小説
叱って煽って、宥めて褒めて
「ゲルルフ=デルプフェルト。
 私はな、王としての務めに自信が持てなかった」

 王は玉座から離れ、レッドカーペットが敷かれた階段を降りてくる。

「為した公務が、国全体に行き渡っていないのではないか。
 私の目の届かぬ所で、誰かが悪を為しているのではないか。
 影で私を嘲笑っているのではないか。
 そう、考えていた」

 広間に降り立つ王に、ゲルルフは苦言を呈する。

「…王にあるまじき考えですな」
「ああ、私もそう思う。
 …だが、それを否定してくれた者達がいた」
「者…達?」

 眉をひそめるゲルルフを見て、王は苦笑いを浮かべた。
 そして上着の内ポケットから手のひら大のメモ用紙を数枚取り出し、ゲルルフに手渡してきた。

「側女が城下へ出張ってまとめてくれてな。
 まああれも友人は少ないから、少数意見と言われればそれまでだが」

 紙の上の方には、ここしばらく嫌と言う程見た筆跡で”城下の人達からの言葉”と題されている。

 続けて下を見ると、『他の町よりもずっと治安が良い』『施設が一通り揃ってて住みやすい』『兵士さんが親切』『大通りの廃墟がボロくなってきて心配』『最近お城で魔術絡みの話が多くて不安』『住民税が高い』『口下手な息子の為に結婚相談所を作って欲しい』など、箇条書きで好き放題に書かれていた。

 城下には、庶民の不満や改善などの投書を受け付ける投書箱があり、内容はそちらに良く似ていた。
 ただ、そういった投書は役人達によって審査され、認められたものだけが案件に加えられる。王の目に触れるのは、それからずっと後の話だ。

 つまりこれは、誰の手も加わっていない純粋な民の意見と言えた。

「お前が言った通り、私は国を治める気が全く無かった。任せられる者がいるならば、さっさと押し付けて隠居したかった。
 …しかし、私が王で本当に良かったと、言ってくれた女がいる。私を王として見てくれて、私の治世を望んでいる者達がいる。
 ならば───責務を全うするだけだ」

 そう告げた王の藍の双眸が、真っ直ぐにゲルルフを射貫く。

 公務を放棄して逃げる事しか考えていなかった幼稚な小僧が、ここに来て己が立場を定め、王である事を主張しだした。
 本来ならば、即位した二年前に示していなければならなかった意思表明だ。

「…魔術披露の結果は、聞かなくていいのですかな?」
「ふん、どうせ不合格だろう?魔術の小道具に国宝を用いたのだ。許せるはずがない。
 …それに、私がどんな魔術を披露しようとも、お前は不合格にするだろう。
 その方が要求は通りやすくなるのだから」

 王はそう言って、口の端を吊り上げ冷ややかに笑う。

(理解して、おられたか…)

 魔術披露の話を持ちかけられた際、ゲルルフはたとえそれがどれ程優れた魔術だったとしても認めないつもりでいた。
 たった二ヶ月では何も為せないと思っていたし、為せても大したものにはならないと思っていたが、何よりもそちらの方が都合が良いのだ。

 魔術を認めなければ、ゲルルフは城に留まる事が出来る。
 やる気のない王を廃する事も、適当に見合いを振る事も、リーファを追い出す事も可能となる。

 全てがゲルルフの口先一つでどうとでもなる勝負を、利用しない手は無かった。

「…側女を、正妃にしたいなどとは言わぬのですな?」
「………あれが、それを望んでいないからな」

 相変わらずリーファへの説得は実を結んでいないようで、その面持ちからは諦めが見え隠れしていた。

(………ああ、全く。その御髪、体躯、眼光のみならず。
 向こう見ずな所も、身勝手な所も、惚れた女と縁がない所も。
 本当に…本当に、先王に良く似ておられる…)

 ───ゲルルフは若い頃よりこの城に出入りしていて、同年代という事もあってよく先王オスヴァルトに絡まれ振り回されたものだった。

 オスヴァルトの”一番の女”は、当時城下の飯屋で看板娘をしていた女性だ。
 身分を隠して飯屋に日参したオスヴァルトを、彼女はすげなくあしらい続け、結局オスヴァルトは彼女に何も出来ずに故郷へ帰してしまったのだ。

 不妊の呪いを抱えながらも正妃と三人の側女が全員御子を授かった事について、”一番の女”を官僚達に白状する羽目になってしまったオスヴァルトは『手に入らないものに理想を求めてしまうものだ』と自嘲気味に笑っていたものだ。

「…私は、お前の要求を呑むと誓おう。さあ、お前はどうしたい」
「…では一つ質問にお答えを」
「…申してみよ」
「あのような幻術を披露した理由を教えて頂きたい」

 王にとっては奇妙な問いかけに聞こえたのだろうか。怪訝そうに眉をひそめ、淡々と答える。

「…何を疑問に感じているのかは知らんが、候補の一つがこれだった、としか言えん。
 側女は、『暴発しても肉体の被害は受けにくく、国宝級の芸術に触れる機会が多い陛下なら良質な幻術を編み出せるはずです』…と勧めていたな。
 魔術師王国時代にああいうものが流行ったらしいが、花火自体は即位前にシュリットバイゼ国で見た海上花火を参考にした。
 …あれは良いものだったからな」
「ふ、ふふっ」

 何故だかおかしくて、ゲルルフは噴き出してしまった。
 いや、理由は分かっているのだ。分かっていたからこそ耐えれたはずなのに、湧きあがってしまった感情が笑いを押し上げてしまった。

「ふははははははっ!」

 荘厳で静謐な謁見の間に、年齢の割にはつらつとした笑い声がこだまする。

 いい歳した年寄りが腹を抱え大爆笑している様は、傍目には痴呆老人と何ら変わらないだろう。
 しかし、自分の経歴を調べてその選択をしたのか、と勘ぐったのが、実に馬鹿らしかったのだ。

「何がおかしい?」

 ついに壊れてしまった、とでも思ったのか。王は不可解な面持ちでゲルルフを見下ろしている。

 ゲルルフは笑いをどうにか堪えて、呼吸を正した。

「いや、こちらの、事です。お気に、なさらず…」

 先の話を思い出せば笑いがこみ上げてくるが、これ以上笑うと医師を呼ばれてしまいそうだ。