入口
TOP
廃画廊
小説
小説
魂達の宿借り行脚
───がちゃんっ
「アラン様っ!」
執務室の扉からノックもなく飛び込んできた茜色の髪を見て、アランは目を丸くした。
丁度その頃、アランはヘルムートと話し合いをしていた所だった。ラッフレナンド領の南東でスキュラの目撃情報があり、討伐隊の出発時期を考えあぐねていたのだが。
「何事だ、騒々しい」
息を切らせて入ってきた女性をリーファと認めて、アランは不可解に眉根を寄せた。
城に住む者として、最低限の礼儀は弁えている彼女がここまで取り乱す事は滅多にない。彼女にとってそれだけの事があったのだと察し、アランはヘルムートと顔を見合わせた。
「み、み、みご…っ!」
「み?」
「ご?」
図らずも兄弟仲良く首を傾げる中、リーファは顔を綻ばせ、明確に意味ある言葉へ紡ぎ直した。
「身篭り、ました!」
その重大報告に、アランは思わず息を呑んだ。
身籠った。それはつまり、妊娠をした、という事だ。そして言うまでもない事だが、リーファが、という事でもあった。
どうやってその兆候を知ったかは分からないが、こう断言しているのだから決定的な何かを感じ取ったのだろう。
先の流産から、一年が経過していた。リーファの辛さには遠く及ばずとも、あの時の身を切るような悲しみは、アランの心にも影を落としていたが。
「そうか………でかした…っ!」
リーファの懐妊を、アランはただ素直に喜んだ。そして───
(今度こそ、守ってやらねばな…!)
胸の内で、決意を新たにする。
懐妊した側女というだけで向けられた悪意に、一年前は何もする事が出来なかった。
エニルと名付けた喪われた子には今はもう何もしてやれないが、ならばせめて次の子は全力で守らねばならない。
「おめでとう、リーファ。検査、頑張った甲斐があったね」
「あ、えっと…」
相好を崩したヘルムートが、リーファの頭を撫でている。リーファは喜びながらも、ちょっと戸惑った様子で彼の手を受け入れていた。
(しかし、身籠ったのか…)
アランはつい、いつ頃に出来た子なのかを考えてしまう。
最近は妊娠しやすい時期を考えて励むようにしているから、以前と違っていつ頃かを探るのは難しくない。その中でも直近はというと───
「…ふふ。もしや、先日の謁見の間での逢瀬が効いたか…?」
「!」
口の端を吊り上げて自然と零れたアランの呟きに、リーファは顔を紅くして押し黙ってしまった。
義務を課してただ肌を合わせるのではつまらないと、気分転換に場所や状況を変えるようにはしていたのだ。監獄内の”愛の巣箱”は寒さを理由に避けていたが、この執務室や王の寝室などで逢瀬を楽しむ事はしていた。
謁見の間については、『ぎ、玉座でそんな事出来ません!』と当初リーファは怒っていたが、2階の人払いや後の掃除などを条件に受け入れてもらった経緯がある。
当時を思い出したのだろう。ヘルムートは呆れた様子で反応した。
「ああ、この間のあれかい?2階の北側の巡回兵の人払いまでして、一体何をするつもりなんだと思ったら………馬鹿な事して、全く…」
「だが玉座で乱れるリーファは、なかなか見物だったぞ?
もしあれで身籠ったのならば、謁見の間を子宝の間と改名するのも───」
「わ、わわわわ、私じゃ、ないんです…っ!」
戯言を遮るように慌てて続けられたリーファの言葉に、執務室の時が数秒止まったかのような違和感が生じた。
「…え?」
「…な、に?」
静まり返った執務室で、ヘルムートとアランの懐疑の声音が響き渡る。
リーファが何を言っているのか分からなかった。謁見の間での逢瀬は、確かにリーファとしたもので、『私じゃない』の意味とは繋がらない。とすると───
───パタン。
音に反応して入口を見やると、シェリーが執務室の扉を閉めていた。
ティーセット一式を乗せたワゴンを押して入室した美貌のメイド長の顔色は悪く、その佇まいもどこか覇気がない。
「シェリーさんが、身籠ったんですよ…!」
どこか浮かれた様子のリーファの一押しで、今度こそ執務室が完全に沈黙した。
リーファの言が確かならば、懐妊したのはリーファではなくシェリーという事らしい。そしてリーファは、シェリーの懐妊をとても喜んでいるようだ。
確かに女性にとって、妊娠というのはとても重要な事だろう。これによって人生が大きく変わる事もままあり、余程酷い事情が絡まなければ、懐妊は喜ぶべきと言えるが。
「あれ?えっと…あの…?」
当初は嬉しそうに興奮していたリーファだったが、アラン達の反応の薄さに戸惑いを見せ始めていた。考えの食い違いのようなものに気付いたようだ。
「………陛下、ヘルムート様」
凛とした口調で、シェリーが背筋を正した。真っ直ぐにアランを見据え、淡々と願い出る。
「…処置をしてまいりますので、数日暇を頂きたく思います」
たったそれだけだったが、シェリーが今どういった心境でこれから何をしようとしているのか、をアランは理解した。言葉を濁したのは、リーファに対する配慮なのだという事も。実際リーファは何の事か分からず、おろおろとしていた。
「…あ、ああ。分かったよ。
周りには、適当に言っておくから。最低限引き継ぎをして、行ってくるといい」
「お気遣い痛み入ります。それでは…」
同様に察したヘルムートの許可を得て、シェリーは恭しく頭を下げる。アランにも頭を下げ直し、音も立てずに消え入るように、メイド長は執務室を出て行った。
←Back
Home
Next→