小説
魂達の宿借り行脚
「「………………………」」

 部屋に沈黙が落ちた。頭の中が真っ白になって、この現状をどうするのが正しかったのか、これからどうすれば良いのか、何も考えが浮かばない。

「「………………………」」

 視線を感じてリーファがベッドの外を見ると、成り行きを見守っていたシェリーがいた。普段は滅多に表情を崩さない瀟洒な美女がだらしなく口を開け、呆然としているリーファを見つめ返している。

 どれほど経ったか。時が止まったかのように互いが互いを見つめていたが───

「………………………ぶっ」
「………………………ふふっ」

 どちらともなく、何故だかほぼ同時に噴き出した。そして。

「「ふ、ふふっ………ふっふっふっふっはっはっはっはっはっ!!」」

 やはり何故だか同時にこみ上げてきた大爆笑の合奏が、側女の部屋にこだました。
 リーファは、ベッドに転がって顔を覆った。
 シェリーはその場にしゃがみこんで、笑いを一生懸命堪えようとしていた。

「み、み、み、見ましたシェリーさんっ?い、今のアレ!?」
「ええ、ええ、見ましたわリーファ様!何なんでしょう、あの渋々な入り方!…ふ、ふふっ!」
「ひどぉいっ!そりゃあまあ、シェリーさんに比べたら、わ、私の子は、見た目残念にしか、ならないかもしれませんけどっ………うっふふふははは」

 自虐したらまた笑いがぶり返してきて、リーファはうつ伏せたままばっしんばっしんとマットレスに手を叩きつけた。どこかに笑いを感情をぶつけないと、気持ちが落ち着きそうもない。

 シェリーは何とか落ち着きを取り戻しつつあるが、目に涙を浮かべていた。

「そ、そういうつもりではないのですがっ…ふふっ!しかし、あの子の仕草は、まるで新しい貝殻を探しているヤドカリのようで…っ!」
「ヤドカリ!ああ、そんな感じがしますねぇ。住まいが壊れたから、ちょっと難アリ物件だけど、近場だしここに決めるかー、みたいな」
「ぷ、くくくく。ああ申し訳ございません、そんなに笑うつもりはないのですが、ふふふふふ」
「「あっははははははは───」」

 おかしくて、嬉しくて、でもやっぱりおかしくて。
 笑いのツボにはまってしまった二人は、その後もしばらく笑い転げたのだった。

 ◇◇◇

「も、申し訳ございませんリーファ様…。わたしの子───いえ、わたしの子なのかしら?とにかく、とんだご無礼を…っ!」

 そこそこ長く続いた爆笑の時間は過ぎ去り、冷静さを取り戻したシェリーは、ベッドの側で正座までして深々と頭を下げている。大量に冷や汗を掻き、その麗しい美貌は真っ青だ。

 まだ笑いの余韻の残っているリーファは、そんな彼女の仕草すら面白可愛く見えてしまったが、どうにか呼吸を正しながらシェリーを宥めた。

「そんなに謝らないで下さい、シェリーさん。生まれてくる前の魂なんですから、こちらの常識が通じるはずはないんです。
 …むしろ、沈んでいた私達に笑いの種を作ってくれた良い子なんだ、って思う事にしましょう」

 そう言ってリーファはベッドから降り、シェリーに手を差し伸べた。手を取っておずおずと立ち上がってくれるシェリーを見て、先の魂の事を思い出す。

 現世のルールや序列を知らない無垢さ。こちらの感情を無視したかのような、無遠慮な品定め。
 リーファとシェリーにとっては、二人を不思議な縁で結んだ魂と言えるが───

「案外、ああいうものなのかもしれないですね…。
 グリムリーパーにとっては、肉体を失った魂は現世から救済するべきもので、輪廻や転生といった概念はないらしいんですが…。
 魂にとっての肉体は、壊れたら…あるいは、自分に合わなくなったら引っ越しが出来る、ヤドカリの貝殻のようなものなのかもしれません」

 そうであって欲しいのだと自分に言い聞かせているような気がして、リーファは自嘲気味に微笑んだ。

 かつて守ってあげられなかった我が子が、自ら見送ったエニルの魂が。
 どこかの空の下で、誰かの子として産まれてくれていれば。幸せであれば───と。

(…今度こそは、何が何でも、守ってみせる…!)

 胎の中で魂を得た我が子は、成長を始めているはずだ。もう止められないし、引き返す事も出来ない。
 生まれるまでの十月十日。そして出産してその先までずっと。
 子供を守るという命がけの防衛戦が、ここに始まったのだ。

「シェリーさん。私、大切にこの子を育ててみせます。
 …見た目ばかりは、ちょっとどうにもならないかもしれませんけど…。
 ここが優良物件だって後悔させない、他の”貝殻”に目移りしないような、元気な子を産んでみせます」

 背が高いシェリーを見据え、リーファは決然と誓いを立てた。
 当たり前の事を、今更誰かに言う必要はなかったかもしれない。呆れられてしまう可能性だってあった。
 でもリーファが自分を奮い起こす為には、どうしてもこの宣言はしなければならなかったのだ。

 シェリーは、半ば放心した様子でリーファを見下ろしていた。うっすらと口を開け、美しい碧眼はほんのり水面のような揺らめきが見えた。
 しばらく動かないでいた彼女の口元は、不意に引き締まって───そして。

「…リーファ様」

 シェリーは徐にリーファの前で膝を折った。
 謝罪をする為の正座ではない。片膝を床につけ胸に手を当てて頭を下げるその姿は、騎士が姫に捧げるような忠節の礼だった。

「…此度のご懐妊、おめでとうございます。
 このシェリー=レイヴンズクロフト。命に代えましても、御身と御子様をお守りする事をお誓い申し上げます」

 王城のメイド長───さらには伯爵家の令嬢の誓いなど、普段なら恐れ多くて取り乱していたかもしれない。
 しかしこの胎の子は、アランやリーファだけではなくシェリーとも繋がっているのだ。
 捨てた負い目もあるのだろうが、それでもリーファ共々胎の子を守ってくれるというシェリーの気持ちは素直に嬉しかった。

「…ありがとうございます、シェリーさん。一緒に守って行きましょうね」
「はい…!」

 もうシェリーの面持ちに憂いは帯びていなかった。柔らかく微笑むメイド長には、いつもの瀟洒な気品が戻ってきていた。

 とても頼もしい人がリーファに寄り添ってくれる。その安心感に、リーファもつい顔が綻んだ。
 ふと、今からでも胎の子の為に出来る事がないだろうかと考え、ある事を思いつく。

「…何かこの子は、シェリーさんに懐いてくれるような気がします。
 胎教…とか言うんでしたっけ?今の内にそう教え込んでおきましょうか?」
「………それは…おやめください………仕事が、手に付かなくなってしまいますわ………」

 シェリーはしばらく顔を上げ、目頭を押さえていた。しかし堪えきれなかったのだろう。頬にほろりと涙が零れ落ちて行った。

 さっきのような、悲しみばかりを秘めた涙ではない───とリーファは勝手に思う事にした。