小説
血路を開け乙女もどきの花
 アロイス=ギースベルトが潜伏していると思われるギースベルト領内からラッフレナンド城まで、健常な成人男性ならば徒歩で大体四日はかかる。
 ユーニウスの月の七日にラッフレナンド城へ帰城するならば、アロイスの一団は遅くとも三日にはギースベルト領を発たねばならないのだ。

 アロイスの一団が無茶な山越えを選択しなければ、フーリア、宿場、アーシー、マゼストを経由してラッフレナンド城へ帰城すると予想された。
 故に、その道行きを塞ぐ形で迎え撃つ───と言うのがアラン達の筋書きだ。

 接触予定地点は、東の町アーシーを南下した所にある宿場の手前となる。
 村や町を巻き込む訳にはいかないので近隣での野営となるが、背後がアーシーならば食材などの調達は難しくない。万全な態勢で戦いに望む事を考えれば、最適とすら言えた。

 ◇◇◇

 ユーニウスの月の四日、夕刻。
 アーシーと南の宿場を繋ぐ街道から少し離れた場所にある高台には、修理や補給の要と言える仮設の根拠地がある。不測の事態を考慮して作らせたものだが、それも杞憂に終わりそうだ。

「偵察班によると、アロイス=ギースベルトと思しき一団は、昨日の内にギースベルト領を出発。フーリア村を経由してこのルーレン街道を北上しております。今日の内は宿場に滞在し、明日、南ライゼ平原でこちらと接触致します。
 一団の数はざっと三百程。兵の様子からして、正規の訓練を受けた者は半数にも満たないと分析しました。
 またアロイス=ギースベルトと思われる、甲冑を着込んだ小柄な人物も確認出来ております」

 根拠地に設置されたテントの一つで、アランと将校達四名による作戦の最終調整が行われていた。

 状況報告をしたミロシュ=スハルドヴァー大尉は、テーブル上の地図に置かれた駒でアロイスの行動をなぞって行く。黒い歩兵の駒は、白髪交じりの金髪を角刈りにした中年男の無骨な指に摘ままれ、ギースベルト領から出発して宿場の位置で止まった。

「ギースベルト公爵経由で送った謹慎処分の書状は、突き返されたのだったな?」
「はっ。しかし公爵は一度書状に目を通していた、と聞いております。こちらと接触する事は予想しているかと」
「こちらが待ち伏せていると分かっていながら、正面突破を望むか。王の軍勢が相手ならば、蹴散らしてこそ、と思っているのかもしれんが………もっと賢い弟だと思っていたのだがな」

 年月の残酷さを痛感し、アランは物憂げに嘆息した。

 アランが最後にアロイスと顔を合わせたのは四年前。アロイスが八歳の頃だった。現在十二歳だからまだまだ幼いと言える年頃のはずだが、四年も顔を合わせていなければ容姿も思想も様変わりしているだろう。
 優しく賢かったアロイスがギースベルトの考え方に染まってしまった、などと考えたくはなかったが、現実はすぐそこまで迫っている。

 絹糸のような滑らかな髪を腰まで伸ばした細目の将校レックス=ウォール大尉は、淡々と手元の資料を読み上げる。

「ここ一ヶ月間のギースベルト領内の物流を確認した所、兵装関連で魔力を伴った物品を仕入れた形跡はないとの事です。
 それ以前の痕跡は追う事は出来ませんでしたが、魔力剣などを複数所持している可能性は低いと見ています。
 …魔力反射付きの大盾を使う機会はないかもしれませんね」
「なぁに。ないならないで、それに越したことはないさ」

 ウォールの苦笑に、茶色い長い髪を頭頂部でひとまとめにした初老の男エルマー=アダムソン中将が不敵に笑い返した。

 今回、魔力が込められた武器を用いた戦闘も想定している。
 魔力剣、魔力槍、魔力弓、と呼ばれるそれらは、全力で使用すれば地形すらも変えかねない兵器と言える。

 基本集団戦闘において重要なのは、敵方の戦意を削ぐ事だ。
 生き物というものは本気で死にたいとはまず思わないもので、傷を負い、追い詰められ、恐怖に来す事で戦意は削げて行く。また、部隊をまとめ上げている将校を討つ事で、隷下の兵達が無力化する事もある。

