小説
魂達の宿借り行脚
 シェリーの懐妊発覚から五日ほどが経過した、ラッフレナンド城2階執務室。

 ───コンコン。

「入れ」
「失礼致します」

 アランに促されて扉を開けたのは、シェリーだった。暇を貰って城を出た彼女は、今朝方城壁門の開放と共に入城したようだ。アランが呼びつけてからここへ来るまでにしばらく時間はかかったが、諸々の引継ぎに奔走していたのだろう。

(…少し、痩せたか)

 執務机を挟んでシェリーと相対し、アランはそう感想を抱く。彼女の頬はほんのりと痩せこけ、長い足もやや引き締まって見える。顔色も悪く、歩けば男女問わずに振り向く程の美貌が霞んでいた。

 シェリーが堕胎を選択したのならば、肉体面、精神面共に相当な負担がかかっているはずだ。城下の診療所でも処置は出来るはずだが、外聞を気にしたなら地方まで出向いたのかもしれない。

「ゆっくり休みを取る事は出来たか?」
「ええ、おかげさまで。良い気分転換となりました」
「…そうか。それならば何よりだ」

 無駄話はシェリーを疲れさせるだけだろう。当たり障りのない会話は最低限に留め、アランは話を切り出した。

「お前を呼んだのは他でもない。この城内の風紀を乱した件について、仔細を詳らかにする為だ。私に誓って、包み隠さず答えるように」
「回答を拒否致します。わたしからお答えする事は何もありません」

 きっぱりと澱みなく、シェリーは拒絶を口にした。

 アランはしばし呆気に取られた。拒否される事は何となく想像出来ていたが、こうまで頑なに言い切られるとは思っていなかったのだ。

 出鼻をくじかれてしまったアランは一つ咳払いをして気を取り直し、改めてシェリーを見据えた。

「…まず、お前に拒否権は無い。そして男の方の尋問と処罰は既に済んでいて、事情は概ね把握している。
 お前が回答を拒否したところで、何が変わる訳でもない」
「………………」

 説いてはみたが、やはりシェリーからの反応はない。どこまでも精巧で極限の美を追及した女性の彫像と見つめ合っているかのような、奇妙な気分だった。

 彫像と睨めっこをしていても仕方がない。アランは渋々、机の書面を手に取った。先日、男の方を締め上げて白状させた内容を読み上げて行く。

「時期は先月、ヤヌアリウスの月の初旬の深夜。場所は食堂と兵士宿舎の間の通路」
「………………」
「グレーゴーア=バッケスホーフ上等兵が、食堂付きのメイドに言い寄っている所をお前が発見。
 メイドを下がらせた後の言い合いの過程で、上等兵の足に全治一週間の怪我を負わせた」
「………………」
「上等兵は怪我を理由に、メイドの品性や城の評判を落とすと難癖をつけ、肉体関係を強要。以降も肉体関係を強要し続けた───とある。間違いないな?」
「………………」

 書面の内容を読み切っても、シェリーの仮面のような表情は崩れなかった。時折瞬きをする事で、辛うじてシェリーが生きている人間なのだと実感出来る程度だ。
 そして、嘘を見破るアランの”嘘つき夢魔の目”は、シェリーを黒いもやで隠すような事はしなかった。概ね内容は合っているのだろう。

 アランは手を開き、風に任せて書面を机へ戻した。溜息と共に背もたれに体を預ける。

「解せん。この程度の問題、お前がわざわざ体を張るような事ではなかっただろう。
 殴って転がして踏みつけて、次の日にでも『下らない男がいた』と私に報告すれば、こんな大事には───」
「…陛下には、きっと理解して頂けませんわ」

 怨嗟にも似た底冷えする声音が、そっと耳に触れてきた。
 シェリーとは思えなかったが、この部屋にはアランとシェリー以外は誰もいない。ぞっとしながら恐る恐るアランが見上げると、シェリーは気の抜けたようなか細い音を、唇からポロポロと零していく。

「女として生まれ、女として育てられながらも、女として認められなかった者の気持ちなど。
 状況はどうあれ、体を求めてきた男に、老いを感じ心すさんだ女が何を考えるかなど───」
「………相手に、多少の情はあった、と?」
「………………」

 シェリーは再びだんまりを決め込んでしまった。背筋を正し、無表情でアランを見下ろしている。
 だが彼女から黒いもやは現れてこなかったのだ。間違ってはいないらしい。

 その鉄仮面のような冷たい顔を見ていられず、アランは机に視線を落として嘆息した。

(女心は分からん───が、肌を合わせ続ければ、たとえ相手がどれだけ酷いヤツであっても、絆されてしまうものなのか…)

 アランは、自身の事を思い巡らす。リーファの献身は好いものだと思ってはいるが、そう実感するようになったのは彼女を抱き始めてからだったような気がする。

 色事は時に人生すら狂わせるものだが、伯爵令嬢として常に高潔であろうとしていたシェリーであっても、抗えないものなのかもしれない。

(シェリーからすれば、私はシェリーからリーファに乗り換えた不誠実な男だろうしな…。私への当てつけ…も多分にありそうか)

 アラン自身も、女日照りは長かった。すり寄る女共を黒く塗りつぶす”目”に悩まされてもいたし、王子という責任ある立場ともなれば、下手な女遊びは厄介な問題を招きかねない。

 そんな中で先王が発した王命は、アランとしてもありがたいものだった。
 シェリーならば気心は知れているし、体の相性も悪くなかったのだから。
『懐妊すればシェリーを城から解放してやれる』という気持ちは二の次だ───とケチをつけられたら、アランも否定出来ないのだ。

 かつては閨で互いの将来を語り合う仲であったのに、リーファが来た途端ころっと───という表現が正しいかはさておき───鞍替えしてしまったのだ。仕方がないとは言え、急に体を求められなくなったシェリーにも鬱屈した想いがあったのだろう。

(───だからこそ、罰はくれてやらねばならん)

 落ち度は自覚したが、シェリーが起こした問題に酌量する訳にはいかない。しっかりとした罰を望んでいるからこそ、沈黙を貫いているのだろうから。

「では、ラッフレナンド王アラン=ラッフレナンドより、処分の内容を言い渡す。
 シェリー=レイヴンズクロフト。城内の秩序を乱した罰として、向こう三ヶ月、賃金二割を自主返納する事」
「…かしこまりました」
「それともう一つ」

 一つ目の罰に納得した様子で頭を下げたシェリーだったが、畳み掛けるように発したアランの言葉に顔が上がった。

 アランの藍の瞳が、シェリーを厳しくねめつける。
 どこまでも高潔で、凛として美しく、姉のように慕っている人───そんな、アランにとって唯一無二の女性に、今まで一度も向けた事のない怒りを込めて。

「…既に聞いているやもしれんが、リーファが部屋に引きこもっている。
 お前の身に起こった問題を気に掛けているのだ。───ちゃんと、話をつけてこい」

 シェリーはアランの静かな激昂に一度息を呑んだが、この五日の間に起こった多くを理解して、深々と頭を下げたのだった。