小説
魂達の宿借り行脚
 ───コンコン。

 アランの席にもティーカップを差し出して幾ばくかした頃、執務室をノックする音が響いた。

「失礼致します。陛下、カール=ラーゲルクヴィスト上等兵が書類を届けに来ています」
「ああ、通してやれ」

 アランが衛兵に許可をすると、黄金色の髪を一つにまとめた紫色の瞳を持つ端正な顔立ちの兵士が入ってきた。
 ギースベルト派であり、何故かアランに気に入られている上等兵、カール=ラーゲルクヴィストだ。

 彼は入室早々、嘲るような蔑むような目でアランを睨みつけてきた。

「王よ、また側女殿に何かしたのですか?」
「ん?リーファに何かあったか?」
「オレの顔を見るなり逃げられたのですが」

 どうやら先の話で、リーファに兵士へ対する忌避感が生まれてしまったようだ。鉢合わせた途端に距離を置かれ、そそくさと逃げられた光景が容易に想像出来てしまった。

 先の問題は確かにギースベルト派が起こしていたが、カールが王城勤務を始めるよりも前に解決しているので、彼とは関係がない。
 とばっちりを食ったカールには悪いが、思わず口元から笑みが零れた。アランも同様だったようで、肩を震わせてクスクス笑っている。

「ああ、今少々ナーバスな時期なのだ。気にしないでやってくれ」
「それよりも上等兵。君に聞きたい事があるんだけど」

 ヘルムートから話しかけられ、アランに書類を預けたカールは怪訝そうに体を向けてきた。こんな形で話す事などないからか、カールの面持ちに警戒の色が入り混じる。

「…何でしょうか」
「兵士達の界隈で、メイドに関して噂が立っていないかい?
 こう…お願いをすれば、夜の相手をしてもらえる、みたいな」

 ヘルムートの質問は、カールにとってもおかしなものだったようだ。変なものを見るような目で淡々と答えてくる。

「…ご冗談を。王城のメイドは、貴族方から借り受けている王族の財産でしょう。
 我々兵士が守るべき尊き存在に夜の相手をしてもらおうなど、恥知らずにも程がある」

 望んでいた通りの答えが返ってきて、ヘルムートはホッと胸を撫で下ろした。

 ───アランが正式に王子として認められた際、その容姿は多くの者に衝撃を与えた。

 波打つ金髪に深い藍色の双眸は、初代ラッフレナンド王を始めとする王統によく見られる容貌であり、ギースベルト派にとっては羨望の象徴だった。
 その為ギースベルト公爵家は近親婚を繰り返し、象徴に限りなく似た子孫を生みだそうと躍起になった程だ。

 しかし彼らの苦労を差し置いて、どこの馬の骨とも知れない女の胎から生まれた第三王子が、王にあるべき特徴を色濃く残して現れた。
 アランに対する王子認定によって、ギースベルト派から鞍替えする者達まで現れたという。

 そんなアランが王子として最初に為した事は、『王城メイドは王族のものである』という意思表示だった。
 要は、『メイドは王子である私のものだから、手を出すとどうなるか分かっているな?』と圧をかけたのだ。

 兵士としての戦績に加え、その美貌で放たれたアランの発言は覿面だった。
 面倒事を起こしていた者達が、ギースベルト派の末端である事は調べがついていたが、アランの宣言によって彼らの取り巻きは恐れを為し、一斉に離れて行った。

 孤立したギースベルト派の末端を潰す事は造作もなく、後は時間をかけて王城内の品性の向上に注力した───という訳だ。

 アランが敷いた王城メイドに対する扱いを、ギースベルト派であるカールが同調するのは不思議なものだ。ようやくここまで来たのだと、しみじみ感じさせる。

「…あの惨状から、よくここまで浸透させたよね」
「方々に手を尽くしたからな。やはり害虫は、頭を潰すのが手っ取り早い」
「…しかし、心当たりがあります」

 安堵と共にヘルムート達が達成感の余韻に浸りかけていると、カールの一言が冷や水のように浴びせられた。
 気持ちを引き締めふたりしてカールに視線を注ぐと、不遜な上等兵は淡々と話を続ける。

「グレーゴーア=バッケスホーフという上等兵が、『メイドと肉体関係にある』と吹聴していた事がありました。恋人関係のような話し振りではなかったので、ただの戯言かと思っていたのですが」
「バッケスホーフ侯爵家って───」
「ギースベルト公爵家の縁類…だな」

 再びギースベルトの名がちらつき、アランが不快感を露わにする。

 先の問題は、王の評判を落とそうとしたギースベルト派の思惑が端を発していた。
 自分達で問題を起こしながらも、『城内を御せない王に国を任せて良いのか』と周囲を焚きつけ、ゲーアノート王太子へ王位を早く継がせようとしたのだ。

 今回も同じ意図だとは思えないが、再びギースベルト派が面倒を起こしだした、と見ても良いだろう。

「…上等兵。君、これ話していいの?君にとって、バッケスホーフ侯爵家は仲間…と言うか、上司みたいなものだろう?」

 気をかけてやるつもりはなかったが、何となく気になってヘルムートはカールを訊ねるが。

「…件の話は、1階担当の他の上等兵も聞いています。虚だろうが実だろうが、城のルールをおざなりにする者に、かけてやる慈悲などないかと。
 …侯爵家の名を笠に着てやりたい放題した挙句、厄介払いのような形で城の兵になった三十路男には、良い薬となるでしょう」

 ヘルムートの懸念に対して、鼻を鳴らして一蹴したカールの表情には怒りが満ちているように見えた。爵位や序列は重要視して然るべきかと思ったが、カールにとってはそうではないようだ。

「ギースベルト派も一枚岩ではないのだな…」
「っていうか、個人的な恨みがあるんじゃないかなぁ?」

 カールはその疑問に答える事はなく、ただ不満そうに唇をへの字に歪めたのだった。