小説
血路を開け乙女もどきの花
「久々の旅路で、体調を崩してないか心配だったんですが………おふたりが元気そうで安心しました。私も、気兼ねなく城で待っていられます。
 …アラン様。寂しくても、決着がつくまで帰って来ちゃダメですからね?」

 子供に言い聞かせるように念を押してきたリーファに、アランは呆れを込めた嘆息を返した。

「全く…お前は私の事を何だと思っているのだ。言われんでも、アロイスの首を手土産にしてやるさ。………いや、グリムリーパーが欲しいのは、魂の方か?」
「あー、うん、ええっと…。首も魂も、今は間に合ってるのでいいです…」

 意気揚々と首を持って帰ってくるアランの姿を想像してしまったのだろうか。グリムリーパーの癖にほんのりと顔を青くして、リーファはやんわりと断りを入れてきた。

「シェリーさん。アラン様の事、よろしくお願いしますね」
「かしこまりました。必ずや、ご期待に添えるように善処致しますわ」

 リーファはシェリーにも念を押すと、一歩下がってもう一度ふたりに頭を下げてきた。ああは言っていたが、やはり胎の子の様子も気にはなるのだろう。

「それではお邪魔しました。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさいませ、リーファ様」

 リーファはそう言って、あっさりと実体化を止めて姿を消してしまった。もう、声すらも聞こえない。
 ───と思ったが。

「!」

 ふ、と風がアランの頬を撫でたかと思えば、唇に柔らかい何かが触れてきた。蕩けるような甘い香りが、ほんの少しだけ鼻を掠める。
 それが姿を消したリーファの、おやすみのキスなのだと気付いた頃には、彼女の気配はテントのどこにも残されていなかった。温もりはおろか残り香も辿れない。

 アランはペロリ、と唇を舐めた。いつぞや味わった甘露に似た甘さはなく、ただ唇を濡らしただけに過ぎなかったが───体の奥底から湧き上がるものはあった。

(今晩は眠れんかもしれんな。寝坊したら、リーファの所為にしてやる)

 リーファの細やかな悪戯に、アランの唇から笑みが零れて行った。今は見えない彼女に、『帰ったら覚えていろ』と届くかも分からない想いを込めておく。

「………………」

 見やると、シェリーが腑に落ちない様子で頬に手を当てて俯いていた。何か考え事をしているようだ。

「どうした、シェリー?」
「いえ…何か、リーファ様の様子が引っかかって…」

 シェリーが言いたい事は、アランも感じ取っていた。
 リーファがただアランの顔を見に来た、というのは、アランにとっても理解しがたい行動だったのだ。
 人間の体を置いても、アランに会いたい理由が他にもあったのかもしれないが、問い質す相手はもう空の彼方だ。

「ふむ………そうだな。こんな状況だ。あれもあれで、気が立ってるのかもしれん」
「早く帰って差し上げませんとね…」
「ああ…」

 物憂げに溜息を零し、アランはテントの天井を無意味に仰ぐ。
 どう転がろうと、何もかもは、明日決まる。

 ◇◇◇

 夜も更けた、ラッフレナンド城3階。
 カーテンに隠れて月明かりも満足に差し込まない側女の部屋で、リーファは独り静かに覚醒した。

 ベッドから体を起こし、周囲を見回す。

 状態は、寝る前と変化はないようだ。最近は穏やかな陽気だから、暖炉に火はつけていなかったし、水差しやコップなどは下げてもらっていたから、テーブルには何も残っていない。

 熱心に励んでいた編み物一式は、クローゼットに入れて全体に保護魔術がかけてある。折角編んだのだ。下手に触られたらたまらない。

 そしてリーファは、枕の側に置いていた物体に目をくれる。

 一見してそれは、毛糸で作ったコースターだ。白、緑、青の毛糸で構成された花柄模様の円盤は、全体が白く光っているが、所々で黄の粒がゆっくりと移動している。
 円陣を中心に一定距離の生き物の動きに反応する、人感検知魔術だ。

(出来れば、こんなもの作りたくなかったけど…)

 黄の粒は人の動きを示しており、定められた方向へ動き続けているものもあれば、移動と停止を繰り返すものもある。
 敵意を認識する機能は複雑すぎてつけられなかったが、こんな真夜中に人の目を警戒するような動きをする理由など、そうあるものではない。

 毛糸の円陣を左手に持ち、右手には傍らに置いていたシタンの木の杖を握り締める。指先から肘くらいまでの長さの棒きれは、魔術を使う為に誂えたものではなく、ただ手の延長とする為に作っておいたものだ。

「『寂しくても、決着がつくまで帰って来ちゃダメですからね』…」

 杖を構え、暗闇の中でリーファは先の発言を呟いて、そしてほくそ笑む。

(あんな事、言うつもりなかったのになぁ…)

 アランを、ちょっと見るだけのつもりだった。
 無性にこみ上げてくる不安を和らげておきたくて、その背中を遠くから見ているだけで良かったのに。
 あんな風に見つけられて、勇気をいっぱいもらってしまった以上、ああ言わないといけないような気がしたのだ。

 アランは、自分との明日を勝ち取る為に戦いに赴いている。だから───

(決着がつくまで、私はアラン様が帰ってくる場所を、守る…!)

 音を立てないように、リーファはベッドから降りて立ち上がる。
 手の中の人感検知魔術は、リーファがいる場所を中心に徐々に黄の粒が集まっているかのような反応を示す。

 何かを言い争うような声が、廊下から聞こえてくるのが気になったが。

 やがて、幾ばくかの時間が過ぎて───

 ───ズドンッッ!!!

 対象を粉々にせんと放たれた破裂音が、ラッフレナンド本城を大きく揺るがしたのだった。