小説
魂達の宿借り行脚
 シェリーもリーファも出て行った執務室で、ヘルムートが黙々と紅茶の支度を進めている。
 他のメイドを呼んでやらせても良かったが、このどんよりした空気を何も知らないメイドに吸わせるのはどうしても躊躇われた。

「………まさか、リーファが知っていようとは………」

 ヘルムートが執務机の方を見やれば、アランは両手で顔を覆い、椅子にもたれて深く嘆息していた。恐らく、シェリーに夜伽を命じていた事を言っているのだろう。

 ───先王オスヴァルトはシェリーに対して、『四人の王子達のいずれかに子が出来たら、解放してもいい』と言っていた。
 それは『王子達に女性を宛がえ』という指示でもあったが、『シェリー自身が王子達の子を産め』という指示でもあったのだ。

 もしシェリーが王子達の御子を出産すれば、自身の不妊の落ち度を払拭する事が出来る。勘当同然で追い出されたレイヴンズクロフト家にも面目が立つ、という訳だ。

 ヘルムートは『時代錯誤甚だしい』と突っぱねたが、ゲーアノートやアランはこの王命に従った。シェリーを妹のように姉のように想っていたふたりは、『早くシェリーを解放してやりたい』という気持ちが勝ったようだ。

 しかし、一向に妊娠の兆候は表れず───先王は方針を切り替え、問題になっていた兵士や官僚への夜伽も命じる事にしたのだった。

(なんか、変な所で純情なんだよねぇ…アランってさ)

 アランがシェリーに命じた夜伽は、彼女を慮っての事だ。自分が気持ち良くなるだけの不貞とは、また違う次元の話だ。

 そしてリーファは、アランが正妃や側女を増やす事に文句は言っていないのだ。彼女の反応を見るに、『メイドに手を付ける事も王の仕事の内』とすら思っていたのかもしれない。

 だからこのアランの落ち込みは、彼女達の心境をおざなりにしたただの感傷に過ぎなかった。

「リーファの事は今考えても仕方がないよ。問題は───」
「………シェリー…だな………」

 リーファに暴露された事に腹を立てているのだろう。アランにジロリと睨まれたが、ヘルムートは無視してチーズケーキを執務机に差し出した。そう、アランが言う通り、問題はシェリーの方なのだから。

 アランもアランで、少しも怯まないヘルムートを見て諦めたようだ。目の前のチーズケーキをフォークで切り分け、口に放り込んでいる。

「あの様子だと、多分今日にでも堕胎の処置をしに行くんだろう。すぐにその判断をしたんだ。妊娠するとは思ってなかったんだろうね。
 誰かと恋仲に…って線も、薄いんじゃないかなぁ。そんな時間があったようには思えないし」
「望んだ妊娠ではないのは確かだろうな。
 多人数と相手をさせられたか、下衆にいいようにされたか…ロクなものではあるまい」
「そういった物音は聞いた覚えがないんだけどなぁ。
 でも、魔術システム稼働後から僕の”耳”が聞き取れない所は結構増えたし、こっそりやられたらどうしようもないんだよね」

 その点においては、ふたりの考えは一致していた。

 シェリーは護身術を心得ており、剣においてはそこらの兵よりもずっと上手だ。基本城内で活動しているシェリーがそうした危機に遭うとは考えにくいが、不意に襲われたとしても対処は出来るはずだ。
 だが脅迫をされたのだとしたら、また話は違ってくる。

「あれだけ望んでいた妊娠を、望まぬ形でしてしまうとはな…」
「…皮肉なものだよね。愛した男との間に子が出来なくて、どうでもいいヤツの子を孕むなんてさ。シェリーもつくづく運がない」

 ワゴンでカップに紅茶を注いでいると、アランが息を呑むのが分かった。不思議に思って顔を向けると、彼は目を見張り確信と共に口を開く。

「………王家の不妊の呪いが、シェリーにもかかっていた可能性は、ないか?」

 かつての自分達を悩ませ、今は遠い過去のものとなった問題───それと酷似していると、アランは考えたようだ。

「試しの祠へは、シェリーも何度か足を踏み入れている。
 そしてあの呪いは、祠の最奥まで辿り着いた、ラッフレナンド王家の血族のみに発動するよう出来ていた。
 …レイヴンズクロフト伯爵は、王家との接点を持ちたがってはいたが………既にどこかで、ラッフレナンド王家と繋がっていたのではないか…?」
「………」

 恐怖か、緊張か、ストレスか。じり、と背中の体毛がざわつくような嫌な感覚に、ヘルムートはつい藍色の目を細めた。

 ───シェリーの父親モーガン=レイヴンズクロフト伯爵は、権力欲の強い人物だった。王家との姻戚関係を願って、シェリーと共に頻繁にラッフレナンド城へ登城していたのは、ヘルムートもよく覚えている。

 後に聞いた話だが、一時はシェリーをゲーアノートの下へ嫁がせようとも考えていたらしい。
 年齢が近いヘルムートよりも、十七も年上であってもラッフレナンドの血が濃いゲーアノートを標的にしていたのは、実に伯爵らしい考え方だった。

 王家の儀式に使われる”試しの祠”へ行く機会が生まれたのは、王家とシェリーの接点が出来上がった後の話だ。

(僕の時もアランの時も、シェリーは祠の下見に同行してくれたもんな…)

 王家の者でなくても、許可さえ降りれば祠内部の同道は許された。
 王位継承に消極的だったヘルムートと覚えが悪かったアランに、シェリーは根気よく付き合ってくれたものだ。

 あの騒がしくも穏やかな日々は、ヘルムートにとって大切な思い出の一つではあったが。
 それが、シェリーの未来を閉ざすものだったとしたら───

「…もし、そうだったとしても………誰にも、どうにも、出来なかったんだ。『運がなかった』って思うしか、ないと思うんだよね」
「………そう、だな」

 無粋な議論だと気付いたのだろう。アランもまた、眉間にしわを寄せて頷いた。