小説
魂達の宿借り行脚
 湯で身を清め、肌を整え、髪を梳いて、身だしなみを整えて。
 いつも以上に丁寧に支度を済ませ、リーファはアランが待つ執務室へと向かっている。

 既に先触れはしてもらっていた。『支度中にでも会いに来るのでは?』と勘繰ったのだが、シェリーから『あちらも支度が忙しいでしょうから』と意味深長な返事をもらってしまった。

(なんか、微弱な魔力の流れがある…?)

 執務室へ向かう中、肌に奇妙な流れが撫でてきている事に気が付いた。危険なものではなさそうだが、リーファに向けられている、という感覚がつきまとっている。

「失礼致します。リーファ様をお連れ致しました」

 廊下を抜け、シェリーとリーファは執務室へ到着した。ノックをして扉を開けるシェリーに促され、リーファも入室する───が。
 リーファが室内に足を踏み入れると共に、執務室の中から魔術が発動した。

「”コンフェッティ”」

 ───パパパパーンッ

「!?」

 弾けるような音を立てたかと思えば、リーファの視界いっぱいに色とりどりの紙の欠片が降り注いだ。風に乗ってハラハラと散って行く紙の乱舞に、しばし呆気に取られてしまった。

 そして目を丸くしている内に起こったのは、一斉に起こった拍手だった。

「リーファ、妊娠おめでとう」
「おめでとう、側女殿」
「おめでとうございます」

 執務室にいたヘルムートとカール、そして廊下で番をしている衛兵のオスモまでもが、リーファの懐妊を拍手で歓迎してくれた。

「あ、ああ、あ、ありがとう、ございます…」

 急な迎え入れに、リーファの頬が朱に染まる。何だか一気に気恥ずかしくなって、それぞれに頭を下げつつ執務室へと入って行った。

 紙吹雪に出迎えられたが、執務室全体がパーティーのように飾り立てられている訳ではなさそうだ。
 リーファの為なのだろう。ベランダ側のテーブルには、粥、スープ、果実、プリンなど、喉越しが良さそうなものが並べられている。いつもならばティータイムにあたるこの時間だが、今回ばかりは遅い昼食、といった雰囲気だ。

 そして───

「リーファ」

 正面執務机の側では、アランが右手をこちらに突き出して魔術発動の体勢をとっていた。にんまりと口の端を吊り上げ、リーファの反応を待っている。

 アランの前で膝折礼をしてみせ、顔を上げたリーファは柔らかく微笑んだ。

「アラン様。紙吹雪の幻術なんて、いつ使えるようになったんですか?」
「花火の幻術を応用してな。どうだ?悪くない出来だろう?」
「誰にも教わらずにそこまで発展させているのなら、十分過ぎますよ。
 先日見せて頂いた幻術も細部まで精巧に出来ていましたし、もう私から教える事はなさそうですね」

 リーファなりに大絶賛すると、アランは満足そうにかざしていた右手を握りつぶした。散って床に広がっていた紙吹雪が即座に消失し、跡形も残らない。

「そうだろうそうだろう。
 しかしこの上等兵ときたら、『散る動きがワンパターン』だの『紙テープも併用すべき』だのと注文が多くてな。私を褒めて伸ばす気概がない」
「当然でしょう。魔術の技能は日々の研鑽がものを言います。その程度の幻術で満足していては、発展などなり得るはずもない。
 …と言うか、何故オレが王を褒めて伸ばさねばならないのですか」
「上等兵………君ねえ………」

 アランがカールに絡み、カールがつっけんどんに反応して、ヘルムートが苦々しく肩を落とす。ここ最近、よく見られるようになった日常だ。

 いつもの日々に帰ってきたのだと自覚した途端、リーファの涙腺が緩んだ。そして、この光景から背を向けていたのだと、自らを恥じる。

(この日常も、大切に守って行かないとね…)

 決意を新たにしていると、カールに対するヘルムートの説教を遮ってアランが近づいて来た。

「まあそれはそれとしてだ。───リーファ、検診を受けた甲斐があったな。おめでとう」
「ありがとうございます。ですがまだ始まったばかり。これからですよ、アラン様。
 私頑張って、元気な御子様を産みますからね」
「お前の子だ。子供の心配は何もしていないがな。
 どんなやんちゃが生まれるか、楽しみにしているさ」

 ふんわりと笑って、アランはリーファを抱き寄せた。

 五日間振りのアランの温もりに、リーファの顔がつい綻ぶ。香水と身体の匂いが混じり合った、馴染みの香り。引き締まりつつも柔らかい、腕と胴体の筋肉の圧迫感。何もかもが懐かしかった。

 アランも似たような事を考えていたのか。しばしリーファの全てを五感で楽しんだ後、横で控えていたカールに声をかけた。

「ラーゲルクヴィスト上等兵。そんな訳で、リーファを魔術講義の担当から外す。
 裏方程度なら何とかなるだろうが、彼女の負荷にならない範囲で日程調整を頼む」
「分かりました」

 臆さずに返事をするカールを見て、リーファははたと気が付いた。
 今でこそちょっとした体調不良で済んでいるが、ある程度日が過ぎればつわりや腹部の膨満感も強くなって行くはずだ。魔術の講義や指導で、周りに迷惑をかけてしまう可能性はある。

「すみません………カールさん」
「こちらの事は気にしないで欲しい。
 …妊娠、おめでとう。元気な御子を、産んでくれ」

 アランの腕に抱かれたままカールに頭を下げると、滅多な事では表情を変えない上等兵が、相好を崩してみせた。

(わ、珍しい…)

 カールは、端正な顔立ちながらも気難しい表情をしている事が多いが、別に不親切という訳でもない。『ちょっとぶっきらぼうだけど、そこがまたいい』と頬を染めるメイドは結構多い。
 そんな青年に微笑を向けられれば、リーファだって多少なりにも面食らう。

「は、はい…ありがとうございます…!」

 ちょっと嬉しくなってリーファがヘラヘラしていると、カールはすぐさまいつもの不機嫌顔に戻し、アランに顔を向けた。

「…それでは日程の調整を進めますので、失礼致します」
「ああ、任せた」

 そして申し訳程度に頭を下げ、カールは踵を返して執務室を出て行った。

「…ふふっ」

 あっという間に去って行ったカールを見送っていると、頭上でアランが含み笑いを漏らしている。執務机に腰を預けているヘルムートもまた、眉をハの字に歪めて苦笑いを浮かべていた。

「…さあ、どうなるかねえ?」
「さて、どうなるかな」
「………?」

 ふたりの意図がどうにも読めず、リーファは怪訝に首を傾げたのだった。