小説
チョコは誰の手に・02
「…………………………………」
 ウィスは、視線の先の光景にただただ口を開けて呆然とする他なかった。
 何か賑やかな音がすると路地裏に繋がる横道に目を向けると、見覚えのある少女楽師が、やはり見覚えのある少年楽師と壮絶な喧嘩を繰り広げていた───否。
 どちらかというと、少女・サラームが一方的に攻撃を浴びせているように見える。顔一つ隠せそうな大きさの茶色い物体を片手に、半べそをかいてべしべしと少年・ジェニを叩きまくっていた。
 ジェニはというと、反撃する気力もないのか、自分のバッグで頭を覆って必死に逃げ回っている。
 周りを見回すと、騒ぎを聞きつけて人が少しずつ集まってきている。群集の中、ニキータが目ざとく客商売を始めだしたのを見て、ある意味感心すら覚えたはここだけの話だ。
「あらやだ。もてる男は辛いわねぇ」
 共通の友人であるユアに視線を戻すと、ホホホと笑って厭味な笑いを返してきた。顔を見る限り、ジェニとサラームの存在に早い段階で気付いていたらしい。
 彼女の言葉を頭の中で繰り返し再生して、ようやくその意味を読み解いた。すっとんきょうな声を上げて聞き返す。
「お、俺が原因なの?」
「他にいる?───今日は、『大切な人に贈り物をする日』じゃないの♪」
「そ、そうかもしれないけど…」
 ウィスは静かに頭を抱えた。どういう理由で二人が喧嘩する状況になったのかは分からないが、その理由に自分が含まれているとなると、あまり気持ちいいものではない。
 ユアは、持っていた桜色の袋を見て、暇をもてあますようにそれを乱暴に振り回した。
「んー…でもま、あのままグダグダになると私にもとばっちり来そうだしー、仕方ない。止めてあげるか───じゃあ私、ジェニをなんとかするから、サラームちゃんは任せていいよね?」
「えっ───あ、あの子を?どうやって?」
 彼が少女を指で指し示そうとした丁度その頃、サラームから投げ放たれた茶色い物体は弧を描き、ジェニの後頭部に直撃した音が響き渡った。野次馬から、驚嘆と拍手が巻き起こる。
 そんな悲惨な状態を見ているのか見ていないのか、彼女はどこか楽しげに笑みを浮かべて問いに答えてきた。
「そこはそれ。度胸と愛嬌で適当に色々と♪」
「いや、そんな曖昧なアドバイス欲しい訳じゃないんだけど……………で、度胸と愛嬌って、何?」
「私もよく分からないんだけどね。とにかく、何にでもバランスが大切って話らしいのよね………そうねぇ。んじゃあ、こんな『愛嬌』はどう?」
 そう言って、ユアは怪訝そうなウィスの耳を引っ張り寄せて、耳打ちをしてきた。

 サラームはついに、ジェニをあと数歩のところまで追い詰めていた。
 ジェニは腰が抜けているのか、座ったまま起き上がりそうにもない。怯えているのが見てとれるが、かと言ってそれでこちらの怒りが収まるはずもなかった。
 そしてサラームは、殆ど原型を留めていないチョコを天高く振り上げる。ジェニは目を強くつぶって、両腕で頭と顔を覆った。
 しかし振り下ろされる直前、少女の細やかな腕は、後ろからのたくましい手に掴まれた。同時に、制止の声が耳に入る。
「そんなもんにしておきなよ」
「は、離してよ!もう十発は殴らないと気がすまな───」
 文句を言いながら、手の主を睨みつける。が───相手を見た瞬間、今の今まで怒りに赤くしていた顔は、あっという間に真っ青になった。
 すらっと伸びた高い背丈。ちょっとツンツンした感じのストレートヘアー。温和な性格はその優しい顔立ちからにじみ出ている。
 ウィスだった。
「こんにちわ」
「こ…こんにちわ…」
 ウィスからの挨拶に、口から出てきた返事はたどたどしい。
 サラームの腕の力が抜けると、ウィスは掴んでいた腕を離した。ウィスに見られまいと、持っているチョコを背中に隠す。
 彼はそのチョコが気になったようだが、それ以上詮索する事はなかった。
「こんなところで何してたんだい?」
「いや、あの、その…ち、チョコが…」
「チョコ?」
「…そ、そうなんです!ジェニってば、あたしがせっかく作ってあげたチョコにケチつけたんです!ひどいと思いません?!」
 とっさに出てしまった言葉からこじつけた言い訳に内心どぎまぎしているが、サラームの言葉に嘘はない。「作ってあげた」のが誰とは行ってないだけだ。
 …ちょっと、胸がちくちくするけれど。
 ありがたい事に、ウィスは「ジェニに作ったチョコ」と受け止めてくれたようで、素直に納得していた。
「どんなチョコだったんだい?」
「最近流行ってる、木の実入りチョコなんですっ。木の実なかったんで、何だか木の実っぽいクルミ貝を殻ごと入れてみたんですけど!」
「す、すごく丈夫そうなチョコだね…」
「ええっ、カルシウム豊富で栄養素もばっちりです!歯並びも良くなります、多分!」
「ああ、そっか。彼は笛吹きだから、歯並びは演奏に影響しそうだものね。でも…ジェニの為に一生懸命作った本命チョコなのに、そう言われたら辛いね」
「ち、違います!超々々義理なんですっ!だってあたし───」
 そこまで言いかけて、サラームの顔から火が吹いた。うっかり勢いにまかせてとんでもない事を言いそうになった口を、慌てて押さえる。
 一方のウィスは、サラームの心情に気付いていないようで、アゴに指を当てて、うーん、と唸った。
「じゃあ、ジェニとちゃんと話をしないといけないな───あれ?ジェニは?」
「え……………………あーっ!」
 時既に遅く。サラームが視界を戻した時には、ジェニの姿はそこにはなかった。

