小説
血路を開け乙女もどきの花
 リーファの温もりと手垢まみれになった漆黒の鎧は脱がされ、近衛兵二人にワゴンで運び出されて行った。
 きっと後で、近衛兵達は鎧のご利益とやらをこっそり与るのだろう。アランとしては不本意だが、手入れに問題がなければ良い、と思うしかない。

 何故だかどっと疲労を覚えたアランは、溜息と共に赤を基調としたアンティークソファに腰掛けた。リーファを手招き、隣に座らせる。

「それで、用件は何だ」
「え、えっと………アラン様の無事の帰還を願って、花の飾り物を用意したんです。
 どうか、鎧の上へ身に付けて頂けたら、と」

 ご利益を全身で与って興奮気味に頬を染めたリーファは、持っていた手提げ袋に手を入れ、それを取り出してきた。

 大きさは握り拳程度で、ラッパのような形状の紺色がかった青い花と、細長い花びらが放射状に広がる白い花を組み合わせている。ピンがついており、コサージュのように留める事が出来そうだ。

「ブローディアとノコンギク、という花です。どちらにも”守護”という花言葉がありまして。
 一度だけアラン様の身を守ってくれるよう、魔術を付与しています。
 ………アラン様は嫌かもしれませんが、私の気持ちと思って、連れて行って貰えないかと…」

 何とはなしに花びらに触れてみる。生花のような感触だが、アランの指先を伝ってほんのり魔力が感じられた。
 アランを想うリーファの気持ちが、胸に深く染みていくようだった。

(リーファが私を守る、か…)

 最前線にいた頃は、常に身一つで戦っていた。
 勿論周りには同僚も上官も部下もいたが、隣にいた同僚の眉間を敵兵の矢が抉り、前を行く重装歩兵の陣形があっという間に崩されるような環境下で、一番に信じられるのは自分のみと言えた。

 この花飾りがどれ程守りの力を有しているかは分からない。だがリーファは、アランの中で最も信じられる存在だ。
 そんな彼女からの贈り物ならば、これ程心強いものはない。

「…ああ。必ず、身につけるとしよう」

 笑って花飾りを受け取ったアランを見て、不安の色を滲ませていたリーファは破顔した。どうやら受け取って貰えないと思っていたらしい。
 そしてこの機を逃すまいと言わんばかりに、慌てて手提げ袋に手を突っ込んだ。

「そ、それと、こちらが幸運を呼び込むアミュレットで、こちらが大体の毒を防ぐタリスマンです。それとこれが───」

 手提げ袋の中から現れた手には、飾り物が山盛りになって握られていた。
 身につける為のものなのだろう。ジャラジャラと鎖がぶら下がり、リボンを模した銀のネックレスや、竜の翼のような形状のお守り、ルビーのピアスなどが、目と鼻の先で見せつけられる。

 必死に飾り物を押し付けてくるリーファを、アランは慌てて手で制した。

「ま、待て待て待て。そんなにごちゃごちゃつけて行けるか。どれか一つに絞れ!」
「一つだけだなんて………アラン様に何かあったら困るじゃないですか!
 …無事に帰れたとしても、どこかで怪我をして、それがたたって後になって体を壊したら───死んで、しまったら───」

 思い詰めたようにまくしたてたリーファはやおら言葉を詰まらせ、飾り物をアランに向けたまま俯いてしまった。

 リーファが動揺する姿に、アランは眉をひそめた。
 確かに戦いは避けられないだろうが、アランは指揮官として後方に立つつもりでいたし、その事はリーファにもちゃんと話してある。多少は怪我したとしても、体調を崩したり死ぬような事態にはならないはずだ。

 リーファの怯え方は、戦争への無理解から来る怯えとは違うような気がした。何か具体的に、恐怖の理由があるように思えた。

「…何を心配している…?───いや…何を知っている…?」

 アランの言い直した問いかけに、リーファはハッとしていた。
 見上げてくる彼女からは、何かを隠していて、アランにそれが気付かれつつある事を悟ったような面持ちだった。

 やがてリーファは俯き、瞳に浮かんだ雫をワンピースの袖で拭って、掴んでいた飾り物を手提げ袋へ戻していく。

「す、すみません。何だか不安になってしまったみたいです…。
 こんな事初めてですし、お腹がこんななので、気持ちが揺らいでしまったんだと思います…。
 一旦、気持ちを落ち着けてきます…」

 それは先の問いかけの答えにはなっていなかったが、リーファからは相変わらず嘘を示す黒いもやは出ていなかった。アランにやましい気持ちは微塵も向けていなかったのだ。

 だが、ソファから立ち上がり背を向けようとしたリーファの腕を、アランは咄嗟に掴んだ。

「あ、アラン様…!?」

 驚いたリーファが慌てて振りほどこうとしたが、立ち上がったアランは離さなかった。ソファの横に設えたガラステーブルに花飾りを置き、乱暴過ぎず逃がさない程度の握力でリーファをその場へ留めた。

「怒らない。何であれ、まずは呑み込もう。
 ───リーファ、正直に答えてくれ。お前は何を抱え込んでいる?」
「──────」

 アランに真っ直ぐな視線を向けられ、リーファの目は戸惑いに揺れていた。振りほどけない腕とアランの顔を交互に見て、答えなければこの場から離れられないと分かっていても、なかなか唇を動かさなかった。

 重い沈黙が続く王の寝室のガラス窓を、春先の強い風の音が撫でて行く。4階には他に遮蔽物となるものがないから、3階南の中庭から吹き上げる風の音がどうしても耳障りに聞こえてしまう。

 どれ程待ったか。アランを見上げるリーファの頬に、涙が一筋伝っていった。
 何も語らずとも、リーファの優しさがアランにも痛いほど伝わってきた。

「………本当に、大した事じゃ、ないんです…。
 私の、思い違いかも、しれなくて………それならいいなって、毎日、思ってて…」
「ああ、それが聞きたい」

 アランは手の力を緩めて腕を解放し、リーファの頬を濡らす雫を指で拭い取った。
 止め処なく涙を流すリーファをソファへと座らせ、自分はソファの前で片膝をつく。ふたりの身の丈なら、これで大体目線がかち合うようになる。

「…どうか、話半分に聞いて下さい…。
 ………私は、人が死ぬ直前の光景を、視る事が出来るんです………」
「………!?」

 目を潤ませておずおずと唇を開いたリーファの言葉に、アランは体中の産毛が逆立つような寒気を覚えた。

 呼吸を忘れる程に肝を潰したアランを見て、居心地悪そうにリーファが身を小さくしている。想像は出来ていたのだろう。ハンカチを握り潰し、膝に置かれた彼女の拳はわずかに震えていた。