小説
チョコは誰の手に・01
 2月14日。ついに、ついにこの日がきた。
 この日の為に買ったトリートメントのおかげで、ウェーブがかった髪はサラサラキラキラに仕上がった。新調した花飾りによく映えている。
 普段着ている楽師服も、ちゃんと洗ってちゃんとシワも伸ばして香料で香りもつけた。
 指先のお手入れも完璧だ。どうせ手袋をしてしまうけど、『隠れた所こそ、ちゃんと手入れをするのがいい女よ』と、さる先輩楽師が言っていた気がする。
 唯一の懸念材料は、手作りチョコの梱包だった。悩んだ挙句、リボンを巻きつけただけのある意味大胆な包み方になってしまったのだ。『贈り物はインパクトが大事にゃ』と言われたものの、言ったのがニキータだけに不安がよぎる。
 幸い今日は涼しいので、チョコが溶ける心配はなさそうだが…。
「で……………なんで僕までつきあわないといけないの?」
「だって、一人じゃ怖いじゃない」
 うんざりした表情の少年楽師・ジェニに、少女楽師・サラームはあっさりと答えた。
 ある町の町角。
 今日はバザーの日なので普段よりも少しだけ街路は賑やかしい。そんな通りの外れにある、レンガ造りの建物に背を向けて、二人の楽師は日の光から逃れるように身を隠している。
 しきりに街路の様子を見ていたサラームは、横で同じように通りを覗くジェニの方に向いて顔を赤くした。
「普段パーティーで顔合わせするしか会う機会がない人に、ひ、ひ、ひ─── 一人でなんて、行けるわけないじゃないっ」
「一人で行っても二人で行っても、結局渡すのはサラームなんだから、僕が居ても意味ないじゃないか………むしろこの恥ずかしい失敗談を、フレンド間の話のネタにされないかなぁとか、そこんとこ考えないかな普通」
「いつ失敗するっていうのよ?!そんな事したらどうなるか分かってるわよね!」
「いだだだだっ」
 チョコを左手に、サラームは余った右手でジェニの頬を突っ張り、思いっきりつねった。涙目で悲鳴をあげるジェニ。
「やめっててばっ!顔がっ、変形するっ───あ、ほ、ほら、来たよっ!」
「あーら、そんな嘘で逃げようったってそうはいかないわよ───って」
 サラームは顔を再び通りに向け─── 一瞬硬直した後、つかんでいたジェニの頬をパッと放した。その拍子に、ジェニはバランスを崩してしりもちをついた。
 そんな事はお構いなしに、サラームは通りの中でお目当ての人を発見し、黄色い悲鳴を上げた。
「きた〜♪♪♪」
 すらっと伸びた高い背丈。ちょっとツンツンした感じのストレートヘアー。温和な性格はその優しい顔立ちからにじみ出ている。
 パーティーに何度かお呼ばれした事がある、友人の友人───男性楽師・ウィスだった。
 ウィスの姿を見るや否や、途端にサラームは嫌な汗をかいた。心臓の音が急に大きく早くなり、足元がおぼつかなくなる。
 だが、悠長に落ち着いている暇はない。彼が通りを抜けてしまう前に、何とかこのチョコを渡さないとならない。
 とりあえずウィスを視界から外し、呼吸を整えようと深呼吸をしようとした、まさにその時───
「こんにちわ」
「!!!???」
 すぐ側で届いたウィスの声に、サラームの心音が一気に跳ね上がった。
 恐る恐るウィスのいる通りに顔を向けて、サラームのその大きな目が、大きく見開かれる。
 少女の視界に映ったのは、憧れのウィスの姿───と、友人である女性楽師・ユアの姿だった。

 ウィスは、普段はここら辺で見かけない友人の姿を目に留めた。手を振ると、彼女も気がついたらしく、小走りで近づいてくる。
 友人であり先輩でもあるユアは、彼の前まで来ると、いつもの愛想の良い笑顔を向けてきた。
「こんにちわ」
「こんにちわ。珍しいね、こんな遠くの町まで来るなんて…君もバザーに用事?」
「バザー?…そっか。今日はこっちでバザーなんだ。じゃ、後で何か買って行こうかな…」
「…?バザーに用じゃないんだ。じゃあ何の用で…?」
