小説
追憶と喧騒の合間に
 程なくして、入り口を張らせていたドラゴンナイトの衛兵が謁見の間に入ってきた。
「失礼します。リリス様が謁見を求めておりますが」
「うむ、通すが良い」
 許可させると、衛兵は敬礼して退出していく。
「さて、リャナの修行は7日間のはずだったが…」
「リリス殿には例の襲撃の陣頭指揮を取って頂いております。進捗があったのかもしれませぬな」
 などと話していると、おもむろに目の前の扉が開いていく。浅黒い肌と長い黒髪、男女問わず虜にする魅惑の姿態を惜しげもなくさらけ出す衣装に身を包んだ、夜魔種の女王、リリスが姿を現す。
 彼女は物静かに一礼すると、優雅な足取りでレッドカーペットを歩いてくる。その後ろを、従者として5人の魔物がついてきている。角が生えたり腰から下が馬の足だったりとまちまちだが、子供のサキュバスに間違いなさそうだった。
 玉座の前まで来て片膝をついたリリスと子サキュバス達を見下ろして、魔王は口を開いた。
「息災か、リリス。そなたにしては随分早く来たものだ。あの娘───リャナの具合はどうだ?」
「ええ、なかなかに筋がよろしいかと。わずか4日でサキュバスへ変異までしてみせました。今日は是非そのお披露目をと、思いましてな」
 と、リリスが子サキュバスらの横に立つと、子サキュバスらは横一列に並んで一歩前へ歩み寄った。
「せっかくの機会ですから、クイズとしましょう。この中にサキュバスに化けたリャナがおります。見事当ててごらんなさいませ」
 楽しそうに微笑むリリスを見て、魔王は子サキュバス達を眺める。
 サキュバスやインキュバスは親の姿を真似る傾向が高い。が、人間の生活をしていたストラがリャナにインキュバスの姿を見せていたとは考えにくい。
 ストラを思い出して当てるのは無理がありそうだが。
「ふむ、これは面白い趣向だ───が」
 魔王が手を掲げると、そこに一本の剣が現れる。炎の勢いのように反り返った長剣を手に取り。
 次の瞬間、魔王は立ち上がりざま剣を引き抜き、子サキュバス達を一閃の下に切り裂いた。子サキュバス達は悲鳴を上げる事無く、まるで風船のような爆ぜる音を立てて掻き消える。
 残ったのは、魔王から見て一番右側にいた娘だけ。黒髪をツインテールにした少女で、黒を基調としたビキニと長袖の上着を着ている。飛ぶことが出来るのかわからない位に小さい一対の皮翼を落ち着きなく動かして、特徴的な紅い双眸はびっくりした様子で見開かれていた。
 魔王が呆れ顔で剣を鞘に仕舞い、玉座に座り直した。手から離すと、霧のように剣は霧散した。
「愚問だったな。私が、『写身』の使い魔を見破れぬと思ったか」
 フンと鼻で笑う魔王だが、リリスは少しつまらなそうに頬を膨らましただけで、すぐに絶世の笑みで敬礼してみせた。
「…これは御見逸れしました。さあ、リャナ」
「はい。…失礼します」
 促され、魔王の前に立った少女は瞳を閉じて意識を集中し始めた。やがて、黒く長い髪は緩やかに波打つ金糸に、青白い肌は健康そうな象牙色に、着ていた服は簡素な空色のエプロンドレスに姿を変えた。
 魔王の良く知っているリャナに姿を変えた少女は、ドレスの裾をつまんで優雅にお辞儀をする。
「サキュバスのリャナです。どうぞお見知りおきを…………ええと」
 少し間を空けて、リャナがリリスに顔を向けた。リリスはニコニコしながら首を縦に振ると、リャナは意を決したように顔を上げた。
「…リリス様から、魔王様を癒す『アクア・ヴィテ』の大役を仰せつかりました。これから、よろしくお願いします………『パパ』」
「──────っ!」
 突如、魔王の背筋に雷鳴が轟いた気がした。頭が真っ白になっていく。い、今、この娘は何を言った???
