小説
叱って煽って、宥めて褒めて
「う〜〜〜〜〜〜ん」

 リーファは、魔術研究室にある茶革の回転椅子に座って頭を抱えていた。アランの唐突な思い付きの為に、目の前の机にいくつかの教本を置いて吟味はしてみたが、どこから手をつけていいものかも分からない。

「悩まずとも、側女殿が教わった通りに教えればよいのでは?」

 視界の先にあるソファに腰掛けたカールが、明日の指導内容を確認しながら提案するが。

「………………………ん?朗読?フェミプス語の?
 ………ああ………そういう………」

 カールはおもむろに俯き、ぼそっと呟いた。
 恐らく、ネックレスに取りついたターフェアイトの残留思念と話をしているのだろう。リーファが手始めにさせられた勉強内容を教えられ、真顔で相槌を打っている。

(変な事吹き込んでるんだろうなあ…)

 残留思念の昔語りを聞き入っているカールを見て、つい頬が赤く染まる。
 リーファが朗読させられた本の多くは官能小説だったから、その時の自分の反応を事細かに話しているに違いない。

 きっとリーファやカールが困る姿が見たくて、話し込んでいるのだろうが───

「ふむ、その教え方はありだな…。
 小説は前後の文章が繋がっているから、ある程度内容を把握しやすい。
 加えて官能小説ならば、性行為の描写は曖昧に表現している事もある。意訳の勉強に向いているな。
 ただ読むよりも、朗読の方が頭には入って来やすいだろう。
 さすがは師匠だ…!」

 と、カールはターフェアイトの指導方法を礼賛する。そこに皮肉や厭味はなく、むしろこの教え方が最適解だと言わんばかりに目を輝かせている。

(ああ…うん………カールさんなら、そう反応するよね…)

 何となく結果が読めていたリーファは、何故だかちょっとだけ安心した。この調子だと、ターフェアイトも思った反応が得られずに困惑しているに違いない。

 ターフェアイトに対するカールの姿勢は、尊敬を通り越して崇拝の域だ。荒唐無稽な嘘であっても、ターフェアイトが言えばそれを信じてしまうだろう。
 それは、ターフェアイトがカールを介して問題を引き起こす可能性を秘めているが。

(むしろカールさんの方が、師匠を巻き込みそうではあるのよね…)

 変わり種が多かったという、ターフェアイトの弟子達。
 リヤンやカールを見ていると、『放っておくと何しでかすか分からない』と思わせる所がある。
 そういう意味では、側にいる残留思念が何も言わなくなった時こそ、彼らが魔術師として一人前になった証と言えるのかもしれない。

 ふと、残留思念と話をしていたカールがこちらを向き、どこか意気揚々と提案を持ち掛けてきた。

「側女殿!次回のフェミプス語の授業は、是非官能小説の朗読を───」
「私がデルプフェルト様に怒られてしまいますから、それはちょっと勘弁して下さい…」
「………そうか………」

 即座に却下され、カールが目に見えて分かりやすく落ち込んでしまった。

(ちょっと考えれば分かりそうな事なのに…師匠に言われたのね…)

 思った以上に消沈してしまったカールを見て、リーファは苦笑いを浮かべた。
 ただでさえ魔術の授業はゲルルフに良く思われていないのに、ここで猥雑な授業をしてしまったら説教どころではなくなってしまう。

「し、小説みたいな長文は授業では扱い切れませんので、童話のような短いお話から始めた方が取っつきやすいと思うんですよね。
 それよりも、カールさんにご相談があるんですが…」
「う、む………なんだろうか?」
「陛下に対する魔術の教育課程を、師匠と相談させてもらえませんか?
 師匠なら、そういった事は得意でしょうし。
 ………まあ…嫌なら、別に無理強いはしませんけど…」

