小説
叱って煽って、宥めて褒めて
 ゲルルフは深い深い吐息を零し、改めて王に向き直った。

「見合いの話ですが。
 あれからデルプフェルト家へ文を送った所、丁重に断られてしまったのです」

 状況の変化を告げると、王は渋い顔をしてみせた。
 ゲルルフが戻りの手紙を読んだ時も、こんな顔をしていたに違いない。想像通りの反応に、思わず苦笑いを返す。

「どうやらウッラ=ブリットが、何かを吹き込んだようでしてな。
『女を加虐して悦ぶ陛下の下へ嫁ぐ位なら、修道女になった方がマシだ』と言われてしまったとか。
 全く…最近の女どもは我が儘で困りますなあ」
「…あれは罪人として扱っただけで」
「ええ、ええ。分かっておりますとも。
 ですがそのように我が儘では、正妃の立場など任せられるはずもありませぬ。
 愚直なまでに従順な側女の方がまだマシというものです」

 王の困惑が、表情から伝わってきた。
 今まで散々ケチをつけ、つい今しがた魔女呼ばわりもした女に対し、一定の評価をしたのだ。戸惑って当然だっただろう。

「…それは」
「おおっと、心得違いはしないで頂きたい。側女に正妃の資格はありませぬ。
 子を生せないのであれば、他の女に御子を産ませる手配をなさい。
 此度はこちらとのご縁がありませなんだが、そこはそれ。
 先の気概があるのならば、正妃も早々に決めて頂きたいものですな」

 そう説いて、ゲルルフはメモ用紙を折りたたみ、王に返した。
 ゲルルフにとっては、つまらないものが書かれた紙きれでしかないが。

「………ああ、約束しよう」

 王はそれを大切そうに受け取り、上着の内ポケットにしまいこんだ。

(…これが楔となろう。王が、王であり続ける為の)

 ゲルルフは心にそう言い聞かせた。
 ほんの一時、心に響いただけのものであっても、それが王の原動力になると信じたい。

「お話は以上でよろしいでしょうかな?
 それでは陛下、今宵はこれにて失礼致します。おやすみなさいませ」
「…うむ。おやすみ、ゲルルフ=デルプフェルト。良い夢を」

 両手を重ねて首を垂れ、ゲルルフは静寂を取り戻した謁見の間を後にした。
 心なしか、闇夜に紛れて纏わりついていた”汚らしく良くないもの”が、消えて無くなったような気がした。

 ◇◇◇

「………………」

 謁見の間に取り残されたアランは、閉じられた正面の大扉をぼんやり眺めていた。
 じきに召使やメイドが来て、ここの灯りを消すだろう。明日は年始の行事があるし、早々にこの場を後にする必要があった。

「お疲れ様、アラン」

 背後から男性の声が聞こえて来て、アランは玉座の方へと顔を上げた。
 短く刈った亜麻色の髪と藍色の双眸を持つ青年───言わずもがな、ヘルムートだった。

 アランが静かに頷き階段を上がっていくと、彼はきょとんとして訊ねてきた。

「…何か、浮かない顔だね?」

 腹違いの兄に心中を見透かされ、アランは肩を竦めた。

 確かに、浮かない顔になる理由は山とあった。
 ゲルルフは幻術の選抜理由を気に掛けていたし、見合いだってデルプフェルト家の令嬢に拘らなくても縁故は幾らでもあったはずだ。

 リーファに対する評価も気にはなったが。それよりも───

「ヘルムート。お前、ゲルルフとの会話中に私兵を配していただろう。何故だ」

 アランからの指摘に、ヘルムートはほんの少しだけ驚いているようだった。
 しかしすぐに目を細め、鼻で笑って見せる。

「ふふん、僕がいない所でまた変な話をされたらかなわないからね。念の為、さ」
「聞き耳を立てさせていただけ、と?はぐらかすな。そういう手合いの者達ではない」

 今は無い複数の気配を思い出し、アランは苦々しく歯噛みした。

 ヘルムートはアランの従者となった際、先王から十数名の私兵を授けられていた。
 従者の立場はどこの部署にも所属していない事と、継承権を放棄したヘルムート”元殿下”を保護する目的もあったようだ。

 地方の情報収集や伝令が主任務のようだが、中には後ろ暗い仕事に特化した者もいる。
 闇夜に乗じて要人を暗殺する───そんな物騒な仕事を生業にする者も、国の平定に必要となる事だってある。

「彼らだって暇じゃないんだよ。
 明日の年始行事は人の行き来が多い。僕の私兵も、警備の支度で手一杯なんだ。
 たまたま手が空いてた、ちょっとアレな彼らに頼んだだけなんだって」
「聞くだけなら、お前が”耳”を立てるだけで十分だろう」
「…やだな。君の気持ちを無視してゲルルフを殺そうだなんて、思う訳ないだろう?」
「…っ?!」

 へらっと笑ってヘルムートが零したたとえに、アランは寒気を覚えた。

 今回ゲルルフは何故かあっさり退いたが、アランに理不尽を強いる事だって出来たのだ。
 退位、婚姻の強制、賠償、リーファの追放。最悪、アラン自身の命を要求したかもしれない。

 ゲルルフが要求を突きつけた途端、ヘルムートの私兵があの老人の首を掻き切っていた可能性だってあったのだ。

(ヘルムートは否定したが…)

 アランの”嘘つき夢魔の目”は、ヘルムートが何かを企んでいるなどと思っていない。天井のシャンデリアと側の燭台に照らされた異母兄は、いつもの穏やかな笑みを映している。
 なのに、その笑みに不安を覚えるのは何故だろうか。

(謂れの通りならば、私の”目”はあてにはならない。
 …だがヘルムートは、今まで私を不当に扱った事などなかった)

 結局、何も起こらなかったのだと思うしかなく、アランは詮索を諦めた。
 ヘルムートの横を抜け、上階への階段に足をかける。

「………私の覚悟に、水をささないでくれ」
「分かってるよ。悪かったね」

 融通の利かない子供を宥めるように、ヘルムートは形ばかりの謝罪をする。

 しかし、その顔を見る勇気がなくて、アランは振り向かずに階段を上がっていった。