小説
魂達の宿借り行脚
 側女の部屋では、リーファが独りソファで横になっていた。
 時折廊下から扉をノックする音が聞こえるが、応じる事はない。ただただぼうっと、部屋の景色を眺める置物と化していた。

 あの日から、ずっとこんな感じで日々を過ごしていた。扉に鍵をかけ、ソファで物憂げに過ごし、時々庭園を眺め、眠気があればベッドで横になる。実質引きこもり状態だ。

 異変に真っ先に気付いたのは、いつも部屋に居座っているアランだった。見合いの騒動を機に扉に取り付けられた錠で締め出されたアランは、多少なりとも動揺していたが。

『…調子が、悪くて。誰とも、会いたくないんです………少し…時間を下さい…』

 扉越しにリーファがそう願い出ると、アランは少なからず心情を察してくれたようだ。預けているスペアキーを使おうとはせず、引き下がってくれた。

 それからというもの、リーファはトイレの時以外は部屋を出なくなっていた。
 食事は、扉の前にサンドイッチなどが入ったバスケットが置かれるようになったのだが───昨日今日はその軽食すらも喉を通らず、残すようになっていた。

(…いつまでも、甘えていられないのに………気持ちが、動かない…)

 意思の薄弱さに、リーファは何度目かの自己嫌悪に陥る。ほんのりと熱を帯びた溜息は、側女の部屋の空気をより濁らせていく。

 アランの側について、菓子を振る舞ったり他愛ない話に興じたりしたいとは思うのに。

『………あれが助けた部類に入るのか、私には到底思えんがな』

 かつて自分の懐妊が分かった時に、アランが話してくれたシェリーの事情。言葉を濁した彼の気持ちを思うと、いつものように笑っていられる自信がなかった。

 兵士達への講義を勝手に休んでいる事だって、申し訳ないと思ってはいるのだが。

『いつだったか連れ込まれた子がいて』

 エリナの体験談を思い出すと、どうしても足が竦んでしまう。随分昔の話で、今の彼らには無関係だと分かってはいても。

(…息が詰まる………一度、実家に戻った方がいいのかなぁ…)

 考えが後ろ向きになっている自覚はある。実家に戻ったら、もう二度と城へは戻れないような気もする。でも、足踏みばかりで動けない今よりはマシなのではないか、と思えるようになってしまう。

 ───コツ、コツ。

 硬質な何かを叩くような音がしたのは、そんな時だった。

(………?)

 扉の方を見やるが、木製の扉をノックした音にしては甲高かった。実際、扉の先からは声はおろか気配すら感じられない。

 不思議に思って部屋をぐるりと見回すと───リーファはベランダの光景にぎょっとした。
 ガラス戸の向こうに、人影があったのだ。

 艶やかなプラチナブロンドの髪は後頭部でまとめられ、ホワイトブリムが花冠のように飾られていた。光彩豊かな碧眼はまるで宝石のようで、さりげないピンク色の唇は品よく吊り上がっている。藍色のワンピースに白いエプロンはメイドの一般的な作業着だというのに、その女性らしいボディラインは色気のようなものを醸していた。

 その人影はそれなりに大荷物だった。水筒を首に下げ、籐のフタつきバスケットを左腕に下げている。まるでこれからピクニックへ行くかのようだ。

 前に見た時よりも、幾分かほっそりとしているような気がするが───

「しぇ、シェリー、さん…?」

 人影は、メイド長のシェリーだった。

 リーファはソファから立ち上がり、ふらつきながらもベランダへ向かった。ガラス戸の閂を外して開けると、メイド長は恭しく首を垂れる。

「…い、一体、どこから…?」
「上から失礼致しました」

 どこか悪戯っぽく笑ってシェリーが手のひらで指し示したのは、ベランダの上から無造作に垂れたそこそこ太いロープだった。
 この部屋は3階にあり、真上には屋根があるだけだ。4階の王の寝室のバルコニーから屋根を伝って来る事は出来るかもしれないが、下手をしたら大怪我どころでは済まされない。

 ただ、最近知るようになった彼女の人となりを思えば、『シェリーさんならやりかねないかも』とちょっとだけ思えてしまう。

「と、とにかく、中へ…」
「失礼致します」

 ロープで降りる姿を見ていたのだろうか。ベランダの先の庭園で巡回中の兵士がこちらを呆然と眺めている中、リーファは部屋の中へとシェリーを招いた。

 シェリーを部屋へ入れた事で、リーファは五日間のズボラな過ごし方を恥じ入った。格好はパジャマのまま、ベッドのシーツはぐちゃぐちゃ、テーブルにはほんのり埃が散っている。

 しかしシェリーは気にした素振りも見せず、バスケットから布巾を取り出してテーブルを拭き、リーファに声をかけてきた。

「今朝のお食事は、殆ど残されておりましたね。食欲がありませんか?」
「え、ええ…すぐに胸がむかむかしてしまって…」
「心の負担は、食欲にも影響するものです。
 あまり無理はなさらず、消化が良いものを煮崩してお食べになった方が良いかもしれません」

 似たような経験があったのかもしれない。バスケットの中から、幾つかの小皿とフタつきの器を取り出して、テーブルへ置いていく。

 小皿に移した器の中身は、さらりとした質感の白みがかったレモンイエローの液体だった。

「コーンポタージュをお持ちしました。少しは喉へ通れば良いのですが」
「………すみません」

 スプーンと共に差し出されたポタージュは、ほんのり冷めてはいたがその分香りも抑えられていた。香りにえずく心配はなさそうで、リーファはスプーンで少しずつ口に含む。少し薄めの味付けは口当たりが良く、体が拒否反応を起こさずに喉の奥へ染み込んで行く。

 黙々と時間をかけて小皿を空にすると、シェリーは穏やかな笑みでリーファを褒めてくれた。

「お口に合ったようで何よりです。
 もう少し食べられそうでしたら、タマゴ粥はいかがでしょうか?すりおろしたリンゴもご用意しておりますよ」
「あ、あの…」

 リーファがおずおずと声を上げると、シェリーは持っていた器をそっとテーブルへ戻した。
 居住まいを正し言葉を待つシェリーに、リーファは悄然と頭を下げる。

「…本当に、すみませんでした。私、何も知らないのに、あんな…」
「リーファ様のお優しい気持ちにお応え出来ず、申し訳ありませんでした。
 しかしこれはわたし自身の問題で、リーファ様のお耳汚しにしかならない話です。
 …どうか、お忘れください。リーファ様の為にはなりませんわ」

 力なく声を呑んだリーファに対し、シェリーは淡々と突き放すような物言いだった。しかし、彼女の顔は柔らかい笑みをたたえていた。