小説
血路を開け乙女もどきの花
「………なんか、陛下に向けてる私の気持ちと同じなのかも…ってちょっと思います」

 リーファの言葉の意味を汲むのに、ノアはしばしの時間を要した。
 どうやら彼女は、カールが抱いている感情に共感しているらしい。

 カールは意図が読めなかったようで、怪訝に顔を歪ませた。

「どういう、事だ?」
「私も、陛下は最初怖くて………でも、側に居続けたら、色んな一面が見えてきたんですよね。子供っぽい所とか、情に厚い所とか、頑張り屋な所とか。
 そういうのを通して、絆されていったのかなって」

 薄く笑うリーファを見て、彼女の日々が如何に順風満帆ではなかったかが伝わってくる。
 実際、顔を合わせる頻度が高かったノアも、リーファの扱われ方に心を痛めた時期はあったのだから。

 横暴なアランに、苦手意識を感じていたリーファ。
 アランの側女であるリーファを、好ましく思っていなかったカール。
 立場は違えど、相手に対してお世辞にも良い第一印象ではなかった、という気持ちは分かる。
 しかし、それだと───

「絆された………絆された、か。何か違う気もするが、やはりそこへ行き着くのか…」
「大切にしたい、支えになりたい、守ってあげたい………結局、気持ちは何でもいいんでしょうね」

 納得までは程遠くとも、互いにそれなりの落とし所を見つけたふたりに訊ねるのは水を差す行為に他ならないが。

「………あの。その法則で行くと、リーファさんも陛下を愛していらっしゃらない事になると思うんですが…?」

 恐る恐る手を上げたノアの指摘に、ふたりは揃って目を丸くしていた。
 信じられないと言った面持ちをノアに向けたカールは、ゆっくりとリーファに視線を戻す。

「…そう、なのか?」
「え、っと………あれ?………そう、なる、かな………?」
「そうなんですか?!」

 自信なさげに顔を青くするリーファの姿に、ノアは動揺してしまった。カールなんて、険しい顔でベッドから立ち上がっている。

 リーファが不本意な形で側女になり、アランに振り回されてきたのは、ノアもそれとなく聞いてはいた。
 だがそこは、”雨降って地固まる”と言うべきか。成り行きだったとしても、時間をかけて気持ちを育んできて、愛情あって今に至っているのだと思っていたが。

「あ、いや、あの、ちょっと待って。
 陛下の事は、ちゃんと大切に思ってるのよ、うん。
 苦手だった綺麗過ぎるお顔にはもう慣れたし、最近はすっかり穏やかになったし、不得意な仕事を頑張って取り組んで下さる所も、いいなぁって思うし。
 ………でも………愛………愛、かあ。うーん」

 取り乱しているこちらをリーファは手を向けて宥めてはいるが、その彼女自身が自信なさげに唸り声をあげてしまった。

 悩み始めてしまった彼女の姿を横目に、カールは憮然とノアを窘めた。心なしか、声が上ずっている。

「オ、オレもこうイう話は鈍い自信があルが、男女の繊細ナ話題に、口を挟ムものではなイぞ?」
「え、あ、そ、そうですね。すみません!」

 踏み込み過ぎたのだと思い知らされ、ノアはその場で跪きリーファに頭を下げた。

 思えば、リーファが不憫な時期はそこそこ長かったのだ。気持ちの整理が追い付く前に妊娠してしまい、アランとちゃんとした愛情を育むのが遅れてしまっている───そんな事もあるのかもしれない。

 体中に嫌な汗をびっしりかいて平身低頭中のノアの前に、席を立ったリーファが膝をついた。肩を撫でてノアの顔を上げさせたリーファは、苦笑いを浮かべている。

「ううん、いいの。
 …でも『愛してる』って言葉、気持ちを無理矢理押し付けてるような気がして、私はあんまり好きじゃないかも」
「それは………考えすぎな気がしますけどねぇ…」

 側女という色恋の最前線にいるはずのリーファから漏れた言葉に、ノアは眉を顰めてしまった。

 どうやら彼女自身が、恋愛で生ずる心の動きに鈍い傾向がありそうだ。二年以上アランと一緒にいてこの有様なら、思った以上に根が深い問題なのかもしれない。

「…逆に、王からそういった愛情を寄せる言葉はないのか?
 その…夜伽の折りに、そういう会話のやり取りはあってしかるべきだと思っていたが」

 人には窘めておいて、自分は自分で気になるらしい。呆れを含めたカールの声が横から降ってくる。

 リーファは腕を組んで一頻り唸ると、特にどうとも思わない様子であっさりと答えた。

「………そういえば、ないですね」
「「…はあ?」」
「服装や振る舞いを褒める事はあるけど、『愛してる』と言われた事は、ない、はず、です。
 記憶がない時の日記にもそういう事は書いてなかったから、多分ないんじゃないかと…」
「「………………」」

 彼女のあまりの淡白さに、カールもノアも絶句してしまった。

 ───近代のラッフレナンド王家の男児は、女性に優しい人物が多いと言われている。
 不妊の呪いをかけた魔女の存在、”残虐な女狂い”ヴァルトル王の末路など、女性を手酷く扱った結果痛い目を見た王族もいた為、性の手引書を通して女性を丁寧に扱う教育が行われてきたのだ。

 その甲斐あってか、次兄ヘルムートは愛する女性と添い遂げる為に王子の身分を捨てたし、長兄ゲーアノートなど”人たらし”なんて異名がついていた。
 浮き名を流した先王オスヴァルトだって、やむなく正妃にしたフェリシエンヌも含め、側に置いた女性達は真摯に愛したと聞いている。

 三兄アランも、リーファとは早朝まで仲睦まじく過ごす事があるのだ。
 愛の言葉の一つや二つ、交わされていたに違いないと、そう信じたかったのに───

 気付けば、カールがフラッとベッドから立ち上がっていた。
 リーファの側に腰を下ろし、彼女を真っすぐに見据えた紫色の瞳に憤怒が入り混じって見えたのは気の所為ではないはずだ。

「───側女殿」
「あ、はい」
「そんな男は止めておけ」

 ねめつけながら何を言うかと思えば、駄目男に振り回されているリーファへの忠告だった。

「え…あ、はあ…」

 反応に困って曖昧に相槌を打つリーファの両肩に手を置き、カールはずいっと顔を近づけた。

「女もまともに口説けない屑など、貴女には勿体ない!!何だったら今すぐにでも城を出るべきだ!」
「………僕も、そんな気がしてきました。女性の扱いが下手過ぎです」

 顔面で圧をかけるカールだけではなく、落胆しているノアからも言われてしまい、リーファはより一層困惑を深めてしまった。

「う、うぅん………お腹の子の事は真剣に考えて下さるから、悪い方じゃないと思うんだけど…」
「一足飛びで夫婦の会話になってるじゃないですか………それは駄目ですよ…」
「オレに…オレにもう少し人脈があれば、側女殿に良い男を紹介したものを…っ!」
「こっちもこっちでなんか保護者面始めてるし…」

 ついには男泣きをしてしまったカールを、ノアはとりあえず剣の鞘でリーファから引き剥がした。
 呆れはしたが、紹介する男に自分を含めない辺り、何とも彼らしいな、と思ってしまった。