小説
血路を開け乙女もどきの花
 作戦の最終調整を終え、アランは自分が休むためのテントへと戻って来ていた。

 テントの中ではシェリーが既に待機しており、アランが戻るなりてきぱきと甲冑を外してくれる。甲冑の着付けは数名でやってもそこそこ時間がかかるが、外すだけならばそこまで時間は要さない。

「明日はいよいよ戦いですね。状況に変更はございましたか?」
「問題はなさそうだ。明朝、作戦通り出発する」
「かしこまりました。それでは、わたしもそのつもりでお供致します」

 荷物を入れていた木箱の上へ甲冑を置いていくシェリーの背中を、アランは目で追う。

 彼女もまた、金属の輪を組んで作られたチェインメイルを身に纏っている。アランの全身甲冑に比べたら軽量だが、頭部をサレットが、肩から手までを肩当てと籠手が、膝から下をグリーブが守っており、それなりに重装備だ。

(並の兵士が太刀打ち出来ない程の膂力が、この細身のどこに眠っているのか…)

 アランは、ここしばらくの訓練の風景を思い起こす。

 ───一対一の剣術試合において、シェリーは相対した兵士を一気に戦闘不能に追い込んでみせたのだ。
 開始の合図と同時に最速で踏み込み、相手が構える前に利き手を攻撃して剣を落とさせ、ついでに剣の柄頭で腹部に一撃見舞ってみせたのだった。

 試合前は『女性だからほどほどに』『メイド長殿に叩かれるとかむしろご褒美』などと油断していた者達は、シェリーの戦いぶりに目を剥き、以降の訓練に熱が入って行ったのをアランは覚えている。

 一方、圧倒的な実力を見せつけたシェリーも、自身の欠点を見つめ直しており、メイド長としての仕事の傍らでギリギリまで体力作りに勤しんでいたようだ。
 そんなシェリーの姿を見て、『メイド長殿に最前線へ出られては、我々の立つ瀬がない。と言うか、むしろ陛下のお側に居て頂いた方が我々も安心です』と満場一致でアランの班にシェリーが配属されたのだった。

(とは言え、シェリーに怪我でも負われたらリーファに顔向けが出来ないな………何とか無傷で討伐を終わらせたいものだ…)

 シェリーの胸元にも、リーファが贈った守護の花飾りが留まっていた。アランの花飾りについている花に加え、ギザギザした葉のついた赤みのある白い花がたくさん盛られている。リーファもまた、シェリーの無事を願っているのだろう。

「………?」

 テント内に、何かを感じ取ったのは丁度そんな頃だった。
 何か、としたが、それがどういったものなのか説明する事は出来なかった。物音がした訳でも、吐息を聞いた訳でもない。テント内に取り巻く風の流れが変わったような気がする、その程度だ。

「どうかなさいましたか?陛下」

 目で周囲を探るこちらの様子に気付き、シェリーが怪訝に眉を顰めている。

 シェリーの問いかけに応えられず───アランはただ、何とはなしにその名を呼んでいた。

「───リーファ、か?」
「は?」

 シェリーの素っ頓狂な声に隠れるように、やはり何かが息を呑んだ気がした。
 動揺するシェリーを差し置いて、しばしテントの中に沈黙が流れたが、

「…すごい、何で分かっちゃったんですか?」

 良く通る声と共に、アランの視界の正面に橙色の輪郭が広がった。

 その姿は、アランが望むまま形を成していく。焚火にも似た橙の髪はふわりと靡き、女性らしい滑らかなラインを持つ空色の甲冑が現れていった。呆れを宿した瑪瑙色の瞳は細められ、艶めいたピンク色の唇は嬉しそうに口の端を上げている。

 グリムリーパーのリーファだった。彼女はアランの前にその姿を現すと、恭しく首を垂れてみせた。

「り───りりりり、リーファ、様…!?おお、お身体は、大丈夫なのですか?御子様は…!」
「ええ、問題なく。きっと、あの時は抜け出しやすい時期だったんでしょうね。今は私の体の方で、大人しくしてくれていますよ」

 顔を青くしたシェリーが真っ先に気に掛けたのは胎の御子の事だった。声を震わせて詰め寄るシェリーに、リーファは苦笑いで宥めている。

 とはいえ、リーファがグリムリーパーの姿でアランの前に現れる事自体が久々だ。アランも変に勘ぐってしまう。

「何かあったのか?」
「明日が討伐の決行日だったと思ったので、ちょっと気になってしまって。アラン様のお顔を見たらすぐに帰るつもりだったんですけど…まさか見つかるだなんて。もしかして、ちょっと匂ってました?」

 リーファはそう言って、くん、と自分の手の甲を鼻で嗅ぎ、小首を傾げている。グリムリーパー特有の花のような甘い香りを気にしたのだろう。

「…いや、匂いは感じなかったな。だが、いつも侍らしている女の温もりが寄り添って来たのだ。気付いて当然だろう?」
「やだ、近づき過ぎちゃったんですね。
 …でも、そうですね。アラン様のお顔、つい長く見過ぎていたかもしれないです」

 どうやら図星だったようで、リーファは頬を染めてはにかむ。
 リーファが深夜に目を覚まし、空寝をしているこちらを頻繁に眺めている事をアランは知っていた。同じように、こちらが見えていないと高を括って覗き込んでいたのだろう。