小説
叱って煽って、宥めて褒めて
 先に行っているよう言われていたカールだったが、好奇心には逆らえないもので、部屋の側の廊下で聞き耳を立てていた。
 壁に耳をつけなくても、寄りかかっているだけで部屋の中の声は聞こえてくる。随分薄い壁だ。

「ふぐぅ………ぬ、あぁ………やめろ………やめて、くれ………」

 王の情けない喘ぎ声に、カールは顔をしかめた。

 何やらがちゃがちゃごそごそと物音は聞こえるが、抵抗すら出来ていないのか声の位置はさっきから全く変わっていない。
 リーファの声は聞こえてこないが、恐らく送り続けた魔力を王から回収しているのだろう。王の嗚咽混じりの悲鳴と共にどことなく湿った音が聞こえてくるが、あまり深くは考えない事にした。

「側女殿の、訓練………凄まじい………!」

 王すら虜にしてみせるリーファの手腕を、カールは只々称賛した。側女という立場に似合わない幼さを感じさせる女性だが、こうして聞いていると王が執着する理由が分かるような気がする。

((魔力循環の訓練、あんたも気になるんじゃないかい?ひひ))

「む…」

 ターフェアイトの残留思念に揶揄われ、カールは頬を染めた。

 魔力を送りこむ訓練と受け入れる訓練はカールも経験済みで、初心者向けである魔力循環の訓練は必要がないものだ。
 しかし、必要がないからと言っても興味がない訳ではない。他の訓練と比べてどれ程容易いものなのかは気になる所だが。

「ひっ、あぁっ、あ───」

 背中の向こうから王の嬌声が聞こえてきて、カールの顔から血の気が引いていく。二の腕に、ぶわ、と鳥肌が立って、堪らず抱きこんだ。

「…気にならないと言えば嘘になるが…。
 こんな醜態を側女殿に見られるなど………ゾッとする」

((ふっはははっ、あんたにも恥じらう気持ちがあるんだねえ))

 まるで恥知らずかのような物言いに、カールは渋い顔をした。
 魔力を受け入れる訓練をした時、カールの体には高揚感のようなものがあった。もし魔力循環の訓練を受けたら、快楽に溺れて王のような痴態を晒す可能性はあるのだ。

「側女殿は………駄目だ。
 理由は分からないが、オレの醜い部分は見て欲しくない」

 自分の内に生まれた奇妙な気持ちに、カールは困惑していた。
 こうした感情を同僚に伝えたら『恋じゃね?』と言われたが、それは真っ先に否定した。

 ───カールは、気丈で華やかな雰囲気の女性が好みだ。
 ターフェアイトは言わずもがな、メイド長であるシェリー女史のような凛とした女性に惹かれてしまう。
 対極、というと大げさだが、リーファにそういう点で惹かれてはいないのだ。

 しかし。
 声を聞けば思わず振り向いてしまい、彼女が見せる魔術からは目が離せない。
 そして彼女に見られるとどうにも落ち着かなくなり、目を逸らしてしまう。

 この異質さは恐怖でもあったが、距離を置くのはどうしても躊躇われた。
 いつぞやの暴挙を経て尚変わらず接してくれている彼女に、これ以上嫌われたくない、とも考えてしまう。

 だから、彼女は紛れもなく”魔女”なのだ、と拙い言い訳をするしかない。
 声で惑わし魔術で翻弄し、仕草と笑顔でカールの心を脅かす彼女は、魔性の女と呼ぶのに相応しいとすら思えた。

((…あんた、あの子の親戚に何か悪さでもしたのかい?))

 不意にターフェアイトが訊ねて来て、カールは眉根を寄せた。
 リーファと言えば、城下生まれの城下育ち、という話くらいしか知らない。地方出身のカールとの接点はないはずだ。

「…?何の事だ?」

((………ああ、いい。忘れな。フツーに考えりゃ、それで生きてるはずがない))

「………?」

 師の発言の意味は分からなかったが、撤回したのなら只の当て推量なのだろう。

((しかし、王サマの助勢だけじゃあんたの為にゃならないねえ。一つ、課題を出すとしよう))

 師匠の唐突な提案に、カールの心は躍った。

 ターフェアイトからの課題は、こなす事で何かしらのご褒美が貰える。
 新しい魔術、魔術師王国時代の歴史、師匠の逸話などの情報や、カールの体に取り付いてもらって”自由に弄繰り回してもらう”などという享楽的なものまで様々だ。

