小説
叱って煽って、宥めて褒めて
『…アタシはあんたが心配だよ、リーファ。
 掃除も狩猟も採集も料理も、だいぶ上手くなった。だがねえ…。
 あんたの魔術の腕はどこまでも安定してるってのに、あんたの感情はどこまでも不安定だ。
 魔術師に一番必要な、”精神的基盤”ってのが欠けて見える。
 あんたは魔術師として、どんな夢を見るんだろうねえ…』

(師匠、そんな事を言ってたっけ…)

 きゃんきゃん喚いている残留思念を見下ろしながら、リーファは昔の事を思い出す。修行を終え、城下に帰る事が決まった日の話だ。

 確かにリーファにとって、魔術は手段であって目的ではなかった。
 日々の生活をほんの少しだけ快適にする為であって、魔術を習得して何か特別な事をしようなどとは考えていなかった。

 周囲の環境を見ても魔術を活用する機会は皆無で、逆に魔術師だと知られれば白い目で見られてしまう。
 ラダマス辺りに相談すれば、国を出る工面位はしてくれたかもしれないが、その選択肢すら浮かばなかった。

(あの頃の私は視野が狭かった…。でも、今はどうなんだろう?)

 ターフェアイトが城へ来てから、リーファの仕事は大幅に増えていた。
 ”ラフ・フォ・エノトス”の管理、魔術や呪術の対処指導、素質補助具の作成。

 側女本来の務めからは大きく逸脱したが、他国の魔術事情などを知る機会にも恵まれ、魔術を用いた将来を想像するまで考えは変わっていた。

「…そうね。全く相談事がない訳じゃないんだけど。
 でも、今のところはカールさんについてて欲しいかな」

 頬を膨らまして腹を立てていたターフェアイトだが、リーファの細やかな願いを聞いて不機嫌に鼻を鳴らした。

「…ふん。んな事言ってたら、いつか消えてなくなっちまうよ」
「それはそれでしょうがないでしょ。それが本来の形なんだから。
 師匠からしたら、こんな私の生き方は物足りないかもしれないけど」

 特に含みを込めたつもりはなかったが、リーファの自嘲するような微笑に何かを感じ取ったようだ。ターフェアイトは口の端を吊り上げて笑った。

「…へえ、夢を見つけたのかい?」
「夢って程じゃないよ。ここでのお勤めが終わった後の話。
 ツテも元手もないから、ただの妄想かな」

 ターフェアイトはちら、と扉の方を見やり、どこか楽しげに失笑した。

「勤め、ねえ………終わんのかねえ?
 そこの王サマ納得させんのは、骨折れるよぉ?」
「…そこ?」

 会話に夢中になっている自覚は無かった。この部屋の前の通りは人が滅多に通らないから、足音ですぐに分かると思っていたのだが。

 ───がちゃんっ

 しかし、リーファが扉の先にいる誰かの正体に気付く前に、扉は開かれた。
 無言のまま部屋に入ってきたその人物は、リーファの主アランだった。

「アラン…様…!」

 リーファは青ざめた顔で慌てて席を立った。よりにもよって、一番聞かれたくない相手に聞かれてしまうとは。

 渋い顔をしてリーファの側まで近づいてきたアランへ、ターフェアイトは上機嫌に声をかけた。

「やあやあ王サマ、ごきげんよう。こうして会うのは三ヶ月ぶりかねえ」
「久しぶりだなターフェアイト。これはまた随分小さくなったものだ。
 …そのまま消えて無くなってしまえばいいものを」
「おやおや、随分嫌われたもんだ。ねえリーファ、アタシ何かやっちまったかい?」

 ターフェアイトに訊ねられリーファは顎に手を当てて考えるが、元々接点のないふたりだ。思いつくものはそう多くはない。

「う、ううん。アラン様を操って、サークレットをバッグに隠させた事、かな…?」
「あれはリヤンに預けた方だろう?
 アタシであってアタシじゃないようなもんの話で、ケチつけられてもねえ。
 …でもまあ、アタシがやっても同じ事やるだろうがね」

 肩を竦めてケラケラ笑うターフェアイトを半眼で見下ろし、アランは諦めた様子で吐息を零した。

 リーファは、ここにいる残留思念が普段カールのネックレスにいる事をアランに伝えていない。
 カールは、この残留思念をアランの施しだと感じてはいるようだが、アランに謝意は向けていないようだ。
 そしてアランも、特に周囲から言われない限り、この残留思念の事に触れるつもりはないらしい。

 皆が知っていて誰もが干渉しない。このターフェアイトの残留思念は、今そういう立ち位置にあるのだ。

「…何やら、楽しい話をしていたようだな?私にも聞かせて欲しいものだ」

 ターフェアイトを無視して睥睨してくるアランに気圧され、リーファは居心地なく顔を下げる。

「えっと、それは、その」
「ん?言いにくいか?どうせ薬剤所はすぐそこだ。
 お前が望むのであれば、媚薬でも自白剤でも盛り、上の口も下の口も正直にさせてやってもいいんだが?」
「いっ…!言います、言いますから!」

 ターフェアイトが期待するような顔をする前に、リーファは背中を向けようとするアランを慌てて呼び止めた。
 不満そうなアランとにんまり顔のターフェアイトに注目され、リーファはもじもじしながら白状する。

「そんな、畏まって言う事じゃなかったんですが…。
 …魔術関連の、雑貨屋さんって、ちょっといいなって…」

 リーファが”ただの妄想”を打ち明けても、ふたりの反応は薄かった。ターフェアイトは小さく頷き、アランは黙り込んだまま目を細めた程度だ。

「護符とか、補助具とか、発動体の製作や販売をやってみたくて…。何でも屋をやっていたリヤン姉さんや、訪問販売に来るリャナを見ていて、ちょっと憧れたというか…。
 でも、色んな町を歩き回るのは大変ですし、実家を改装してお店にしてみたいなって…。ぜ、全然元手とかもないですし、城下で魔術の店なんて誰も来ないのは分かってますけど…。
 だからこれはただの妄想で…その」
「…うん、まあ、いいんじゃないかい?」

 反応したのはターフェアイトの方が早かった。彼女は水晶玉に座り直し、足を組んでリーファに考えを示す。

「この土地は、質の良い水も、良い感じの鉱山も、豊かな土壌も揃ってる。
 まあだから、かつての王はここに街を作ったんだがね。
 先立つものさえありゃあ、その位の店を作るのは訳ないだろうさ」
「でも、私呼び込みとかやった事なくて…仕入れとかも、どこから手をつけていいか分からないし…。
 魔術師への偏見はまだ根強いから、あんまり町の人達を刺激したくないっていうか…」
「そこはほら、最初は城と取引すりゃあいいだろう。
 その位はしてもらったってバチは当たらないんじゃないかい?
 評判が良くなりゃあ、勝手に人は来るもんさ」
「そ、そうかなあ」

 ターフェアイトが変に持ち上げるものだから、リーファもつい顔がにやけてしまう。かつては英雄みたいな事もやったらしい師匠の言に、ついつい惑わされてしまう。