 ジェニが消えた事で一時的に怒りを撒き散らしたサラームに、ウィスが何かを話している。
 会話までは聞き取れないものの、サラームを落胆させるには十分な言葉だったのだろう。チョコを抱きしめ、やがて顔をくしゃくしゃにして泣き出してしまった。
 わずかの間おろおろと動揺したものの、ウィスはため息を一つ漏らすとやおらサラームを抱き上げた。優しく微笑んでかける言葉に、サラームの表情が緩んでいく。
 最初は真っ赤に、その次は真っ青、落ち込んで泣き出して、そして気付けば、今は笑顔が戻ってきている。サラームの表情は実に忙しなく、そして初々しい。
「…ちょっとばかしウィスの演技が胡散臭い気がするけど、まぁうまくやってるようね…よしよし♪」
 そんな光景を建物の曲がり角からこそっと覗いて、ユアは満足そうにうなずいた。
 一方、彼女に抱えられ、宙ぶらりん状態で連れてこられたジェニは、もごもごと不満そうに訴える。
「あーそのー…ソロソロ、降ろしてもらえまセンでしょうカ…?」
「え、ああ。ゴメンゴメン」
 言いながら、彼女はジェニを地面へ降ろした。
 よくよくジェニ見れば、溶けたチョコも服にこびりついているし、あちこちにチョコで叩かれたアザが残っている。随分派手にやられたものである。
 チョコも立派な凶器になるのね、などと思っていると、ジェニは服を正しながら苛立たしげにぼやいた。
「…ったく。呼ばれたから来ただけなのに、何で僕がこんな目に…」
「あら。そういう割には、随分乱暴な物言いだったじゃない───せっかくお洒落して来たのに、チョコ貰えなかったからってひがむのは、男らしくないんじゃないの?」
「!」
 図星だったらしく、ジェニは息を呑んで彼女を仰いだ。
 ユアは口の端を少しだけ釣り上げた。かぶり直していた帽子をジェニからひったくり、帽子についたホコリを払いながら続けた。
「帽子、新品でしょう?この間見た時と比べて、羽飾りと宝石が違うなあって思ってさ。まぁ今日はさすがに、女の子に呼ばれて期待しないはずがないものね」
「………た、たまたま、昨日新調したのをかぶってきただけだよ」
「…そう?ま、私は別になんでもいいんだけど」
 ふてくされてうつむいたジェニに、再び帽子をかぶせてあげる。
 そして彼女は、ジェニの目線までしゃがみこむと、持っていた桜色の袋を渡した。
「はい。お口に合うか分からないけど、よかったら食べて」
 ジェニは目をぱちくりして、手の中に押し付けられたチョコの袋を見やる。
 袋はウィスに渡した簡素なものではなく、桜色に白い模様の入ったしっかりした包装をしていた。彼に渡していた物よりもずっと大きいし、それに見合う重さもある。
「ま、ありえない歳の差の、失敗チョコだけどねー」
「………………地獄耳」
「『聞き耳』と言ってよね。まぁ、どっちでもいいけど。───それで?プレゼントを貰ったら、返さないといけない言葉はそんな言葉じゃないよね?」
 そう言って、ユアはにこにこ微笑んで返事を待った。
 いくばくか経過して───照れと気恥ずかしさとバツの悪さがごちゃまぜになったような顔を袋で抱き隠し、ジェニはぼつりとつぶやいた。
「あ…りがとう…」
「はい、どういたしまして♪」
 彼女は満面の笑みを浮かべてジェニの頭を撫でると、少年はぷいっとそっぽを向いた。
 ジェニの反応を楽しそうに眺めたユアは、腰を上げちらりと街路の先を見やった。目線の先でウィスとサラームを捉えながら、ジェニに言葉を投げかける。
「でも、お返しは物じゃない方がいいな。ね、ちょっとつき合ってくれない?」
「………どこに?」
「これからウィスの家で、チョコフォンデュのパーティーをする予定なの。せっかくのバザー日だし、たくさんチョコ買っていって派手にやろうと思ってさ」
 二人が町の外へ消えて行くのを確認して、ジェニに視界を戻す。少年の顔が暗くなっているのは見て取れたが、ユアは口を開くのを止めなかった。
「今日夜に開くつもりだから、他のフレンドに手紙を送る時間はないし、内々のパーティーになっちゃうけどね」
「僕、は───」
「仲直りのタイミングって、待ってれば勝手に湧いてくるってものじゃないと思うのよね───今の瞬間にそのチャンスがあるなら、喰いついてこないともったいないよ?」
「………………」
 言いかけた言葉を畳み掛けられ、押し黙ってしまったジェニを見下ろして、ユアはこめかみを指で押さえて小さくため息を漏らした。
「ま、いいや。私バザーを見てからウィスの家に行ってるから、『私のプレゼントのお返しに、パーティーの手伝いに来てくれる』なら、おいでよ」
 ジェニは間の抜けたような顔を上げ、ユアを見つめ返してきた。
 こちらの意図に気付いた感触を覚えたユアは、サラーム達が去っていった街路を見やって更に言い足す。
「あと、最近合成用に宝石系の家具の素材を集めてるから、ターコイズとかトパーズとかプレゼントされると、嬉しいな」
「…あ、う、うん。確か、クローゼットの中にいくつかあるはずだから、取りに行ってくるよ!」
 そういい終わるや否や、ジェニはきびすを返して町の出口へ向かって走って行ってしまった。
 あっという間に米粒位の大きさになったジェニの背中を見送りながら、ユアは口の端が緩むのを必死に堪えた。
 ユア自身の持っている合成釜は家具用の釜ではないし、ノルンに住んでいるユアにとって、白の森で取れるトパーズは常備品だ。
 それを踏まえなくても、誰が『最近合成用に宝石系の家具の素材を集めて』いて、『ターコイズとかトパーズ』を欲しがっているか、ジェニならよく分かっているだろう。
「……若いっていいわねぇ、本当に」
 満足げにうなずいたユアはそう言い残し、ペンギンのいるバザー会場へと歩を進めた。

