小説
血路を開け乙女もどきの花
 ラッフレナンド城4階、王の寝室。
 王が一人寛ぐ為にある広々とした部屋で、ガチャリガチャリと金属をすり合わせた音がけたたましく響く。

「少しばかりきついな。最近は鍛えていたつもりでいたが、やはり太ったか…」

 ようやく着られた全身甲冑を眺めつつ、アランはアーメットのバイザーを上げて物憂げに嘆息する。

 この鎧は、アランが現役時代に愛用していたものだ。アランが”アウルム・オブスクリタス”などと呼ばれていた理由の一端を担っており、闇を溶かしたような艶の無い黒塗りの鎧となっている。
 アランの金髪に良く映える鎧ではあるが、重いし夏場は暑い事この上ない。一方で、この鎧に助けられた機会は多く、まさに相棒と呼ぶに相応しい一品だ。

「ははは、ご冗談を。これ程均整の取れた玉体を、太ったなどと」
「むしろ最近の鍛錬で、筋肉が上乗せされたのではありませんか?」
「ならばいいのだがな…」

 着付けを手伝わせていた近衛兵二人の軽口に、アランはちょっとだけ肩を落とした。
 最前線で戦っていた頃は、今のように何でも食べられる環境下にはなかったのだ。現在の運動量などを加味しても、どこかに余計な贅肉がある事は明白だった。

「しかし、ベルトの新調は必要ですね。関節部も、もう少し動かしやすくしておきたいです。調整は、こちらでやっておきましょう」
「よ、鎧の磨き込みは、是非わたくしにお任せいただきたいのですが…!」
「ま、待て。その位は自分で───」
「陛下の鎧の整備をしてみたいのです!」
「他の連中に、陛下の鎧の素晴らしさを自慢させて下さい!」

 噛みつくように説き伏せてきた近衛兵達の目は、爛々と輝いて見えた。何が彼らをそこまで駆り立てるのかアランには分からなかったが、こうした事態がそう多くある訳でもないのだから、貴重な経験と考えているのかもしれない。

 鎧の手入れは基本自分でやるものだが、こう熱意を以て説得されたら無下には断れない。コクコクと首を縦に動かし、アランは近衛兵達に応えた。

「う、うむ。程々に頼む」
「お任せ下さい!」
「敵が陛下を見た瞬間震え上がるような光沢を出して見せます!」
「………むぅ」

 あまり派手な装いはアランの好む所ではないが、見た目で戦意が削げるのならば、それに越した事はないかもしれない。諦めも入り混じった気持ちでアランは頷いた。

 ───コンコンッ

 試着を終え、近衛兵達が嬉々と鎧を外していく中、唐突に扉をノックする音が響き渡る。
 この王の寝室の扉を叩く者など、そう多くはいない。その場の全員が訝しんでいると、扉の先から聞き慣れた女の声が聞こえてきた。

「リーファです。今お時間よろしいでしょうか?」
「ああ、入れ」
「失礼致します」

 遠慮がちに扉を開けて、リーファが部屋へ入ってきた。ふんわりしたピンク色のワンピースを着て布製の手提げ袋を腕に掛けている姿は、まるで買い物帰りの主婦のようだ。

(リーファを一市民に戻していれば、こんな面倒に巻き込む事もなかっただろうに───いや、過ぎた話か…)

 未練を抱えている自分の女々しさに、アランは苦笑した。王として戦う道を選んだというのに、未だリーファと別の土地で暮らす光景を夢見てしまう。
 アランは首を横に振って未練を振り払い、リーファに顔を向けた。

「どうかしたか?」
「あ、はい。アラン様にお願いがあって来たんですが…」

 そう言いながら部屋の中ほどまで入ってきたリーファだったが、アランの姿を捉えると足を止めてしまった。惚けた顔でアランを上から下から見つめている。

 しばし立ち尽くしていたリーファは、徐に口元を手で押さえた。瑪瑙色の瞳を潤ませ、声を震わせ、リーファはアランの出で立ちに歓喜する。

「あらんしゃま………かっこいぃ…っ!」
「…っ?!」

 あまりの取り乱し振りに、逆にアランも動揺してしまった。
 嬉しくないと言えば嘘にはなるが、リーファに泣きそうな顔で───ついでに噛む程に───喜んでもらえるような事は何もしていない。

 ふと、アランは気付く。
 今は、鎧を脱がされている所だった。被っていたアーメットは既にワゴンへ置かれており、近衛兵達によって籠手から順番に留めているベルトを外されていたのだ。

