小説
血路を開け乙女もどきの花
 既に手遅れかもしれないと思いつつも、アランは極力平静を装った。リーファを真っ直ぐに見据え、彼女を傷付けないように言葉を選ぶ。

「それは、グリムリーパーが持つ力…という事だな…?」
「…はい。死期が明確になった人を見ると、その人の周りに文字や光景が情報として入ってくるんです。
 魂の回収時期を見定めるものらしく、大まかなものではあるんですが…」
「私の死期も視えていると…?」

 肯定するように、リーファの瞼が落ちる。それと共にまた一筋涙が零れて行って、彼女はハンカチでそれを拭った。

「…前は、こんなじゃなかったんです。最初に視たアラン様の死に際は、もっとずっとお年を召していて、場所もこの城じゃなくて…。
 なのに最近は、近い将来、城で亡くなる光景ばかりを視てしまうんです…。
 …ベッドに臥すアラン様の側に、私と小さな子供がいたので、何年かは先だとは思うんですが…」
「………………」

 リーファがアランの死に際をぽつりぽつりと語る中、アラン自身はどこか冷静に彼女を見つめていた。

 自分の死がすぐ側まで迫っている。未来予知とも呼べる宣告に、恐怖を抱いていない訳ではない。
 状況から、何らかの病気か、毒や襲撃などで暗殺されたか、と推測も出来た。可能であれば回避したいとも思えた。戦地へ赴くアランを、リーファが必死になって守ろうとした理由も、今なら理解出来る。

 だが。
 リーファと子供がいて、自分の死を看取ってくれるのならば───

(それは、私にとって最も幸せな死に方なのではないか?)

 心のどこかでその死を受け入れている自分に気が付き、それは紛れも無い愚考なのだとすぐさま否定した。こんな事を口にしたら、リーファに何を言われるか。

「アラン様…?」

 リーファの声掛けで、アランは我に返った。どうやら考え込んでいたらしい。
 一つ咳払いをして気持ちを切り替え、不安そうにしているリーファに笑いかけた。

「ああ、少し驚いただけだ。だが大体は理解した。
 しかし、お前がこうして私を守ろうとしているのだ。その死に際を視る力は、外れる事もあるのではないか?」
「あ…は、はい。
 私の目の出来が悪いのか、私の中で優先順位が高い死に際が視えるのか分からないんですが、外れる事も結構あります………ただ…」
「毎日…いや、常に同じ死に際を視ていれば、気も滅入ろう。
 ………私の事で苦労を掛けたな」

 リーファの頬を撫でて気持ちを汲んでやると、彼女は目を見張っていた。アランの口から労る言葉が出てきて驚いている、という風だ。
 そして不意に、ふにゃり、とリーファの顔が歪んだ。

「………何か、出来ないか、色々、考えたんです…。
 色々考えて、色々試して………それでも、この死に際は、変わらなくて…。
 …私がここにいるのが、良くないんじゃないか、って、何度も、思いました…!」

 一年、あるいはもっと前から溜め込んでいた想いを、リーファは涙と共に吐き出していく。嗚咽を上げ、ハンカチで口元を押さえ、時に声を潰しながらも、アランの命を一日でも伸ばそうと躍起になっていた事を伝えてくる。

(お前が正妃の立場を拒み続けていたのは、そういう理由だったか…)

 リーファが頑なだったのは、『相応しい身分ではない』という理由だけではなかったのだ。御子を産んでからすぐに城を離れれば、この死に際を迎える事はないと考えたのだろう。

「…私は、この”目”が嫌いです…。
 色んな人の死に際を見せてくるのに、私には何もさせてくれないんですから…。
 母だって…何日も前から分かっていたのに。『大人しく寝ていてね』って何度も言ったのに、結局は薬草を摘みに行って…!」
「…そうか………母親の死を視たのか…」

 かつて聞いた、リーファの母親の話を思い出す。
 リーファの母親は、疫病に侵されながらも特効薬になる薬草を摘みに出掛け、リーファに薬草を預けた後に息を引き取ったという。

 アランに向けている過度な干渉は、死に際を視ていながら変えられなかった母親の死から繋がっているのだろう。

(…ああ全くお前は。こんなにも私の事を考えて、こんなにも思い詰めて…)

 リーファとアランの距離は、傾聴するならば最適だったが、触れるのならば遠すぎた。
 湧き上がる感情に抗えるはずもない。アランは体を起こし、リーファの背中と膝の下へと腕を差し込んで抱き上げた。

