小説
魂達の宿借り行脚
(私がシェリーさんを労ろうだなんて、おこがましいものね…)

 そもそもリーファは、今回の件に何の関係もない。
 シェリーの個人的な事情が原因でリーファがアランとの逢瀬を拒んでいるのなら、シェリーが問題解決に動き出すのは当然の事だ。

 そしてリーファの心に生まれた澱を取り除く方法は、先日の出来事を忘れて早くアランとの日常を取り戻す事だろう。
 むしろ今のままでは、シェリー自身にも蟠りを残してしまうはずだ。

(…なら私は…私に、出来る事を…)

 リーファは抱えるように持っていた小皿とスプーンをテーブルへ戻し、シェリーと目を合わせた。

「…堕胎、したんですね…?」

 再び話を蒸し返され、シェリーは瞠目した。エプロンの上に添えられた両手が拳を形作り、顔が幾分か強張る。

 リーファが普通の人間なら、たとえそれが見えていたとしても、こんな無粋な話を当事者に投げかける事はしなかっただろう。
 しかし残念な事に、リーファはグリムリーパーだ。

「…分かりますか…?」
「…その、肩の所に…」

 リーファが指を差し向けた方───右肩───に、小さな綿の塊のようなもの、魂があった。
 それは一見、シェリーの体で遊んでいるように見える。時々彼女の服の中へ沈んだかと思えば、弾かれるように飛び出して、また体に寄り添う。そんな事を繰り返していた。

 シェリーもその姿を認めたようだ。側に在ろうとする魂を見て、唇を震わせていた。

「…土台だった肉体を失って、シェリーさんと混じる事が出来なくなったんでしょう」
「そう…ですか」

 シェリーが手を差し出すと、魂は誘われるように寄ってくる。休憩場所を見つけたかのように、魂は彼女の両手の内へ収まった。

「この子は…きっと、わたしを恨んでいるでしょうね。
 折角見つけた居場所を、わたしの都合で、潰されてしまったのですから」

 魂をすくい上げ眺めているシェリーの姿は、まるで宗教画のような美しさを思わせた。倒れた者に寄り添う救世主の博愛───そんな情景が思い起こされた。
 子を膝に乗せて慈しむ母のよう、とは決して思えなかった。

「それは…どうでしょうね。
 私がエニルを見送った時は…何も、訴えかけては来ませんでした。
 私が気付けなかったのか、恨み言を言う事も出来なかったのか、言いたい事は無かったのか…。
 でもこちらの勝手な思い込みは、あの子にとっては余計なお世話になってしまう………私は、そう思いました」

 このリーファの主観が参考になったのかは分からないが、シェリーは少し寂しそうに笑った。

「…憎悪も向けてはくれないのですね。
 では…わたしは、どうすれば良いのでしょう…?この子に何も出来なかった、わたしは…」

 リーファは両手を組み、目線を下げて胸元に押し当てる。

「…『何故人が亡くなると涙が出るのか』と、父に問うた事があります…。
 父は、『弔いの涙が魂の癒しになる事を、人は知っているからだよ』と答えてくれました。
 …泣いてあげて下さい、とは言いません。
 弔う気持ちを、悼む気持ちを。そして旅立つ魂の幸せを、願ってあげて下さい。
 それがこの子の癒しになって、旅路の一助となります」

 その祈りの姿勢に、シェリーの表情からは動揺が透けて見えた。まるでそうする事が罪であるかのように、肩を震わせている。
 シェリーはしばし無言で拒絶の意思を向けてきたが、一向に両手を解かないリーファを見てそれは許されない事だと悟ったようだった。諦めと共に吐息を浅く落とし、膝の上へ魂を下ろしてリーファと同じように両手を組む。

「………………わたしは、度胸のない、酷い女なのです。
 高圧的な父に逆らう事も、何もしてくれない夫に訴えかける事も、先王の命令を拒否する事も、出来ませんでした。
 あなたを身籠った時すら、独りで産む自信…育てる自信が持てず………怖くて………こうして、堕胎を、選択したのです…」

 口から紡がれたのは、自責の念。後悔や反省ですらない、自身を傷付けるだけの言葉だった。

「…あなたは、入る場所を間違えたのです。
 わたしの胎は、あなたが安らげる終の棲家などではない。誰の手も入る事のなかった、荒れ放題の廃屋なのです。
 ………もう、お行きなさい。そして来世こそは、在るべき場所を間違えないで…」

 どこまでも突き放すような物言いだった───が、その碧眼から頬へ伝い落ちる涙には、葬送の想いが確かに込められていた。

(…何でこんなに優しい方が、辛い思いをしなければならないんだろう…)

 祈りに意識を傾けているシェリーの姿を見て、リーファは彼女の境遇に腹立たしさを覚えていた。
 不妊で悩まされ、離婚をして、城の女性達を体を張って守り、望まぬ妊娠をして、堕胎をして。
 体も心も理不尽なまでに傷付けられてきたというのに、今も尚シェリーは自分を責め続けている。自分を悪者にして、罰して欲しいと願っている。

(癒しが必要なのは、先を逝く魂だけじゃないのね…)

 シェリーの想いが、魂に届いたのかどうかは分からない。
 しかし、魂はそっとシェリーから膝の上から離れて行った。