 そんな戦意が削がれた雑兵まで止めを刺す事はなく、捕虜として捕らえ、然るべき処分をする事が殆どだ。
 しかし魔力の武器の全力は、そんな戦いの作法を無視してあらゆる命を刈り取ってしまう。

 敵方で徴兵された者達は、普段は町村で農夫や鉱夫をしており、国の貴重な財産だ。
 出来る事なら魔力の武器は使わず、上手い落としどころが見つけられれば───と言うのが、アラン達の考えだった。

「ではミロシュ=スハルドヴァー大尉。エドヴァルド=レホトネン大尉。作戦通り、明日二個中隊を率い接触地点へ移動。
 アロイスの一団を視認後、合戦の作法に則りまずは”矢合わせ”を」
「「はっ!!」」

 アランが改めて指示をすると、二人の大尉は胸に手を当て快活に返事をした。

「さて、”矢合わせ”をアロイス=ギースベルトが理解していると良いのですが」
「こればかりはな。ギースベルト家がちゃんと躾けている事を信じるしかない」

 アダムソンの茶化しに、アランは肩を竦めた。互いの主将が”鏑矢”と”答の矢”を打ちあう事で合戦の合図とする戦場の作法だが、アロイスやその周囲の者達が作法自体を知らない可能性は十分ある。

 初陣で不安が残るのだろう。確認をするように、黒髪短髪の青年レホトネン大尉が訊ねてくる。

「あ、あの。陣形は”横陣”でよろしかったでしょうか?」
「ああ。槍兵であちらの陣を突き崩し、後から騎馬で蹴散らす。念の為、敵方の魔力の流れに注意するように」
「ははっ!」
「───ではワタシは、レホトネンの側についているとしましょう」
「えっ」

 降って湧いたアダムソンの提案に、レホトネンが露骨に嫌な顔をした。
 が、アダムソンが心底愉しそうに口の端を上げると、若き大尉がすぐさま竦みあがる。

「不満かね?」
「い、いいいえ、滅相も無い!よろしくご指導をお願いいたします!」
「………婿いびりは程々にしてくれ?」
「ええもう。心得ておりますとも。程々に、ね」

 ニヒィ、と意地悪くアダムソンが笑みを濃くすると、蛇に睨まれた蛙の如くレホトネンが動けなくなってしまった。アランが釘を刺してはみたが、効果はなさそうだ。

 アダムソンとレホトネンは、義理の親子にあたる。アダムソンの娘ユーフェミアが、近衛兵として城内勤務をしていたレホトネンに一目惚れ。とんとん拍子で恋仲になり、妊娠をきっかけに結婚と相成ったらしい。

 常日頃『目の中に入れても全然痛くない』とユーフェミアを溺愛していたアダムソンの落ち込みは凄まじく、何かにつけてレホトネンに愚痴と惚気と悪態をついている、という話はアランも耳にしていた。

 討伐隊への参加は、当初レホトネンのみが希望していたようだ。
 しかし『義父とちょっとだけ距離を置きたい』というレホトネンの細やかな気持ちを一笑するかのように、後追いでアダムソンが参加を表明したのだ。

 更には一兵士として参加するつもりだったレホトネンに、アダムソンは特例で大尉の階級まで与えてしまった。コネによる昇進、と聞こえはいいが、周りはレホトネンの悲惨な状況を知っている為、やっかみの声は皆無だ。

(嫁の父親ほど、怖いものはないのかもしれないな…)

 義理の親子の心温まらない交流にアランが恐々としていると、空気を読まずにウォールが頭を下げてきた。

「では、我ら後方支援の隊は、陛下の戦勝と無傷のご帰還をお待ちしております。───ご武運を」
「あ、ああ。何か問題が発生した際には、空砲と狼煙で知らせるように」

 そしてアランは将校らに目配せをした。不毛なやり取りをしていたアダムソンとレホトネンは勿論、スハルドヴァーとウォールも姿勢を正す。

「…此度の戦い、負ける戦ではないと確信している。
 だが気を緩めず、被害を最小に、成果は最大に。───お前たちの活躍を期待している」
「「「「ははっ!!」」」」

 将校達の快活な返事を受け、アランは満足に頷いた。

(必ずアロイスを打ち倒し、帰還する…!)

 思いを一つにしたテントの外で、空は濃い藍色に染まって行く。