小説
魂達の宿借り行脚
 それから幾ばくかの日々が過ぎ、リャナは婦人科の専門家を引き連れて来城した。

「こちらが、あたしの先輩のバッティスタ”お姉様”。
 ”お姉様”なので、そこのとこお間違えなく」
「はぁい、ご機嫌よう。バッティスタよぉ。テスタって呼んで頂戴」

 バッティスタ───テスタは、優美な笑顔で自己紹介をしてみせた。

 テスタは、ラベンダー色に煌めいた艶やかな髪を結わえて腰まで垂らした人物だ。アランと肩を並べる程度に背は高いが、真っ赤なハイヒールを履いているので本来の身長はもう少し低いのだろう。
 長身痩躯の体型に、黒いベルトを巻き付けたようなトップスを着ており、白いベルボトムを履いている。エメラルドグリーンを基調としたスカーフを首に巻き、お洒落な印象を受ける。

(”お姉様”、なのね…)

 中性的、と見る事も出来なくはないが、その面立ちや体躯は男性のように見える。
 実際、『種族はインキュバスにあたる』とリャナからは聞いていたが。
 白い肌はピンクのチークで彩られ、空色のラメ入りアイシャドウは星々のように、オレンジ色の口紅は太陽のように華やかで、その立ち振る舞いはとても色っぽい。

「テスタさん、遠路はるばるありがとうございます。
 リーファと申します。よろしくお願いします」
「よろしくねぇ」

 リーファが右手を差し出すと、テスタは口角を綺麗に吊り上げてにこやかに握手に応じてくれた。

「それで、指定の通りあまり人通りのない奥まった部屋を選びましたが…。
 こちらでいいんでしょうか?」

 リーファはそう訊ね、本城1階北北西にあるこの洋裁室をぐるりと見回した。

 城に従事する者の制服は、城下や町の仕立て屋に発注するが、裾上げやほつれの補修をする時はこの洋裁室を使う事もある。
 何があっても困る事のないよう、最低限の裁縫道具一式は揃っているようだ。
 糸、布地などは用途に合わせて棚に整然と並べられ、大型の機織り機や、足踏みソーイングマシンなんてものまである。

「ん〜、いいんじゃないかしらぁ?とりあえず、カーテンはさせてもらうわねぇ」

 テスタは色気すら感じられる声音で応じながら、北側のカーテンを広げていく。

「”灯れ”」

 リーファは魔力の光を手の中に生みだし、暗くなっていく部屋の天井にそれを貼り付けた。
 元々陽の光があまり差さない洋裁室が一気に明るくなると、廊下側の壁で胡散臭そうに目を細めていたアランが口を開いた。

「…それで、一体何をするというのだ」
「んっとね。あたしたちって性に関わる能力の関係もあって、医療系のお仕事する子が多いんだよね。
 で、今回は触診で子宮の動きを調べます。
 …あ、服越しに触るだけだから怖くないよ。リーファさんは、気持ちを楽にしてね」
「はい、分かりました」

 リャナの簡単な説明が終わった頃には、洋裁室のカーテンは全て広げられていた。テスタは畳まれ並べられていた衝立を広げ、備えつけのソファーベッドを囲っている。

「ちょうど衝立があるから、こっちでやりましょ。
 リャナちゃんと王サマは、そこで待っててねン」
「はーい」
「よろしくお願いします」

 あっという間に即席の診療スペースが作られ、リーファは中へと入っていった。

「どぉぞ、こちらへ。頭をソファーベッドの右側につけて、仰向けで寝て頂戴」

 テスタに招かれ、リーファは言われるままソファーベッドに寝そべる。
 緊張で心臓が早鐘を打つ。生唾を飲み込んでばかりで胃がむかむかしている。言うまでも無く、不安で胸がいっぱいだ。

(不妊だったら…どうしよう…?)