「…リーファ。お前まさか、鎧が良いのか…?」
「!」

 アランの指摘に、リーファは、は、と我に返った。
 思っている以上に取り乱していたと気が付いたようで、額から大量の汗を掻いている。

「い、いや、そういう訳じゃないんですけど………でも、こう、かちっとした格好をしていると、顔立ちも引き締まって見えるというか。
 ああでも、ゆるい普段着よりも、燕尾服とか鎧とかフォーマルな姿の方がドキドキはするのかも…えっと、あれ?」

 手をパタパタと動かし、しどろもどろと言い訳をしているが、どうやらリーファは礼服などを好むらしい。普段から黒を基調とした貴族服で身を固めてはいるが、そこはそれ見慣れてしまっているという事なのだろう。

「───すごく、よく分かります」
「鎧姿の陛下を見たら、誰だってそう思いますよね…!」

 自分の言い訳に戸惑っているリーファに反応を示したのはアランではなかった。鎧の着脱を手伝っていた近衛兵二人だ。
 彼らはベルトを外す手を一時止め、深々と首肯を繰り返している。

「前線にお出になられていた頃の陛下は、とても勇猛果敢な将校だったのですよ。戦場に現れた途端、武器を放り投げて逃げる魔物もいたとか」
「この漆黒の鎧には、今まで屠ってきた数多の魔物の血が染み付いていると言われていて、触れるとご利益があるんですよ」
「そ、それはすごいですね…!」

 近衛兵達によって熱く語られる鎧の謂れに、リーファが感心しながらも首を傾げている。城下で暮らしていたリーファも、アランが地方で武勲を立てた事は知っていたようで、それなりに納得はしているようだ。

 だが、自分の鎧にそんな謂れがあるなどとは思っていなかったアランは、怪訝な顔で近衛兵達に目をやった。

「は、初めて聞いたが?」
「え?兵士間ではとても有名な話ですよ?」
「手で触れれば剣の腕が冴えわたり、身に触れれば刃も通さぬ強靭な肉体を得て、身に纏えば女の子にモテモテになれるとか…!」

 鼻息荒い近衛兵達の言で、アランは愕然とした。

(だっ───誰だそんな噂を流したのはーーーっ!?)

 そして察する。どうやら彼らは、鎧にまつわるご利益に与りたいらしい。

 そもそも鎧は消耗品だ。前線へ立てば破損は当たり前で、状態によっては新調もする。そして将軍職に就けば後方から戦況を見定める必要があるから、自然と攻撃による破損頻度は減るものだ。

 この鎧を着て武勲を立てたのは事実だが、それはたまたま最後に着用したのがこの鎧だった、というだけだ。血が染み付く程浴びた覚えはないし、仮に浴びたとしても錆びや劣化を防ぐ為に手入れはまめに行っていたから、やはり染み付くはずもない。

(というか、何だ女にモテモテとか…!!あんなもの、モテた内に入るか!)

 女が寄って来なかった、と言えば嘘になる。前線からの戻りに町の女達が出迎える、という事は頻繁にあったのだ。そのまま勝利の酒宴が始まり、それなりの接待を受ける事は多かった。
 しかし黒いもやを撒き散らす女達を、酒の力を借りずに相手出来るはずもなく、アランとしては苦い思い出の一つでしかない。

 アランのもやもやした気持ちとは対照的に、リーファは近衛兵達の話に興味を示していた。瞳をキラキラさせ、脱ぎかけのアランの鎧を眺め回している。

「すごいですね………それは、男性なら一度は触ってみたいですよね…!」
「それだけではないんですよ。五穀豊穣、開運招福、商売繁盛のご利益の話も聞いた事があります」
「おおぉ………もうなんか、国宝級の一品じゃないですか…!?」
「子孫繁栄、安産祈願もあったような…」
「本当ですか!?」

 呪いがついているならまだしも、どこでどう尾ひれがつけば武勲に全く関係ないご利益が紛れるのか。ついには出産絡みのご利益まで現れ、リーファが激しく食いついた。

 そして、やおら近衛兵に向けていた顔をグギリ、とアランの方へと向けた。鎧に触れるか触れないか、という所までにじり寄ってきて、恐る恐る訊ねてくる。

「あ、あの、アラン様………触って、いいですか…?」

 アランが、『私の鎧にそんな利益はない』と拒否するのは簡単だった。
 手入れはしていても、戦場で使い込んだ鎧だ。リーファなら呪いくらいは跳ねのけるだろうが、衛生面や精神面で妊婦に触らせて良いものか、という問題もある。

 しかし、もじもじと上目遣いで懇願してくるリーファがあまりにもいじらしくて───

「………好きにしてくれ………」

 そう返すので、精一杯になってしまった。