小説
魂達の宿借り行脚
「…ありがとうございます。これでこの魂も、安心して逝けるでしょう」

 両手を解いてシェリーに声をかけると、彼女もまた祈りの姿勢を止めて顔を上げた。ポケットからハンカチを取り出し、濡れた目元を押さえている。

「…申し訳ございません。リーファ様のお世話に参りましたのに、逆にご負担になるような事になってしまい…」
「これは私の務めなので、気にしないで下さい。
 ───あとは魂を送らないと、ですね」

 そう言って、リーファは部屋の中を見やる。

 シェリーからは距離を取っているものの、例の魂はまだ部屋の中をうろうろしていた。豆粒ほどの丸くて白い綿毛のようなそれは、天井まで上がったかと思えば床すれすれまで降りてきて、部屋の中を見学しているようにも見える。

(白い帯…まだ全然出てないのね。堕胎が早くて、思い出を残せなかったのかな…)

 シェリーにも見えているようで、リーファ同様魂を目で追いかけながら訊ねてくる。

「…グリムリーパーは、魂を食べて送るのですよね…?この子もやはり…?」
「え、ええ。つまんで口に入れてしまうだけなので、シェリーさんは席を外して下さっても」
「…見ていても、よろしいのでしょうか?」

 ひょんなお願いに、リーファは思わずシェリーに顔を向けた。

 シェリーはもう泣いてはいなかったが、その頬に赤みは差しており悲しさをたたえている。それでも気丈に振舞おうと、口元だけは笑みを形作っていた。

「そうある機会ではありませんもの。この子の最後を、見届けたいのです」

 リーファは逡巡する。リーファの場合、お菓子をつまむ感覚で魂を食べてしまうので、光景を見てがっかりされてしまうのでは、とちょっと思ったのだ。
 ただ、我が子を見送りたいと思う気持ちまでは無視出来ず、真顔で首を縦に振った。

「そんなに大したものじゃないんですが…それで、良ければ…。
 ………さあ、いらっしゃい。ちゃんと送ってあげますよ」

 リーファは部屋をうろついている魂に声をかけ、手を差し伸べた。

 グリムリーパーによる魂への声掛けだ。強制力というものはないらしいが、多くの場合はこれで魂が近づいてくる。
 ───はずなのだが。

「あ、あれ。おかしいですね」

 声掛けで一度はその場で止まった魂だったが、すぐに動き出し、ベッドの方へと飛んで行ってしまった。

 普段にない動きをする魂にリーファが戸惑っていると、シェリーが怪訝に首を傾げる。

「魂も、食べられたくない時があるのでしょうか…?」
「う、うん。現世に未練があれば、抵抗される事はあるんですが…」
「…母体の性格を継いで、じゃじゃ馬に育ってしまった…とかは…」
「さ、さすがにそういう事はないかと………というかじゃじゃ馬な自覚あるんですね…?」

 冗談───と本人が思っているかはさておき───を言える程度に元気になってきたシェリーの姿に内心安堵しつつ、リーファは席を立った。送るつもりでいる以上、見失ってしまうのだけは避けたい。

 ベッドへ近づくと、魂は枕の周りを行ったり来たりしていた。居心地がいいとは思えなかったが、なかなかそこから離れたがらない。

(エニルの魂も、こんな感じで見つけたんだっけ…)

 ほんのりと感傷に浸りつつ、今度は逃がさないよう傷付けないように、リーファは両手で魂を包み込んだ。手の中にそれらしい感触はないが、どうやら捕まえる事が出来たようだ。

 シェリーも気になったようで、ベッドへと近づいてきていた。

「リーファ様、大丈夫ですか?」
「あ、はい。何だったんでしょうね。今度こそちゃんと送って───」

 などと言っている間に、リーファの指の隙間から魂が零れ落ちた。
 と言うか、手のひらに潜り込み、手の甲の方へとすり抜けてしまった。

「え、あれ?あの、ちょっと?」

 ハーフとは言え、グリムリーパーが魂を取りこぼす事などあり得なかった。そんな事があろうものなら、リーファの仕事が成り立たなくなってしまう。
 だが、一つだけこうした現象を起こすものを、リーファは知っていた。

(赤子に宿る予定の魂───)

 リーファは息を呑む。

 一度胎に宿り、堕胎によって出てしまった魂という意味では、リーファが宿したエニルと同条件と言えた。
 だが、この魂には白い帯が出ていない。記憶、思い出というものを有していない。
 それが、赤子に宿る資格だとしたら。

(そんな事が、あり得るの…?)

 見失っていたその魂が、視界に入り込んできた。ぐるっと、リーファの周りを回っていたらしい。

 つかず離れず。品定めをしているように無遠慮に。リーファをジロジロと視ているような動きを見せた魂は、やおらリーファに向けて飛び込んできた。
 リーファが思わず手で遮ろうとするも、それは全く意味を成さなかった。やはり手のひらをすり抜け、スカートの真ん中辺り───へその少し下にぶつかって、淡く優しい光を放ち、消えてしまう。

「あ───」

 何が起こったのかを即座に察した。リーファは慌てて腰の後ろ側を見るが、貫通して魂が出てくる事はない。
 リーファの体の中へ、魂が入って落ち着いてしまったのだ。これは───

「私、も…妊娠、してた…?」

 その事実を口にして、リーファは最近の変調を思い起こす。

 強い眠気、食欲不振、熱っぽさ、だるさ───
 ストレスや不摂生から来る不調かと思い込んでいたが、以前妊娠した際にも似たようなものは経験していたのだ。