「あっ…う、わ」

 アランに容易く持ち上げられたリーファは、一瞬抗う素振りを見せたが、むしろ暴れた方が危険だと気付いたようだ。身を竦め、大人しくアランに体を預けてきた。

 空になったソファにアランは座り、アランの膝の上にリーファが収まる。落下や転倒を恐れて最近は禁じられていた、いつもの距離感だった。

「リーファ。お前が視た死に際が正しいのならば、私は少なくとも今回の討伐には五体満足で帰って来られる、という事になるのではないか?」
「それは───それ、は…」

 すすり泣くリーファの背中を、アランは静かに慰撫する。どこかひんやりとしたリーファの体温が、アランの手のひらに染み渡って行く。

「私はお前が視た死に際を、確定した勝利の未来と考えたい。私は無事に戻り、お前は元気で愛らしい子を産むのだ。
 子は男児だったか?女児だったか?いや、そこは後の楽しみにとっておくとしよう。名の候補を性別で絞り込むのは無粋だ。
 確か『何年か先だろう』とお前は言っていたな?周りの環境が変わっていないのならば、そう酷い悪政は敷いていないと見ても良いだろう」

 己の死に際を基に楽観的に分析していくアランを、リーファは口を開けて見上げていた。その発想は考えもしなかったのか、顔に困惑が広がっている。

 丁度良いと思い、アランは改めてリーファの瞳の色を観察した。

 瞳を彩る瑪瑙色───ほんのりと青が混じる淡い茶色───の揺らめきの中に、燃えるような鮮烈な赤が混じっている。
 その”赤”を見て、アランはグリムリーパーの王ラダマスの瞳を思い出す。アランが積み重ねてきたものやその未来さえも見透かすかのような、烈火のような煌めきだったが。

(この瞳は、私の未来を案じている)

 恐怖ばかりを覚えたラダマスの瞳とは違うのだと。このリーファの瞳は、アランの前途を明るく照らす光なのだと思えた。

「それから後の事は───共に、考えて行こう。
 死の神たるグリムリーパーにとっては、人間など頼りにはならんかもしれん。
 しかしこれは私の人生だ。知ってしまった以上、お前ばかりに背負わせる訳にはいかんさ」

 そう笑ってみせて、アランはリーファの額にキスを落とした。その次は、鼻の頭、頬の順に唇で撫で、最後は顎に手を添えて食むように唇に触れる。

 最初は惚けていたリーファだったが、壊れ物を扱うように丁寧に触れてくるアランをゆっくりと受け入れた。そうこうしているうちに、寂しさからか嬉しさからか、リーファは自分からアランにキスを求めてきた。

 ───触れて、離れて、触れて、離れて。
 黙したまま、お互いを確かめ合うように唇を啄むだけの時間だけが流れて。

 やがて、どちらともなく触れ合いを止めると、リーファは頬を赤く染めてアランにねだった。

「………お守り、持って行ってくれます…?」
「一人で抱えるには多過ぎるな。周囲の者達へも配り、隊全体で守りを強固にするとしよう」
「治癒魔術を込めた指輪も、今作ってるんです…。頑張って間に合わせますから…」
「ああ、左手の薬指に合わせて作ってくれ」
「か、帰ってきたら、野菜を多めにした食事を…甘い物も、もう少し控えて欲しいです…!」
「………う、む。ど、努力しよう」

 今後の食生活に影響が出そうな約束までさせられてしまったが、先の事まで考えられるようになったのは良い事だと思う事にした。

 はあ、とリーファの口から溜息が落ちて行く。もう彼女の顔に悲しみの色は無い。余韻に浸って頬を濡らしているが、じきに落ち着いて行くだろう。

「黙っていて、すみませんでした…」
「…もう、私に黙っている事は無いか?」

 何とはなしに訊ねただけだったが、リーファがギクッと体を強張らせたのが伝わってきた。
 そして、もう隠し事は出来ないと観念したようで、リーファはもじもじと白状してくる。

「え、ええっと。そう、ですね………。
 魂を弄って記憶を改竄する技術が、グリムリーパーにはありまして…。
 アラン様から私の記憶を消して城を出ようかな、とかは思ってました。すみません…。
 あとは───」
「………さらっと言っているが、なかなかえげつない事を考えていたのだな………」

 アランが考えていた以上に、リーファは重い秘密を抱えていたようだ。
 衝撃はそこそこ大きかったが、白状した手前、そのような強硬な手段に出る事はないだろう、と一旦はリーファを信じる事にした。