「手紙で送ってもよかったんだけど、それじゃ味気ないからね………はいこれ」
 彼女が渡してきた小さな袋を、ウィスは無意識のうちに受け取っていた。
 改めて袋を見てみると、簡素なビニールの袋の中に、一口サイズのチョコレートがいっぱいに入っている。少々いびつだが、どうやらハート形になっているらしい。
「…なにこれ」
「やだ。今日はそういう日、でしょ?」
 あえて言葉を濁す彼女をを見て、以前先輩楽師のアリアに言われた事を思い出す。
 最近はもっぱら、女性から男性へ贈る事が多いらしい、あの───
「───『大切な人に贈り物をする日』…?ああ………………そういや、そうだっけ」
 彼の素っ気無い反応に、ユアは呆れ顔でため息を漏らした。
「本当に忘れてたの?あげた甲斐がないわねぇ。頑張って作ったのに」
「…その割には包装がぞんざいな気もするんだけど」
「あら。いらないなら───」
 言って彼女は、ウィスの手の中のチョコをかすめ取ろうとするが───彼の方が反応が一瞬早かった。手を引っ込め、袋を両手で大事そうに包み込む。
「ああすみません。ありがたく頂戴します」
 目標を見失ってどこか不機嫌そうに口を尖らせた彼女だったが、彼の苦笑いを見てそれなりに満足をしたらしい。
「ふふ、よろしい♪」
 そう言って、彼女は少し照れた笑顔を返してくれた。

「う〜〜〜〜〜〜………」
 二人のやりとりを一部始終見てしまったサラームは、飛び出す機会を失って歯噛みしていた。今のなお、ウィスとユアの和気藹々とした会話が続いている。とてもチョコを渡せるような状況じゃない。
「…で、どうするの?」
 ジェニはぽつりと聞いてみたが、返事は返ってこない。
 世界の終わりを目の当たりにしたような顔をするサラームを一瞥して、ジェニはため息と共に後ろ頭に手を回した。
「まぁ、こんな事になるだろうとは思ってたけどねぇ。僕だって、チョコ貰うならユアの方がいいもんなぁ」
 むか。
「そもそも、年齢差から言ってあり得ないし?そりゃ、好きでもない子にこんなどでかいチョコ貰ったら、ウィスだって困るよねぇ」
 むかむかっ。
「でもま、失敗したチョコをお披露目できなくて良かったんじゃないの?聖なる実がなかったからってクルミ貝入りのチョコはねぇ。堅くて食べれないよ」
 むかむかむかっ。
「ともかく、話のネタができて良かった良かった───じゃ僕、もう帰っていいよね?」
 ぷちん。
 何か切れたような音がした───気がした。それが何であるかを察する前に、ジェニに向かってものすごい勢いで茶色い物体が飛来してきた。
 すかーんっ!
 完璧に油断していたジェニのアゴに、小気味良い音を立ててそれがクリーンヒットする。重力に逆らえず、ジェニはつんのめって仰向けに倒れこんだ。
 しばらくしてジェニのすぐ側に、彼を地面に沈めた物体が落ちてくる。サラームが抱えていたチョコだった。
 激痛の走るアゴをさすって顔をサラームに向けると、まさに今全力で投げましたと言わんばかりの体勢でジェニを睨み返していた。
「う、うるさいわよバカーっ!」
「ば、バカってなん───」
 非難の声を上げる前に、サラームは起き上がろうとしたジェニの胸倉をつかんで引き寄せた。サイクロプスすら裸足で逃げ出しそうな鬼気迫る形相に、ジェニは言葉を失った。
 口をパクパクさせて何も言えない間にも、サラームはジェニに詰め寄った。
「バカにバカって言って何が悪いのよ!あんたねえ!さっきから聞いてれば、年齢差ありえないとか失敗チョコとか豆粒ぺたんこドチビとか好き放題言って!絶対許さない!!」
「いや、豆粒ぺたんこドチビとは言ってないけど───」
「問答無用っ!!!」
 サラームの手中の物体───クルミ貝入りのチョコ───が天高く振りあがるのを見て、ジェニは、今日は厄日だ、と思ったとか思わなかったとか。
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