小説
魂達の宿借り行脚
 先の検査から数週間が経った頃の、ラッフレナンド城2階、メイド達の休憩室。
 午後のティータイムの支度をしながら、メイド長シェリーは艶めいた唇を品良く吊り上げた。

「それで最近は、早朝の鍛錬を行うようになったのですね」

 どうやらシェリーは、アランから理由を聞いていなかったらしい。
 しかし、検査の為に人払いなどの準備をしたのはシェリーだったので、アランの異変は察しがついていたようだ。

「この間の検査が、結構堪えたみたいですね。
 昨夜なんか折角支度して待っていたのに、『お前も早く寝ろ』ってベッドにねじ込まれてしまったんですよ?」

 リーファは呆れながらも、アランの変わりようについつい苦笑した。

 ここの所、アランは熱心に体力作りをしている。
 早朝は柔軟体操から始まり、ジョギング、木剣の素振りに精を出し、時には兵士達に交じって体術の訓練にも参加しているらしい。
 定期的な運動の甲斐あって、元々筋肉質だったアランの体にほんのりハリが生まれるようになり、アラン自身も成長具合を実感しているようだ。

「お仕事も、幾分かはヘルムート様にお任せされるようになりましたね。
 …しかし、抱いて頂く頻度が減って、物足りないとお感じにはなりませんか?」

 率直に訊ねられ、リーファは頬を赤らめた。御子を産む仕事を『恥ずかしい』などと思ってはいられないが、つい顔には出てしまう。

 アランの早起きに付き合わされる形で、リーファも早めに就寝するようになっていた。それに伴い肌を合わせる機会は減っており、ここしばらくは軽いスキンシップのみ、という事も多い。
 リーファ自身も妊娠しやすい時期を意識するようにはなったので、お互い都合が良いとは思っているのだが。

「それは…まあ、少しは思いますけど。
 でも、私ばかりが気持ち良さを優先させるわけにはいきませんから。
 …それより、抱くつもりがないなら、人のベッドで寝ないで欲しいんですけどね」
「そこはきっと譲れないのでしょうね」

 シェリーにクスクスと笑われてしまい、リーファは肩を落とした。抱き枕扱いからの脱却は、正妃や側女を増やさないと解消しそうもないようだ。

 他愛のない会話に花を咲かせながらも、執務室へ持ち込むおやつの支度は進められている。
 今日のおやつは、ハチミツリンゴのチーズケーキだ。甘く煮詰めたリンゴと、チーズケーキが層になったスティックタイプで、しっとりとした風味と甘酸っぱい香りが食欲をかき立てる。

 加熱の紋が刻まれた石板の上で、銀色のケトルに入っている水に火が通される。沸騰するまであと少し、といった所か。

「───時に、リーファ様」
「あ、はい」
「先のご懐妊が発覚した際に見えたという御子の魂というのは、どのようなものなのですか…?」

 急に話を切り替えてきたシェリーが気になって、リーファはケトルから彼女の方へと目を移す。

 隣にいたシェリーは、こちらから顔を背けていた。上の戸棚が開けっ放しなので、茶葉の缶を取ろうとしたようだが、その先にある何かに気を取られているように見える。

 顔も見ずに声をかけるなど、シェリーにしては珍しい。リーファは首を傾げつつ、とりあえず問われた事に答えておく。

「そ、そうですねぇ。大きさは、豆粒くらいはあったか、なかったか…。
 タンポポの綿毛のように真っ白で、丸くてふわふわしていて…。
 本当に、守ってあげなくちゃなって思わせるような感じでしたね」

 その説明で納得が出来たのかどうか。シェリーは、物音を立てないように恐る恐る、といった感じでこちらに振り返ってきた。その顔には、困惑の色がありありと浮かんでいる。

「それは………このようなもの、なのでしょうか…?」

 リーファに見せるようにシェリーがそっと左へ下がると、調理作業台の側で落ち着きなく浮遊する物体があった。

 大きさはコーヒー豆くらいはあるだろうか。リーファが先程説明したまま、綿毛のように真っ白で丸くてふわふわしている。
 これがもし死者から分かたれた魂ならば、生涯を示す白い帯が伸びているはずなのだが、それには全く生えていない。

 見間違えるはずもなかった。それは、これから赤子に宿る予定の魂だった。

 リーファとシェリーが呆然と凝視している中、しばし値踏みするかのように舞っていたその魂が、ポン、と飛び込んできた。
 白いエプロンの上を滑り、紺色のスカートをすり抜け、とある場所でパッと光を撒き散らして消えて行った。