小説
血路を開け乙女もどきの花
「ノア君は討伐隊に参加するんだってね?………うーん、当てが外れちゃったなー」

 2階にある巡回兵の休憩部屋でつまらなそうにそう言ったのは、リーファの友人であり、城へやってくる行商人、リャナだった。

 聞けば彼女は自分とあまり年齢は変わらないらしく、その細やかな接点から、顔を合わせれば頻繁に話しかけられるようになってしまった。要は、懐かれた訳だ。

 勤務中の声掛けはやめて欲しかったが、先輩達からは『青春っていいなぁ』『巡回やっとくからゆっくり話して来いよ』と温かい目でシフトを変わってもらう事もあった。

 ただ、自分としても何も思わなかった訳ではない。
 瞳こそ血を溶かしたような紅色をしていたが、品のある顔立ちと鮮やかな金髪、そして屈託のない笑顔を見て、もう何年も会っていない婚約者と重ね合わせる事はあったのだ。

 リャナからしたら失礼な話だろうが、婚約者は花嫁修業と称してあのギースベルト公爵家で暮らしているのだ。心配にならないと言えば嘘になってしまう。

「…当てって?」
「リーファさんの側にいてくれる人、多い方がいいなって思ってたからさ。
 心配じゃん?アロイスって人、城の人達が出迎えてくれると思って、ここに来るんでしょ?」

 目を細めにんまりと笑うリャナから、言葉以上の思惑が読み取れた。

 あり得ない話ではなかった。
 王位を簒奪に来るような無法者を受け入れようと考える者など、ギースベルト派であってもそう多くいるはずがない。
 強硬派とも言える彼らが前もって城に待ち構えている状況は、間違いなくリーファにとって危険な状態と言える。
 王の不在を見計らって、城への襲撃が起こるのではないか───そうリャナは考えていたのだ。

「………僕が、リーファさんの役に立つと思う?」
「さあ?あたしは、リーファさんの弾除けになってくれればいいなって思っただけだし。ノア君が役に立つかどうかなんて、ノア君にしか分からないんじゃないの?」

 自分が弾除け扱いされた事に少なからず衝撃は受けたが、リャナはそういう状況まで想定しているようだ。

 考えすぎ、子供の妄想、と捨て置くのは簡単だが、ギースベルト公爵家は”星々の微笑”を自分に寄越してきている。
 ギースベルト派による城への襲撃はある。そして”星々の微笑”を目印にして、王太后フェリシエンヌの後継者の奪還も起こる、と考えるべきなのだろう。

 ならば尚の事、”ノア=アーネル”は城から離れるべきなのだろうが───

「王サマがリーファさんを守ってくれたらいいんだけどさ。これって王サマとアロイスって人のケンカだし、部外者が邪魔しちゃ駄目だと思うんだよね。
 あたしがここにいられるならいいんだけどさ、そうもいかないし。でも、出来るだけの事はしてあげたいなって思うの。友達だもん」

 まるで全てを見透かしているかのような物言いに、この少女は一体どこまで知っているのだろうか、と勘ぐってしまう。命綱を握られているようで、些か気持ち悪い。

 だが、アラン=ラッフレナンドと”アロイス=ギースベルト”の戦いに、”ノア=アーネル”がしゃしゃり出るのは筋違いではないか───そんな考えも過ってしまった。
 何なら偵察向きの自身の魔術を使って、”アロイス=ギースベルト”の首を掻っ切れないか、などとも考えていた自分が恥ずかしくなってしまったのだ。

 まだ本格的な任務は受けていない。討伐隊を抜ける事は可能だ。
 ただ、責務を放棄してリーファの弾除けになるのなら、もう少しだけ後押しが欲しかった。

「…僕は別に、城に残ってもいいんだ。僕なんかがいなくても、きっと戦況が変わる事なんてない。
 でも君が望むなら、僕もそれなりに見返りが欲しい。もちろん不足分はちゃんと払うよ。先払いでね」

 チェインメイルの襟を開け、首に下げていたネックレス───”星々の微笑”───をちらりと見せると、リャナの紅色の瞳が流れ星のように一瞬煌めいた。
 ただ、物欲しそうな顔をしたのはその瞬間だけで、こちらがネックレスを外そうとすると、両手でそれを制してきた。

「いいよ。ノア君だから出世払いにしといてあげる。えっちな事以外なら、何でも聞くよ」

 しなを作って、ぺろ、と淫靡に舌を出したあどけない少女は、下手な娼婦よりもよっぽど色っぽく見えた。
 不本意に下腹部が疼いて、やっぱりこの子は苦手だな、と思った。

 ◇◇◇

 その後リャナは、”ノア=アーネル”が望んでいた以上の成果を上げてくれた。

 まず、後見人モーリス=アップルヤードは、ギースベルト派によって拘束、幽閉されていた。
 殺されてはいなかったが代わりに薬を盛られており、発見時は意思疎通がまともに出来ない状態だったという。
 その後モーリスはリャナによって救出されていて、現在は某所で治療を受けている。面会にはまだまだ時間がかかるようだ。

 そして、王太后フェリシエンヌ=ギースベルトは、既に亡くなっていた。
 最低でも死後一年は経過しているようで、その亡骸はフーリア村の共同墓地に埋葬されていたという。
 ギースベルト派の勢力を維持する為とは言え、その死を隠匿され故郷の土に還る事も許されなかった王太后の末路に、同情を禁じ得なかった。

 ───そして”ノア=アーネル”は約束通り、討伐隊を除隊した。
 方々からケチはついたが、前々から上官に『荷が勝つ務めだ』とも言われていたから、納得してもらう事は難しくなかった。

 除隊後は、巡回兵として日々が何事もなく過ぎ去って行った。

 やがてユーニウスの月の二日、予定通り討伐隊は出発。

 そして、ユーニウスの月の五日未明───それは、起こってしまった。