻、普段ならもうベッドで寝入ってしまう頃合いか?」

 向き直り顔を上げると、王は口の端を吊り上げて揶揄うように訊ねた。
 ゲルルフは両手を重ねて首を垂れ、年寄り扱いしてくる王の厭味を笑ってみせた。

「ふはは、ご冗談を。資料整理に執筆にと、寝ている暇などありはしませぬ」
「そうか。それならば結構。では忙しいお前の為に、手短に告げる事としよう」

 こちらが元気な様子に、王はうっすらと微笑を返し、徐に瞳を閉じた。
 気持ちを正すように深く息を吐いて瞳を開け、粛々と告げる。

「デルプフェルト家、タールクヴィスト家、そしてお前の血族を貶める発言をした事、ここに詫びよう。
 ───悪かった」
「──────」

 謁見の間を、沈黙が支配した。
 王はそれだけ告げると黙り込んでしまうし、ゲルルフもそんな話をされるとは思わなかったから呆気に取られてしまった。

 先に披露した幻術の感想を得ようと自分を呼び出したのだ、と思い込んでいたのだ。
 王の魔術をゲルルフが認めたならゲルルフが引退する。認めなければ王が退位する。
 そう取り決めていたのだから。

 魔晶石を幾つも浪費して盛大に行われた打ち上げ花火の幻術は、誰もが心奪われる出来だった。
 ゲルルフもそう思っているに違いない。負けを認め引退するだろう、と。
 そう王は考えているのだ、と思っていたのに。

 全く予想を外してしまい、それがあまりにもおかしくて、ゲルルフはついに噴き出してしまった。

「………ふ、ふふ。ふはははははははははっ!」

 笑いが止まらなかった。
 日々教壇に立ち、兵士達に教えを叩きこむ為に鍛えられたこの喉から、感情の波が溢れ出た。悲嘆、侮蔑、憐憫───どれでもあって、どれでもない何かが、笑いという形になっていく。

 顔を押さえ年甲斐もなく大爆笑しているゲルルフを、王はつまらなそうに見下ろしていた。拗ねているようにも見える所から、ある程度予測は出来ていたのかもしれない。

「…おかしいか?」

 自身の哄笑の合間から聞こえてきた問いかけに、ゲルルフは玉座の王を睨み上げた。一気にこみ上げてきた怒りを抑える事が出来ず、まくし立てる。

「ええ、ええ!これを笑わずに何を笑いましょう?
 側女にそう言われましたかな?そう言って王の地位にしがみつけ、と。
 ワタクシの話は聞く耳持たぬと言うのに、魔女の言いなりにはなるのですなあ!?」

 ゲルルフの憤懣が謁見の間にこだました。王に向けた明確な暴言は、冬の寒さ以上に冷たい風を呼び込んだ。