 遠慮がちに言ってみると、カールは怪訝に眉根を寄せていた。そして、ターフェアイトの言葉を聞いているのだろう。リーファから視線を外し、黙り込んでいる。

 やおらカールはこちらを向いて、ターフェアイトの言葉を復唱した。

「………………ターフェアイト師が、『今夜はニワトリが降りそうだね』と」
「分かりました。やっぱりいいです」

 茶化されるのは分かり切った事だった。馬鹿な事を話したものだと後悔もした。

 リーファがきっぱりと発言を撤回すると、カールは不満そうに渋面を作った。

「…何故側女殿はそう性急なんだ。別に師は嫌だとは言って───
 ん?頼み事?ほう…」

 話の途中でターフェアイトが口を挟んできたらしい。会話を中断して師の言葉に聞き入り、カールは顎に拳を当てて唸り声を上げている。

「…何か?」

 リーファが問いかけるも、カールは手をこちらに向けてきて考え込んでいた。どうやら、ちょっと待って欲しいらしい。

(………?)

 教本をちら見しながらカールの様子を伺っていると、やがて彼は手を下ろしてリーファに顔を向けた。

「…ターフェアイト師は協力してくれるそうだ。オレも別に構わない。…但し条件がある」

 カールの含みある言い方に、ほんのちょっとだけ嫌な予感がした。

「…条件とは?」
「師匠の私物の内、ここにはない本を借りたい」

『ここにはない』という物言いに引っかかるものを感じつつ、リーファは何となく部屋の中に視界を泳がす。

 ここはあくまで魔術研究室だから、研究に関係ないものは置いていない。ラッフレナンド界隈で使えそうな資料関係は公文書館に寄贈したが、それ以外の雑多な本は、全て側女の部屋へ持って行ってしまっている。
 恐らく、その雑多な本の大部分を占めているあるジャンルを差すのだろう。

「本…というと、小説とか、ですよね?タイトルは?」
「タイトルは分からないが、”女聖騎士が邪教徒のアジトに単身で立ち向かう話”だそうだ。『こう言えば分かる』と、師匠が言っている」
「!」

 嫌な予感は的中した。
 リーファも読んだ事があり、ターフェアイトやアランに読み聞かせた事もある。
 ”アムギーネ・フォ・エルサエルプ”という、女聖騎士ものの官能小説だった。

 その小説の性質通り、女聖騎士には常に邪淫の影がつきまとい、行く先々で酷い目に遭う話だ。
 一応最後は目的を達成するのだが、代わりに邪神の子を身籠ってしまい、『どんな子が生まれてきても真っ当に育ててみせる』と意気込みを語る所で話が終わっている。

 問題は小説の中身ではない。女聖騎士の名前が”リーファ”となっている部分だった。
 ターフェアイトからは『もっと感情込めて読んでよ』と笑われ、アランからは『素晴らしい。邪教の名前は”アラン教”に置き換えて読むように』と大変満足されてしまった。

 リーファとしてはさっさと燃やしたい本の筆頭なのだが、アランから愛読書として保管を命じられてしまい、渋々部屋に置いている本だった。

「師匠曰く、『あんたも感銘を受けるだろう』との事だ。
 教会の教えに興味はないが、師匠がそう言うのであればきっと深い意味があるのだろう」

 真剣な眼差しで見つめてくるカールに、リーファはたじろいだ。

(あ、あんの師匠…っ!)

 恐らくカールは、小説のジャンルすら聞いていないだろう。渡されたものが官能小説で、しかも主人公の名前がリーファと同名だと知ったらどう思うか。考えただけで頭が痛くなる。

(いや、でも…カールさんならあんまり気にしないで読み切るんじゃないかな…?)

 そもそもこの端正な顔立ちの上等兵が、官能小説を食い気味に読む所は全く想像出来ない所ではあるが。何となく淡々と読んで淡々と返却して、ついでに淡々と本の総評を言ってきそうな印象すらある。

(ここで下手に断ったら勘ぐられるかな…?
 しれっとしてれば、カールさんも気にしないかも…)

 一々反応していたら、それこそターフェアイトの思うつぼだ。出来るだけ顔には出さず、リーファは静かに頷いた。

「分かりました、持ってきます。
 ………でも、その本はどうか、お部屋で独りで読んで下さい………」
「………?何かよく分からないが、心得た」

 リーファが真顔でお願いしたものだから、カールも特に理由を問う事無く応じてくれた。