 ここ一年、ずっと思い悩んでいた。
 子供が出来にくい体になっていないだろうか、アランに不毛な時間を過ごさせていないだろうか、と。

 検査で結果が明るみになる事はとても恐怖だ。不妊だったらと思うと、ぞっとしてしまう。
 でも、いつまでも分からないままにしておく方が、もっと恐ろしい。

(何でもないと、いいな…)

 泣きそうな表情で天井を仰いでいたら、テスタがちょっと意地悪そうに微笑み、リーファを覗き込んできた。

「…そんなに怖がらないで。大丈夫。何とでもなるわ」
「…何とでも?」
「ええ。何とでも、よ」

 間延びした言い方を抑えながらも言葉を濁す事に意味はあるのだろう。ウインクをしたテスタはそれ以上は何も言わず、検査用には見えない黒い革手袋をはめた。

(『何とでも』…)

 胸中でテスタの言葉を反芻する。

 魔物の国の技術力は、ラッフレナンドの比ではない。ラッフレナンドなら諦めてしまうような症状でも、魔物の国なら改善するような薬や手術があるのかもしれない。

(あちらの国の力を頼るのは、ちょっとどうなのかな…。正妃や側女を増やしてくれるだけでいいんだけど…)

 自分の為に色々処置する方針になってしまうのは、少しばかり気が引けた。
 同時に、気持ちが楽になっている事にリーファは気付く。

(ああ、そっか………『何とでも』なるんだな…)

 不妊だったとしても、アランの御子は別の女性に産んでもらえばいい。魔物の国で、何か別の方法を考える事だって出来る。
 他愛ない言葉だったし、テスタが意図したものではなかったのかもしれないが、何故だか救われた気がした。

 肩の力が抜けて行くと自覚した頃、衝立の向こうでアラン達の会話が聞こえてきた。

「…大丈夫なのか」
「うちの城の専門医だよ?大丈夫じゃない訳ないじゃん」
「しかしな…」

 心なしか、アランが落ち着きなくソワソワしているように感じた。
 リーファにとっても未知の検査だ。アランが不安になるのも分からないではない。

 かちゃん───ばたん

「お待たせー」

 ノックもなく扉が開き、閉まる音が聞こえた。声を聞くに、ヘルムートが入って来たようだ。

「ん?今どんな感じ?」
「リーファが検査中だ」

 そんな外野の会話を遮るように、テスタがリーファに声をかけてきた。

「───じゃあ、始めるわねぇ」
「は、はい」

 リーファが応じると、テスタがスカート越しに触れてきた。
 慎重に丁寧に、そっとへその周辺を撫でていく───直後。

「あっ…?!」

 不意に来た胎をえぐる感覚に、リーファは堪らず悲鳴を上げた。

「ぐ、ぅ………ん………あ、あはぁ…っ!!」

 テスタは優しく撫でているだけで、力を籠めている訳ではない。
 しかし胎を中心に掻き乱すような感触に、リーファは膝を曲げて身をよじる。

「大丈夫、怖くないわ。深呼吸して、肩の力の抜いて…」
「はぁー………はぁー………」

 言われるまま、乱れていた呼吸を懸命に整える。検査を止めてくれているのか、今は少しばかり楽だ。

「そうそう、良い子ねン。案外、気持ち良いんじゃないかしらぁ?」

 生理痛のような、激しい痛みがある訳ではない。つわりのような、気持ち悪さがある訳でもない。
 異物が胎全体を生き物のように動き回り、リーファが感じやすい部分を探っているようなのだ。
 出来ればこんなはしたない声など上げたくはないのだが、頭が真っ白になってしまい気持ちが乱れてしまう。

「は、はい………なんか、すごく、ゾクゾクします………んんっ。
 こんなの、初め───ひ、あぁ…あ、あぁ、あぁあぁ、───っ!」

 先程よりも強く掻き乱され、リーファは堪えきれずに身をのけ反らせた。溢れた感情に涙が浮かび、目尻から伝って零れて行った。

「今二割くらい調べたからねぇ。頑張ってン」

 テスタは柔らかい笑みを浮かべてリーファを励ますが、時折チロリと舌なめずりしているのがちょっとだけ怖い。

(は、早く、終わってえっ…!)

 ソファーベッドにしがみついて検査の終わりを待ち続けるリーファの耳に、衝立の向こうの喧噪が聞こえてきた。

「こらこらこら。落ち着いて、落ち着いて」
「検査、検査だから」
「………………っ!」

 ヘルムートとリャナが、誰かを呼び止めているようだった。
 消去法で考えても、多分アランが怒っているのだろう。原因も何となくは理解出来た。

 でも、原因の対処など出来るはずもなく、リーファはしばらくあられもない声を上げ続けたのだった。