小説
追憶と喧騒の合間に
 ムアトの村が襲撃され、生き残りのリャナを養女にすると宣言して早5日。謁見の間の玉座に座する魔王は、眉間にシワを寄せて唸り声を上げていた。
 玉座の間には魔王以外の誰もいない。昼間は比較的勇者一行が来る事が多いが、ここしばらくは静かなものだ。仮に来たとしても、城外の魔物が伸してしまう為、城内は至って平和だった。
 一応、魔王としての職務は山とある。しかし、気にかかる事が頭から離れず、仕事に集中する気になれない。
 なんだかムシャクシャしてきたし、人間の町にちょっかいをかけて勇者が来るのを誘発しようか───そんな事を考えていると、おもむろに正面の観音扉が重々しい音と共に開いた。
 扉の前に立っていたのは、赤い服を着た小柄な老人のような魔物。グレムリンである側近のアズワだった。
 謁見の間へと入り恭しく一礼したアズワは、魔王の顔を見るや呆れた顔と共に溜息を漏らした。
「そのようなしかめっ面をなさっては、リャナ様に嫌われてしまいますぞ」
「む、う、すまん。こ、こうならよいか?」
 魔王なりに笑顔をつくろってはみたものの、今度はアズワが眉間にシワを寄せて唸り声を上げる。
「…うーぬ、かえって気持ち悪いですのう」
「…どうしろというのだ」
 玉座のたもとまで来たアズワから会議の資料を受け取り、魔王は渋面で目を通す。

 ───城に招いて早速、リャナは魔王にサキュバスとしての修行がしたいと願い出た。
 当初は反対するつもりでいたが、計ったように現れたリリスが半ば強引にリャナを連れて行ってしまったのだ。
『この先どうなるか分かんないけど…サキュバスとして暮らす以上、少しでも魔王様の役に立てるようになりたいんです』
 強い眼差しでそう告げたリャナのけなげさについ感動してしまい、7日間限定の修行を認めてしまったが───

 あの時の事をつい思い出し、緩みまくった顔に気付いて慌てて引き締める。横を見ると、アズワが堪え切れずにくすくす笑っていた。
 蒸気が上がりそうな顔を押さえて、魔王は深呼吸がてら溜息を吐く。
「任せたのがあのリリスだからな…心配だ」
「リリス殿は、サキュバスやインキュバスら夜魔種の長。きっとリャナ様を素晴らしいサキュバスにして下さいます」
「それが心配なのではないか。あの娘に、リリスの魔の手が伸びるなどと…考えただけでもぞっとする」
「サキュバスとして、なんらおかしい事はありませぬぞ」
 アズワの言葉に、魔王は不機嫌そうに肘掛けを指先で爪弾く。
 サキュバスの仕事は、魔物達の治癒が主な仕事だ。人間の姿に化けて町に赴き、適当な人間から生気を奪い取り、戻ってきて傷ついた魔物達に生気を与える。
 敵意を持って人間を襲う訳ではないので、人間と戦闘になる事も少なく、安全と言えば安全だ。が───生気を奪い取る方法が方法なだけに、魔王自身、仕事として薦めたくはなかったのだ。
「…私としては、どこぞの姫のように礼儀作法や稽古をさせて、一人前のレディに仕立て上げたかったのだが…ああ、何故あの娘はサキュバスなのかなぁ」
「仕方ありませんな。ストラ殿の娘なのですから」
 言われて、魔王はストラ───リャナの父親───の姿を思い出した。
 黒髪を短く刈りそろえた青い瞳の男。肌は病的なほどに色白かったが、それに似合わない突き抜けた明るさから、悪い印象を持たれる事はあまりない。恐らく、人間からも。
 異常なまでに危険感知に優れ、感情を読む力に長け、純血種のインキュバス特有の能力も相まって、どれほどの窮地も万全に回避する機転を持ち合わせていた。
 魔王自身との付き合いも長い事から、魔王直下の近衛長に据えられ、幾度となく魔王を救ってきた者だった。
 …もっとも、その危険感知が優れているが故に、ひたすら逃げの一手に走り続け、知将として据えるにはあまりにも戦力が無さ過ぎるのが、最大の欠点ではあったのだが。
 気づけば眉間に寄っていたシワをもみほぐしながら、魔王がぼやいた。
「まさかストラが死ぬとはな…」
「ええ。長らく近衛長を務められた方が、何の抵抗もなく屠られるのは、いささか考えにくい所ではありまするな」
 そう言って、アズワが数枚の報告書を渡してきた。ここ数日でまとめさせた、ムアトの村襲撃の最終報告書だ。
「腕に覚えのある連中が中央の広場に集中しているところを見ると、誰かしら異変には気づいていたと見える。村の外で死んでいた者は、非戦闘民ばかりか。むごい事を」
「しかし、半数以上の魔物が変異していない所を見ると、襲撃に遭う直前まではさほど危険は感じていなかったようですな」
「もしくは、魔物である事を気取られたくなかった、か…」
「光の紋章もありましたし、やはり…人間、でしょうか」
「魔物である可能性も捨てきれない所だがな。襲撃されてからリャナが村へ帰還するまで、さほど長い時間でもあるまい。顔見知りの犯行なら、油断していたとしても不思議ではない」
「もしくは───」
 アズワが言葉を詰まらせる。魔王はその意味を良く理解していた。が…それはあくまで憶測でしかない。
 空気の重苦しくなった謁見の間に、一つ、魔王のため息がこぼれた。アズワに報告書を渡す。
「結論は出せぬな。人員を5割に減らして、引き続き村周辺を哨戒させよ。人間どもの動きにも注意しておくよう伝えよ」
「御意。───して、陛下、リャナ様へは何と?」
「………報告書は自由に見せて構わん。見てどう判断するかは、あの娘次第だ」
「その結果、陛下を軽蔑されたとしても?」
 念を押すように尋ねるアズワには、ほんの少し表情に陰りが見えた。
 リャナが謁見の間を飛び込んでから今日に至るまで、魔王城ではあの娘の話で持ちきりだった。
 ストラは魔王城では知らない者はいないほどの「名物男」だったし、アリシアは人間ではあったがその強さと清廉さに心惹かれる魔物は多かった。二人が結婚して人間の里へ降りると言い出した時は、多くの魔物達に衝撃を与えた。
 魔王すら例外ではない。人間の里に越したにも関わらず、ストラからは頻繁に近況を綴った手紙が送られてきた。「リャナが母親似で可愛い」だの「アリシアは相変わらず裁縫と料理が壊滅的」だのと、他愛ない内容の手紙を読んでは、二人とその子供の事に想いを馳せた事は一度や二度ではない。
 だが───
「いつでも寝首を掻けと言ってあるからな。今更、改めようとは思わんさ」
「…作用でございますか」
 それだけ返すと、アズワは両手を重ね、恭しく頭を垂れた。
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