 夕焼けを眺め、村長が「そろそろ夕飯かにゃ〜?」と一人つぶやいた頃、よく遊びに来る楽師が村へ訪れた。
 大量に荷物を抱えた彼女は、村長に一言二言言葉を交わすと、この村の楽師の住む家へと入っていった。

 日が落ちた頃、ペットの放牧から帰ったばかりのジェニファーが、この村の楽師とその友人───正確には友人の友人───の姿を村の入口で見つける。
 ふと、主がいないのに明かりの灯された楽師の家を見やり疑問を投げかけるが、彼は理由を知っていたようで、朗らかな笑顔を返してきた。
 二人の楽師は家へと入って行き、しばらくして、少女の驚きと喜びの悲鳴が聞こえてきた。

 少し経って、ベルボは工房の扉越しに、小さな影が楽師の家の方へ向かっていくのに気付いた。
 扉を開けそっと楽師の家を見やると、少女と思しき「あ〜っ!!!」という叫び声が聞こえてくる。声は静かな村中に響いたらしく、村長とジェニファーも、何事か、と家から姿を現した。
 何か壊れるような音一つでもあれば、自分の出番なんだが───と期待したものの、喧々囂々と声が聞こえてくるだけで、それ以上の事が起こる事はない。
 村長とジェニファーが家の中へ戻ると、「いつもの事か」とちょっとだけ肩を落として、ベルボも工房へと引っ込んで行った。

 しばらく喧騒の続いていた楽師の家だったが、気付いた頃には楽師達4人の演奏が風に乗って聴こえてくる。彼らの笑い声と共に。
 甘美な香りと澄んだ音色に吸い寄せられるように村へと足を運んだアリアは、いつものように賑やかな楽師の家を仰いだ。
「この様子だと、サラームさんも来ているようね…お邪魔したら悪いかしら?」
 と、フローラに問いかけるものの、ピンクのラビは聞いていないのか、甘い香りに惹かれて楽師の家へ向かおうとしている。
「…そうね。サラームさんが、ちゃんと指先のお手入れもしてるかどうか確かめないとね。…今日は、大切な日なんだから」
 食い意地の張ったペットにそんな理由をこじつけて、アリアは楽師の家へと赴いた。

 ちょっとだけ甘くて、ちょっとだけほろ苦くて、ちょっとだけ幸せになれる。
 それが、彼らの日常。
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