 あまりの衝撃発言に言葉を失っている魔王を見て、リャナがぱぁっと顔を明るくする。
「リリス様!今、何か見えました。ぱ…パパから、こう、ぽわわわんとした、ピンクっぽいものが!」
「うむ、それが感情視覚と呼ばれるものじゃ。どうやら魔王陛下はリャナに好感を持っておいでのようじゃの」
「わぁい、やった!」
 上機嫌に踊りだすリャナを見て、慌てて魔王はリリスを睨んだ。
「リ…リリス!これは一体どういう事だ!」
「おや、陛下。リャナを魔王城に住まわせると仰ったではないですか?今魔王城の医務所はスタッフが十分足りておりまする。サキュバスを統べる者として、当然の采配をしたまでですが?」
「し…しかし、『アクア・ヴィテ』はそなたの役のはず…」
「わらわはリャナの村の調査に多忙ゆえ、魔王陛下にご満足頂く働きは難しいかと存じます───むしろ、丁度良いのでは?」
「ち、丁度良いって…」
 服の裾で口元を隠すリリスだが、目が明らかに笑っている。
 『アクア・ヴィテ』は魔王専用の医務者だ。勇者との激闘で傷ついた魔王を、肉体的にも精神的にも癒す役を担っている。
 そんな役回りの為、魔王専用の愛人、なんて別称もあるのだが、あながち間違っていないのが事実だ。
「…お嫌、ですか?」
 はっと気がつけば、リャナが魔王のすぐ側で不安そうな顔を浮かべている。
「い、いや、そうではないのだが」
「あたし、パパに満足してもらうようにがんばります!何していいか、まだよく分かんないけど…何なりと言って下さい!」
 献身的な目を向けられ、魔王は後ろめたい気分になっていた。多分、リャナは『アクア・ヴィテ』がどんな役回りかあんまり分かっていない。分かられてもそれはそれで困るのだが。
「いや、しかし、だが、そうなるとだな…」
 うんうん唸っている魔王を不思議そうに眺めて、あどけない顔でリリスに尋ねた。
「リリス様…魔王様、さっきからピンクでぽわぽわしてるんですが、あんまり喜んでないように見えるんですけど…」
「魔王陛下は今、リャナにどのように奉仕してもらおうか考え中なのじゃ。ちゃんと期待に応えるよう、頑張るのじゃぞ」
「おー、なるほど!分かりました、がんばります!」
「そういえばリャナ。そなた戦闘訓練を受けたいと言うておったな。『アクア・ヴィテ』は魔王陛下をお守りする役も担っておるから鍛錬は必要じゃぞ。上に訓練場がある。ついてくるがいい」
「はい!」
 元気に応えると、リャナはリリスの後を追って早々にその場を後にしてしまった。
「…っは!いや、ちょ、待てリリス!話はまだ」
 魔王がふと我に返った頃には、もう二人は扉の向こうに吸い込まれた後だった。手を伸ばしはしたが、無論届くはずも無い。謁見の間の扉が、轟音とともに閉じられる。
「………………!」
 声にならない声を上げて、魔王は静かに頭を抱え込んだ。怒っていいのか笑っていいのか喜んでいいのか、それすらも分からない。
 その場で一部始終を見ていたアズワは、ほっほっほと笑った。
「さすがリリス殿。陛下のお心を酌んだ見事な采配をなさいますな」
「…アズワまでそんな事を言うのか…」
「何を仰いますやら。では陛下は、医務所にこもらせて魔物達を癒して回らせても良いと?」
「…それは…」
「それに。ここの所、陛下はリリス殿を避けておいでのようでしたからの。これを機会に一旦距離を置くのも良いのではありませぬか?」
「………………別に避けてるつもりはないのだが」
「リリス殿やリャナ様と違って、ワシには感情の色とやら見れませぬからのう。客観的に見て、の話ですじゃ」
 言葉を無くす魔王だが、リリスに関しては心当たりがないわけではない。
 あの頃に戻れたら───などと思うつもりはないが、リリスに初めて会った時の事を思えば、今の自分は素っ気無い態度に見えても仕方がないのかもしれない。あの頃と今は、立ち位置がまるで逆なのだから。
 それよりも今考えねばならないのは、リャナの身の振りようだ。魔王はそう言い聞かせて、やれやれとぼやいた。
「…確かに、リャナを保護しておくならばここが一番安全には違いない。『アクア・ヴィテ』の役も、私が怪我を負わねば済む話だしな。体液を媒介に自己治癒を高める『アニマート』は、口付けで事足りるし………………仕方が無いな」
「そうお考え頂ければ何よりですじゃ───それではワシも失礼致します」
 満足げに頷いたアズワは恭しく頭を下げ、間を退出して行った。

 扉が閉じられ再び静寂を取り戻した謁見の間で、魔王は一人目を閉じた。
(…『パパ』、か)
 ストラとアリシア。二人なら、リャナの事をどう案じただろうか。
 最近届いていた手紙には、そう遠くない未来、アリシアの父───リャナの祖父───に結婚した事を認めてもらいたいと、書かれていたものもあった。
 無論、ストラが魔物である事実は隠す事になるだろうが、リャナが人間として村で生活していた事を考えれば、おいおいはアリシアの父の下への転居も検討していたかもしれない。
 人間として生きていくべきだった娘の道を違えさせてしまっただろうか。ストラとアリシアの意思に反した道を与えてしまったか。魔王にはそれだけが気がかりだった。
 が───
「ベヒモスのおじさん!リリス様のお城で聞いたんだけど、1383回目のプロポーズに失敗したって本当?」
「そぉなんだよ。俺の何がいけないのかなぁ」
「おじさん強そうだし、もっとそういうトコアピールすべきだと思うのよね。レッテル貼られちゃってるお城の中よりも、旅に出て素敵な女の人探したらいいんじゃないかな。強くてたくましい男の人って、後姿かっこいいと思うよ!」
「そうだなぁ。今度長期休暇取って陛下みたいに武者修行の旅とか出てみるかなぁ」
「あたし応援しちゃう!がんばって!」
「おう!」
 なんて会話が、扉の向こうから聞こえてきた。魔物として歩みだして間もないというのに、恐ろしく馴染むのが早いリャナの姿を想像して、思わず魔王は吹き出した。
「…あれの性格はストラ似だな。何にせよ、賑やかになりそうだ…」
 しばらく続いている談笑に耳を傾けながら、魔王はひと時の安らぎに身をゆだねた。
- End -
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