小説
魂達の宿借り行脚
 シェリーが去った執務室に、また沈黙が落ちる。魔術システムの力で常に快適な気温を維持し続けている部屋の中が、ぐっと寒くなったような気すらしてくる。

「あの…えっと………私、まずい事、言ってしまいましたか…?」

 一人状況が呑み込めていないリーファが、泣きそうな声音でアランに助けを求めてきた。
 その姿を見て、ヘルムートが不憫そうに深々と溜息をつく。

「そっか…リーファには、何も言ってなかったからね…」
「それも、そうだが…」

 アランは一呼吸置き、リーファの腑に落ちない言動を問い質した。

「リーファ。何故私が、シェリーの懐妊を喜ぶと思った?」

 その問いかけに、リーファは少なからず衝撃を受けたようだ。『早合点してた』と言わんばかりに表情が曇り、視線を下ろしてしまう。

「…それはその、きっとアラン様の御子だから、だと、思ったから、ですが…」
「何故そう思った。シェリーがそう言ったか?」
「いえ、そうは言ってませんでしたけど…」

 沈んだ表情で静かに首を横に振ったリーファは、ぽつりぽつりとその理由を語りだした。

「…私がここに来て間もない頃、シェリーさんが『呼び出しが減らない』と言っていた事があって…。
 先王陛下は側女を三人抱えていましたし、『貴族はお妾さんをたくさん抱えるものさ』ってエリナさんからも聞いてましたし…。
 アラン様だって、貧相な私の体じゃ全然満足出来ないって思って…。
 私に気を遣って…っていうのも変だな、とは思ったんですが。私に気付かれないように、美人なシェリーさんも抱いていらしたのかな…と」

 金槌で殴打したような衝撃が、アランの脳天を揺さぶった───気がした。
 実際今のアランの具合は、頭を殴打された時の症状に良く似ていた。頭痛に歯噛みし、目眩で視界が定まらず、吐き気すらこみ上げてくる。終いには、机に添えていた両手が震え始めていた。

「…気付いてたんだねぇ…」

 肩を落としたヘルムートの呟きに、アランはハッと我に返り彼をねめつけた。

(はぐらかしておけば、誤魔化せていたやもしれんというのに…!)

 リーファの話は、全て推測から来ているものだった。『王族や貴族はたくさん女性を囲っている』という先入観をアランにも当てはめようとしたに過ぎない。
 アランの人格を無視したものだから、リーファも口には出さずに思い込むだけに留めていたのだろうが───それが、ヘルムートの一言で真実だと認められてしまった。これではもう、リーファにどんな言い訳をしても、浮気男の拙い与太話にしか聞こえないだろう。

(いや、だが。これだけは、弁解をしておかなければならない)

 ゆっくりと深呼吸をして動揺を鎮め、不安そうに見下ろしてくるリーファにアランは告げた。

「───確かに、シェリーを抱いていた時期は、あった」
「じゃ、じゃあ」
「だがそれは、お前を正式に側女にする前の話だ。
 …以降は、お前以外の誰とも肌を重ねていない」
「え………っと」

 アランの弁解に、リーファの瑪瑙色の双眸がぱちくりと瞬く。そして腑に落ちない様子で首を傾いだ。

 それもそのはずだ。アランからは、『半分当たりで半分外れ』という”当たり”の部分の説明しかしていない。”外れ”の理由を明かしていないから、気持ちが引っかかっているのだろう。
 アランとしても、推測の域を出ない話ではあるが───

「…シェリーが黙って出て行ったから、僕達も想像するしかないんだけどね。でも一つ、これじゃないかな、ってものはあるんだ。…聞いてくれるかい?」

 含みを持たせて話を持ちかけたのはヘルムートだった。彼は、アランの視界の邪魔にならない位置で執務机に腰を預け、リーファを見据えている。

 リーファも、只事ではないと気付いたのだろう。困惑に顔を曇らせながら静かに首を縦に振ると、ヘルムートは淡々と語り出した。

「シェリーはね、一度結婚してるんだけど、不妊を理由に離縁してるんだ。
 どうやらシェリー側の不妊だったようでね。シェリーの実家であるレイヴンズクロフト伯爵家は、シェリーをメイドとしてラッフレナンド城へ送る事にしたんだ」

 その辺りの話は、以前アランからリーファに話した事があった。リーファも覚えていたらしく、黙って頷いた。

「当時…と言うよりはそれ以前からなんだけど…。
 ラッフレナンド城では、兵士や官僚の素行が問題になっててね。
 指揮官クラスや、親の爵位が高いだけの連中が、城勤めの女性達を私物化…と言うか、手籠めにする…なんて事が常態化していたんだ」
「──────」

 ラッフレナンド城が抱える黒歴史───女性の尊厳を踏みにじる過去を知らされ、思惑通りにリーファの顔が青ざめていった。肩から力が抜け、呆然とヘルムートを見つめている。

「問題を起こしていた連中は、当時の城内の最大派閥でね。情けない話だけど、オスヴァルト王もあまり強く出る事が出来なかったんだ。
 ただ体制を変えたいとは考えていたみたいで、その準備が整うまでの間だけでも、城の女性を守る必要があった」

 そこまで聞いて、大方の察しがついたらしい。リーファはハッと青白い顔を上げた。
 ヘルムートはゆっくりと頷いて、リーファの無言の回答を肯定した。

「…まあ、そういう事だよ。
 先王は不妊である事にかこつけて、シェリーに兵士や官僚の夜伽を命じたんだ。
 ───城の女性を守る為に、ね」
「…で、は。シェリーさんの、お腹の、子は…」
「少なくとも、私の子ではない。
 そして───誰の種か分からない子を、身籠った可能性がある、という事だ」

 絞り出すように紡がれた疑問にアランが答えると、リーファの顔からは表情がごっそりと抜け落ちて行った。

(…リーファには、話しておくべきだったのだろうか…)

 放心して今にも倒れそうなリーファから視線を逸らし、アランは後悔に歯噛みする。
 アランがシェリーの話を振った時、リーファが丁度妊娠しており、こんな後ろ暗い話をするような時期ではなかった。以降は、話す理由がこれと言って見つからなかった。

(結局、シェリーが今に至るまで打ち明けなかったのだ。私が悔やんでも仕方がない───と思うしかないのか…)

 何も言わずに出て行ってしまったシェリーに、言いたい事の一つや二つはある。しかし彼女の心境を思えば、そんな些事など言う気も失せるものだ。

「…これだけは言っておくよ。
 七年前、アランが王子として認められた事でようやく体制が整ってね。問題を起こしていた連中はまとめて一掃して、残った兵士に再教育を施す事は出来ていたと思ってたんだ」
「だが、普段外出する機会がないシェリーが身籠ったのだ。同じ事が起こってしまった、とまずは考えるべきだろう………問題は、突き止めねばならん」
「…そうだね」

 ヘルムートの言い訳もアランの意思表明も、リーファが反応を示す事はない。目を伏して、何かに堪えるように無言で佇んでいた。

 ヘルムートは苦笑いを浮かべ、労わるようにリーファの背中に手を添えた。

「リーファ、顔色が悪いね。そうだよね。僕達にとっても、気分の悪い話だ。
 あとはこっちでやっておくから、今日はもう部屋でゆっくりするといい」
「………すみません………」

 とても給仕をする気力はなかったのだろう。リーファはか細く謝罪を口にして、静かに部屋を出て行った。