 今回はどんなご褒美が貰えるのか、と期待したのだが。

((リーファに、”アムギーネ・フォ・エルサエルプ”の感想を伝える事。千文字位でまとめな))

「!?」

 カールはその難易度の高さに戦慄した。

 リーファから”アムギーネ・フォ・エルサエルプ”という小説を預かり、数日が経過していた。
 全文フェミプス語で書かれているからまだ二割も読み進められていないが、どうやら”リーファ”という名の女聖騎士を主役にした官能小説らしい、という事までは把握出来た。

 読むのはまだ良かった。主人公の名前に目を瞑れば、内容は読めない事もなかった。
 でも、主人公と同名の女性に官能小説の感想を伝えるとなると、また話は別だ。

「し、師匠!それはあまりにも無理無体だ!」

 荒げた声は上擦っていた。嫌われたくないと思っている女性に、嫌われかねない事をしろと言っているのだ。動揺して当然だった。

((前も言っただろう?あの子は本の中身を知った上で貸したんだ。官能小説なのも、主人公の名前が”リーファ”ってのも、ちゃあんと分かってる))

「だ、だが…!」

((これは忍耐と集中力の訓練だよ?カール))

「………!」

 師匠の”訓練”という言葉に、カールはつい押し黙ってしまった。

((昼の魔力剣の訓練。王サマはともかく、あんたは褒められたもんじゃなかったよ。何だいあのザマは?煽ってるあんたが動揺してどうすんだい))

「………っ」

 失望すら籠った師匠の叱責に、カールは肩を落とす。

 王を正しく補助出来るか、的確な助言を与えてやれるか───師匠は、王の進捗状況と同時に、カールの補助の出来も見ていたのだ。

 カールの為ではあるが、カールを弟子にしたターフェアイトの為とも言えるだろう。弟子の腕前は、そのまま師の力量に繋がるのだから。

((どんな素質だって、ある程度は矯正が効く。ネックレスに頼るのもいいけど、あんたみたいなのは手数を増やさないとダメだよ?))

 消沈しているカールの心に、師の優しい慰めが響く。弟子としてあまりに未熟な自分に、可能な限り助言を与えてくれている。

((アタシの最後の弟子であるあんたが、出来ないはずないだろう?))

 カールに与えられた唯一無二の肩書き。その響きに身震いがした。

 聞けば、リーファはターフェアイトに対してこの小説を朗読し、感想まで言ってみせたと言う。
 自分と同じ名前の主人公が行く先々で慰み者になる話など、読むのも億劫になるだろうに、彼女は師の期待に応え、無事乗り越えてみせたのだ。
 同じ師の弟子であるカールにだって、乗り越えられるはずだ。

「………最善は、尽くす………」

 心を無にし、表情を押し殺して何とか絞り出した返事に、ターフェアイトは満足そうに笑った。

((それでいい。しっかり読んで、よく考えて、ついでに分かりやすい資料も作んな。どこに出しても恥ずかしくない感想を言っておやり))

「………………」

 さらっとえぐい要求が飛んできたが、むしろそれくらい徹底した方が忍耐の訓練にはなるのかもしれない。そう思える程に、カールの心は疲弊しきっていた。

 ───キィ

 蝶番が鳴ってそちらを見やれば、側女の部屋の扉が開け放たれていた。王が部屋からゆっくりと出てくる。
 見た所衣服に乱れは無いが、顔色は悪く表情は気怠げだ。恐らく、リーファに魔力をごっそり持って行かれた故なのだろう。

 足元も覚束ない有様で、もはや湯浴みなどどうでもいいのではないか、とすら思えたが。

「上等兵………待たせた、な………。行こうか………」

 王はそう言って薄い笑みを浮かべ、ふらっと大浴場に続く廊下を歩いて行った。

 ◇◇◇

 その後、王とカールは大浴場で湯浴みをした。
 本来ならば王と正妃、そして側女位しか入浴を許されない浴場だが、豪華絢爛な装飾の美しさに感動する心の余裕はカールに無かった。

 互いに疲れ切った状況で何を話す訳でもなく、ただ体を洗い、湯舟に浸かり、体を温めただけで終わった。

 何の為に来る事になったのか、それすらも忘れてしまっていたが。
 湯上がりに用意されていた冷たいレモネードの甘さは、疲れ切った心を慰めてくれたような気がした。