小説
魂達の宿借り行脚
「…堕胎したシェリーの子の魂が、リーファの胎へ…か。そんな事も、あるのだな…」

 リーファが側女の部屋での出来事を告げると、アランはリンゴのコンポートを食べながら感嘆の吐息を零した。

「私も初めて見ました。…まあ、今まで意識して見た事もなかったんですが…。
 もしかしたら、ああいうものは珍しくないのかもしれません」

 食欲不振はストレスに因るものもあったのかもしれない。ほんのちょっとだけ食欲がわいたリーファは、麦粥をゆっくりと口に含む。シンプルだが出汁の風味が出ていて美味しく、あっという間に食べてしまいそうだ。

 やがて、目の前にいるアランと本棚に寄りかかっているヘルムート、どちらともなく溜息が零れて行った。その向け先は、ワゴンで給仕をしているメイド長だ。

「…シェリー。私は、お前の底意の全てを推し量る事は出来んが───今後、独りで抱え込むのは止めて欲しい。公的な事情も、私的な事情もだ」

 言葉を選んで説いたアランに対し、シェリーは、どこ吹く風、と言わんばかりにすまし顔をしていた。もしかしたら似たような忠告を以前から受けていたのかもしれない。聞き慣れている、と言った風だ。

「ええ、肝に銘じます。もう、あのような苦しみを味わいたいとは思いませんもの」
「…そういう事を言っているのではない。傷付くのはお前だけではないのだと───」
「あら嫌ですわ。まるで小舅みたい」
「こ…!?」

 揶揄うようなシェリーの物言いに、アランが絶句している。

 主の苦々しい表情を見て、シェリーは優雅に微笑んだ。今回、一番辛い思いをしたのは他ならぬシェリーなはずなのに、慣れた手つきで紅茶を淹れている彼女の表情はどこか晴れやかだ。

「勿論、理解しておりますわ。
 ええそうです。わたしは、自分を蔑ろにし過ぎておりました。
 誰かを助けられるのならば、守れるものがあるのならば、この身が恥辱に塗れようとも構わない…と。
 むしろ、騎士道…めいたものを目指したかったのかもしれません」

 どこか子供めいた事を言うシェリーに、アランもヘルムートも呆れている。

(シェリーさんは、騎士に憧れてたのね…)

 エリナから剣の指導を受けたり、旅に出たいと考えていたりと、そう思い当たる点は幾つかあった。
 令嬢らしからぬ考え方ではあるが、幼少期から今日に至るまで気持ちが変わらず、メイドの身分に収まってもそれに代わる形を目指していたのだ。筋金入りと言っていい。

「確かに騎士道の教えの一つに、”弱者の守護”というものはあるよ。『騎士たる者、世のあらゆる弱者を尊び、守護者たるべし』ってね。
 でもシェリーがした事は、何か違う。自己犠牲………っていうのは何か嫌だな。どっちかって言うと、自己満足の類だ」

 ヘルムートはそう憤慨する。今までのシェリーの行いを全否定するかのような厳しい言い方だったが、彼の声音に軽蔑の念は乗っていない。

「…シェリー。王城の中を取りまとめるのは、王たる私の役目だ。問題の明確化、原因の分析、解決策の模索、実行、結果の実証まで私が果たさねばならん。
 お前にとっては頼りにならないかもしれないが───王として、私も全力で応えたい。どうか、いつでも打ち明けて欲しい」

 アランは上に立つ者として事務的にシェリーを窘めた後、ちょっとだけ困ったように、照れているように片方の口の端を吊り上げ、話を続けた。

「…あとな。私を小舅だと───”家族”だと思っているのならば、”家族”として心配している、私の気持ちも理解してくれ」
「………っ!?」

 がちゃり、磁器がかち合う音を立つ。紅茶を運ぼうとしていたシェリーが、手を滑らせてトレイをワゴンに当てた音だった。

「し、失礼致しました」

 トレイやティーセットを落とすような事はなかったが、淹れた紅茶を少し零してしまったらしい。普段にはない取り乱しようで頭を下げ、あちらこちらを布巾で拭っていた。

 アラン達がクスクスと笑う中、リーファは席を立ち、シェリーの手伝いに加わる。そこまで酷く濡らした訳ではなさそうで、すぐに紅茶も淹れ直せそうだ。

「…素敵な”家族”ですね、シェリーさん」
「…勿体ないお言葉ですわ…」

 アランに聞こえないようシェリーにこそっと話しかけると、彼女の頬は紅茶の色に似た鮮やかな肉桂色に染まっていた。