小説
叱って煽って、宥めて褒めて
 ───深夜の寝室で、ゲルルフは不意に目を覚ました。
 ちら、と窓を見上げ、日の出の時間はまだずっと先なのだと気付く。薄雲の隙間から欠けた月が覗いており、その光に叩き起こされたのだと悟る。

 気持ちが冴えてしまうのは仕方がなかった。
 いつものシルウェステルは、日が出ている間に城を出て、屋台が組みあがっていく様を眺めながら城下の自宅へ戻り、家族と一緒に慎ましく年を越していたのだ。

 あんな、空をどこまでも彩る幻術の花火など見せつけられたら、心穏やかでいられるはずがない。

 気持ちに揺り動かされて、ゲルルフは渋々体を起こした。
 締め付けられるような胸の痛みに耐え、白い溜息を空に零す。

(ああ………ああ………心が、疼く。
 フリーデ………ヴィンフリーデ………。
 ”俺”は、どうしたら良かったんだ…)

 思い出さずにはいられない。
 魔術を、ただの偏見で済ませていたあの日々を。
 魔術を、恐ろしいものだと自覚したあの日を。

 ◇◇◇

 ヴィンフリーデ=バルツァーは、聡明な人だった。
 代々魔女の家系らしいのだが、ゲルルフが抱いていた”性悪で下品で醜い魔女”の雰囲気など微塵も感じさせない、はつらつとした女性だった。

 元々は聖王領の出身ではなく、奇縁に恵まれ聖王領学院に進学。
 成績は優秀で、意外にも創造神への信仰心が篤い。
 将来は、恩人が務めている聖王領術研究所に就職して聖王都に貢献したい、と言っていた。

 一方ゲルルフは、成績は優秀ではあったが故郷ラッフレナンドの土地柄に染まっており、学院内では”魔術嫌い”と揶揄われていた男だった。

『こんにちわ。何の本を読んでいるの?』

 そんなゲルルフに、ヴィンフリーデが話しかけてきてくれた理由は分からない。
 読んでいた本が気になったのか、いつも一人でいた事を気に掛けたのか。

『…”聖剣・その成り立ちの全て”だよ。俺の故郷にも、聖剣と呼ばれるものはあるから…』
『知ってるわ、”魔術師殺しの剣”でしょう?』

 魔女の家系の女性から”魔術師殺しの剣”の話が振られるとは思わず、彼女に顔を向けてしまった。

 肩まで伸びたカーキ色の髪、スカイブルーの双眸に知性を感じさせ、ほんのり健康的に焼けた肌の下に、ピンク色の唇が笑みを作っていた。
 こんなに間近で、女性の顔を見たのは初めてだったかもしれない。

『魔術師界隈でも有名な剣だもの。
 当時隆盛を極めてた魔術師王国を、あっさりと陥落させた聖剣…。
 御伽噺みたいな話だけど、実在するなら信じない訳にはいかないものね?』

 小首を傾げてにこりと笑う彼女の瞳には、好奇心が宿っているように見えた。

 その時は、揶揄われているのだろうか、と考えた。
 でも、それからも積極的に声をかけてきてくれた彼女に恋するのに、時間はかからなかった。

 ◇◇◇

 口下手で流行りに疎かったから、会話の殆どは授業の話ばかりだった。
『教授の説明が下手で頭に入って来なかった』だの『アンフレ山脈にはロマンが詰まってる』だの、大した話はしていなかったような気がする。

 ゲルルフは自説をまくし立て、ヴィンフリーデはうんうんと頷く。
 そして時折彼女は、『でもこういう話もあるのよ』と逸話や本を紹介してくれて、またそこで話に花が咲く。
 毎日が、この繰り返しだった。

 今思えば、一方的だったかもしれない。会話ですらなかったかもしれない。
 彼女自身の話は、あまり聞いた事がなかったのだから。
 ”魔術嫌い”に気を遣ってくれたのか、家の事情を話したくなかったのか。

 彼女の事をもっと知りたい、と思い始めた頃、学院では文化祭が始まろうとしていた。